第42話 闇の皇子は英雄になる

 ダーレスから流れる魔力の奔流が止まる。

 氷の魔力が体を覆い、新たな巨躯を作り始める。


「暴走が収まったか……じゃが気を抜くなよテリオス、これからが本番じゃ」

「ええ、わかってます。あれが簡単に倒せる相手じゃないって」


 学園長の言葉に頷きながら、現れた新たなる敵を睨んだ。


 その姿にテリオスは、見覚えが――なかった。


 なにせこの世界にも、ゲームにも。

 存在しないとされていたから。


「ああ、あの姿はまさしく……かつて大陸を支配した邪竜が一匹」


 学園長は、氷の体躯を持つ姿を知っていた。

 自然と拳に力が入り、苦い思い出が駆け巡る。


「氷竜コキュートスじゃ」


 北の山脈に封印されたはずの、伝説の邪竜。

 ダーレスの暴走した魔力を使い、この世界に顕現した。






 テリオスは果敢にも邪竜の脳天めがけて突撃する。握りしめた剣に全力の一撃を放った。


「ダー君を……返せえっ!」


 だが、限界が来ていた。邪竜の額に直撃するも、剣が真っ二つに折れる。 


「流石にこの剣は限界か……フィオナ、エリーゼ! 魔法を頼む!」

「はいっ!」

「任されましたわっ!」

 

