第2話

 その日は非番のはずだった。

 朝から映画館を三軒はしごして、見たかった映画を片っ端から見た。

 そして、最後の一本を見ようと新宿にあるミニシアターへ向かおうとしたところで、スマートフォンが着信を告げた。

 嫌な予感しかしなかった。

 きょうは非番だぞ。そう思いながら、電話に出る。


「もしもし――――」

「ねえ、総くん。いま、どこ?」


 まるで束縛の強い彼女のような口調が、電話の向こう側から聞こえてきた。

 その声に久我くがそうは、ため息交じりにいう。


「いまですか。新宿にいますけれど」

「なんで?」

「なんでと言われましても……。きょうは非番ですし」

「そっか。非番だもんね。クリスマスだし」

「あの相馬さん、用件をお願いします」


 久我の言葉に相馬はあからさまな舌打ちをした。

 どうせ仕事だろう。久我にはわかっていた。相馬がプライベートな内容で久我に電話をしてくることなど、まず無い。それにこのふざけた口調の時は、大抵仕事の話が待っている時なのだ。


「わかったよ。仕事だ」


 急に相馬の口調がガラリと変わる。仕事モードに入ったということだろう。


「歌舞伎町にあるイベントスペースで殺人未遂事件が発生したことは知っているな。被害者は後ろから鋭利な刃物のようなもので刺された。犯人は現在も逃亡中。警視庁新宿中央署が事件の捜査に当たっているから、そこに合流してほしい」

「珍しいですね。そんなタイムリーな仕事に私が投入されるなんて」


 久我総は警察庁特別捜査官であった。特別捜査官は警察庁長官直属の捜査官であり、警察庁が警察に関係するすべての捜査に対する捜査権限を与えている捜査官だった。

 そんな久我が投入されるのは、事件発生からかなり時間が経過した未解決事件が多かった。それは久我が特別捜査官である理由と大きく結びついていた。


「被害者がどこぞのお偉いさんと繋がりがあるようだよ。わたしも詳しいことは知らないけどな。まあ、うまくやってよ。警視庁の方には長官から話を通してあるらしいから」

「わかりました。どこかで、代休をくださいよ」

「長官に言っておくよ」


 電話を切ると、スマートフォンでミニシアターの情報を確認した。見たかった映画は、きょうの21時からはじまる回で最後だった。さっさと仕事を済ませれば、まだ間に合うかもしれない。どうしても見たいホラー映画だった。元は十年以上前に公開された作品だったが、最近になってデジタルリマスター版として再公開されているのだ。

 久我は仕事を片付けるために、現場のある歌舞伎町方面へと足を向けた。


 事件は新宿歌舞伎町にあるイベントスペースで発生していた。

 イヴの夜ほどではないが、歌舞伎町は大勢のカップルやパーティー気分の若者たちで溢れかえっている。

 人混みは苦手だった。大勢の人が集まる場所というのは、様々な思念が渦巻いているため、体調を崩しがちなのだ。

 目的地に着くと、規制線が張られているのが目に入った。様々な店舗の入ったビルの一角であり『パーティー×パーティー』という派手な看板が出ている。

 ビルの入り口に張られていた警視庁と書かれた黄色いテープの規制線をくぐって中に入ろうとすると、近くに立っていた制服警官が久我のことを呼び止めた。


「ちょっと、お兄さん。ここは立ち入り禁止ですよ。書いてあるでしょう」


 まだ幼さを残した顔立ちの若い制服警官が、久我に対して強い口調でいい、規制線と久我の間に入り込んで仁王立ちをしてみせた。

 ただ、久我の身長は190センチと長身であるため、目の前で仁王立ちをされても、久我の方が若い制服警官を見下ろすという形になってしまっていた。


「警察庁特別捜査官の久我です」


 そう言って久我は制服警官に身分証を提示する。

 その身分証を見た制服警官の顔が見る見るうちに強張っていくのがわかった。


「し、失礼しましたっ」


 制服警官は直立不動となり、久我に敬礼をした。

 警察庁特別捜査官の存在は、警察官であれば知らない者はいない。特別捜査官がすべての事件捜査に対する捜査権を持つということを警察学校でしっかりと教育されるためである。


「じゃあ、中に入るよ」

「ご苦労様です」


 久我は黄色いテープを潜るようにして、現場となったビルへと足を踏み入れた。

 事件が起きたのは、昨日の夜のことだった。

 もうさすがに誰も捜査関係者は残っていないだろう。そう思って中を覗くと、そこには数人のスーツ姿の男女がいた。腕には宿と書かれた腕章をつけている。

 久我が現場に入っていくと、その面々がギョッとしたような表情で、こちらを見てきた。

 ただでさえ、久我は身長が高いため目立った。それにきょうは非番であったため、いつものスーツではなく、ボアのついたモスグリーンのミリタリーコートにハイネックの黒いセーター、下はジーンズと編み上げのブーツというラフな格好であったため、現場にいた誰しもが、といった視線を送ってきていた。


「ああ、久我さん。どうもです」


 声を掛けて来た人物がいた。警視庁新宿中央署刑事課の織田強行犯捜査係長である。

 織田とは、何度か仕事を一緒にしたことがあったため、顔見知りだった。


「事件の担当は織田さんですか」

「そうです。珍しいですね、久我さんが起きたばかりの事件を担当するなんて」

「ええ。色々とあるみたいですよ」


 久我は苦笑いを浮かべながら、織田に事件の詳細を尋ねた。

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