 ふたりの魔法が邪竜に直撃する。

 だがその程度ではかすり傷ひとつ負わせられない。


「無駄じゃテリオス、その程度の魔法は通じんぞ!」


 学園長は魔法で防御壁を張りつつ叫ぶ。


「だったら……エヴァン!」

「仰せのままに!」


 エヴァンが応えるや否や、ふたりが高く飛び上がる。続けてエヴァンが邪竜の瞳をナイフで切り裂き、さらにテリオスが蹴りを御見舞する。


 痛みに悶えた邪竜が咆哮を上げた。


「よし、効いたな!」

「バカ者、怒らせおって! ブレスがくるぞ下がれぃ!」


 手応えを感じたテリオス。だが同時に学園長も叫んでいた。

 邪竜はテリオスを標的と定め、大きく口を開いた。


「ナヴィ=ガトレアが命ずる。全ての精霊……ええい、面倒じゃ」


 学園長は両手を広げ、特大の障壁をテリオスたちの前へ生み出した。


「防げえええええええええええっ!」


 邪竜が氷のブレスを放つ。最大魔力の障壁ですら、簡単にヒビが入った。


「ちょ、これ大丈夫ですの!?」

「だまっとれエリーゼ! 千年前は出来たんじゃぞ……!」


 エリーゼの心配通り、障壁が砕け散る。だが運良くブレスも途切れ、学園長は胸を撫で下ろす。


「ふぅ、なんとかなったな」

「一息ついてる場合じゃないでしょ!」


 テリオスの言葉通り、邪竜はその場で飛ぶと、耳をつんざく咆哮を上げた。


「遅延行為しやがって……攻めるぞ、みんな!」


 テリオスが号令をかけるも、邪竜は無数の氷柱を生み出し乱雑に放った。


 地面に刺さったそれを足場にして、邪竜の顔面へと飛びかかると。


「落ちろぉっ!」


 力任せに眉間を殴りつけた。

 邪竜は衝撃に耐えられず、地面へと叩きつけられた。


「今です!」


 エヴァンが叫び、顔面に連撃を浴びせる。続くフィオナが左眼を刺せば、エリーゼの放った火球が翼を襲った。


 だから、学園長は。


「やったか!?」


 言うべきではないセリフを口にしていた。


「あ、それ言ったら!」


 テリオスが諌めても遅かった。邪竜は翼を広げて大きく息を吸い込んでいた。


「ほらぁ、余計なこと言うから!」


 またあのブレスが来る。


「な、ワシは悪くないじゃろ流石に! ええい、もう一度防いでやるわい!」


 それを防ごうとするものの、障壁は不発に終わった。


「あ、あーさっきの戦いのせいじゃのう……」

「せいじゃのう、じゃなくてどうするんですかあんなの!?」

「フッ……主殿が討伐した時は、ミザールの剣の力を使って光魔法で切り裂いていたものよ」


 テリオスの怒号が飛べば、得意げな答えが返ってきた。


「だからその肝心の剣は向こうにあるでしょうが! 他に手段があるとしたら……」


 このままでは全員がブレスの餌食になる。それを避ける方法は。


「殿下、提案があります」


 深刻な侍従の顔を見て、テリオスはすぐに理解する。

 エヴァンにこんな顔をさせるのはひとつしかないからだ。


「三つ目の闇魔法……か」

「はい、この状況を打破出来るのは……あの魔法だけかと」


 邪竜のブレスに対抗しうる手段は、もはやこれしか残っていない。だが三つ目の魔法を放つには、渋るだけの理由があった。


「けどアレを使えるのは……領域使ってる時だけだろ。また使うのは」

「殿下!」


 エヴァンの叱責が響いた。真っ直ぐと主の瞳を見据え、静かに伝える。


「僕なら……いいえ、僕『たち』ならもう大丈夫です」


 その言葉に頷きながら、フィオナとエリーゼが続ける。


「テリオス様、私たちを信じてください」

「テリオス殿下! わたくしなら大丈夫ですわ!」


 ふたりの決意に満ちた顔を見て、テリオスはようやく覚悟を決めた。


 悪役に憧れ続けた自分が。


「なら、今ぐらいは……英雄にでもなってやるか」


 誰かのために、生きる覚悟を。


「みんな、ここが正念場だ……俺に力を貸してくれ」

「はい!」


 テリオスの言葉に呼応する仲間たち。

 ブレスを構える邪竜に向けて、真っ直ぐと両手を伸ばす。


「ダー君を……助けるために!」

「はい……」


 いまいち納得できない仲間たち。


「領域発動」


 それでも闇の魔力が奔り始めれば、テリオスの体を支え始めた。


 闇が世界を塗りつぶし。


 光さえも飲み込む、小さな『穴』を産み出した。

 それは邪竜が吐き出すブレスさえも、どこかへと吸い込んでいく。


「魔力開放、充填開始……」


 テリオスが魔力を注ぐたびに、穴は次第に大きくなる。

 仲間たちは吸い込まれそうになるテリオスの体を必死に支え続けた。


「吹きとばせ」


 そして、消滅した。


 まるで世界が反転したかのように、景色は歪み全てを飲み込む。


「カッ」


 テリオスの顔が一瞬歪む。

 やっぱりこの三つ目の魔法も。




カオスティック……エンペラーズ、ノヴァ闇帝王の超新星!」




 やっぱり名前が恥ずかしいから。







 ツバキは夢を見ていた。

 それはテリオスの魔力が見せた、悪夢だったのかもしれない。


「ねぇ、カエデ」


 自分の名前を優しく呼ぶ、主の姿がそこにあった。本当の名を呼ばれた彼女は、傅きながら答える。


「なんでしょうか、ツバキ様」

「あなたには……迷惑ばかりかけたわね。私がドジなばっかりに」


 主は笑う。優しい人だった。

 自分よりも他人を大切にする、優れた人格者であった。だからこそその最期は、侍従を庇って命を喪った。


「そんなことはありません! 幸せでした……あなたにお仕えできた日々は、けれど、今はもう!」


 叫べば、涙が溢れ始めた。

 止まらず嗚咽さえも響けば、優しい腕に抱きしめられる。


「私ね、学園に行ってみたかったの」


 笑いながら主が答える。


「どんなところかな、どんな人がいるのかな……そう考えただけでワクワクしない?」

「けど、そこにはあなたが」


 ふたりの夢だった。

 しがらみだらけの国を出て、共に学園に通って、ありふれた青春を送る。

 永遠にその夢は叶わない。


 けれど。


「いるじゃない、『ツバキ』が」


 いつでも彼女がそうしたように、穏やかな微笑みを浮かべる。


 瞳を閉じてツバキは気付く――これは夢だと。

 妄想と願望が入り混じった、都合のいい安い夢。


 けれど、この言葉だけは。


「いつか教えてね……あなたがこれから過ごす日々が、どれだけ楽しかったかを」


 あの人が言いそうだなって、思えた。




「……はいっ!」












 ダーレスは夢を見ていた。

 それはテリオスの魔力が見せた、悪夢だったのかもしれない。


「ダー君」


 自分の名前を優しく呼ぶ、テリオスの姿がそこにあった。自分の名を呼ばれた彼は、うなされながらも答える。


「なんで、テメェがここに」

「助けに来たんだ……友達だからな」


 テリオスは笑う。優しい人だった。

 自分よりも他人を大切にする、優れた人格者であった。そのくせダーレスからの悪意には気付かない間の抜けた人間だった。


「ちげ、んなわけねぇだろオイ! ていうかなんだよこの白い空間、早くオレをここから出せよ!」


 叫べば、涙が溢れ始めた。

 止まらず嗚咽さえも響けば、優しく肩を叩かれる。


「俺さ、学園に来て良かったって思って」

「話聞けよ! いやそうか、わかったぞこれ!」


 叫びながらダーレスは気付く――これは夢だと。

 色んな異物が入り混じった、不都合な悪い夢。


 けれど、この言葉だけは。


「悪夢なら……醒めてくれーーーーーーーっ!」


 嘘偽りのない、心からの言葉だった。



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