第36話 闇の皇子は忘れていない
彼、菱川友介の高校生活に青春と呼べるものはなかった。
学校に向かい、入院中の母を見舞い、そのままバイト先へと向かって。
古いアパートに帰宅するのは、決まって十時を超えた後だった。
「今日のバイトはしんどかったな……」
それでも、白い息と共に漏らした不満は、境遇と釣り合わない軽口だった。
彼はまだ、人生を悲観していなかった。
病気がちだけど母がいて、成績はまぁまぁで。恋愛や友情とは程遠い生活だけど、将来には漠然とした期待を抱けていたから。
そんな時に出会ったのが、篠宮隼人という少年だった。
少年は十二月の寒さに振るえながら、半袖で膝を抱えていた。
「なぁお前、家の中入らないのか? 寒いだろこの季節は」
友介はそれを放っておける人間ではなかった。
母の口癖、『誰かのために生きなさい』という言葉が心の中にあったからだ。そしてその『誰か』を、目の前の少年だと思える優しさがあった。
「……ママがはいっちゃだめだって」
隣に引っ越してきた家族について、友介は心当たりがあった。派手な服と化粧の母親に、柄の悪さを誇る横柄な父親。
そして薄い壁の向こうから夜毎に聞こえる、甘ったるい男女の声。
「……だろうな」
肩を竦める友介。そんな夫婦にとって幼い子どもがどういう扱いなのか……少年の身なりと姿が、全てを物語っている。
「ぼく、いらない子だから」
泣きそうになる少年に、友介はしゃがんで目線を合わせる。
「誰かにそう言われたのか?」
「ママと、それから知らないおじさん」
「おじさん、か」
少年の言葉のおかげで、認識が改まる。どうやら父親だと思っていた相手は、少年にとっては他人なのだと。
友介はポケットから鍵を取り出し、アパートの扉を開けた。まともな暖房器具なんてないが、吹きさらしの玄関前よりはよほど暖かい。
「入るか? どうせ母さんは入院中で俺ひとりしか居ないからな」
そうするべきだと思ったから、少年を部屋に招く。
警察だとか児相だとか、そういう類の単語が頭を過る。けれど今この少年に必要なのは、飢えと寒さをしのげる場所だと理解していた。
「……でも、知らない人について行っちゃ駄目だって」
「家に知らないおじさんがいるのにか?」
物欲しそうに部屋を眺める少年に、友介は冗談を言った。おかげで緊張がほぐれたのか、少年の心が少しだけ明るくなる。
「友介。菱川友介だ」
遅れて、少年の手を半ば強引に握りしめる。冷たく、小さく、振るえた手。
湧いてきたのは、少年の両親に対する怒りだった。けれどそれを、唇を噛んで押し殺した。こんな子供に必要なのは、それじゃないとわかっているから。
「……隼人」
ようやく聞こえた名前を聞いて、友介は笑顔を浮かべる。そのまま少年の頭を撫でると、持っていたコンビニの袋を見せた。
「よし、これで知らない人じゃないな。何か食わせてやるよ」
「でも」
少年の腹が鳴る。それが悪いことだと教え込まれたのか、黙ってうつむきじっと耐える。その感情が少しでもほぐれるように、友介は頭を優しく撫でた。
「腹減ってんだろ? 子供が気にするなよ。それにどうせ……コンビニの廃棄弁当だしな」
「……ありがとう、友介」
「あのなぁ」
アパートの扉が閉まる。それが菱川友介が、少年に出会った日であり。
「さんをつけろよ、このガキが」
少年が、英雄になれた理由のすべてだった。
◆
「さぁて選抜クラスの諸君! このゴーレムはかの英雄を模したものである! 流石に魔法までは再現できんかったが、剣技の再現は本人のお墨付きじゃ!」
威勢のいい学園長の声が、大広間に木霊した。
だが生徒たちにとっては、英雄のゴーレムにしか興味が湧いていなかった。
「これが伝説の英雄様のお姿……なんだかお若く見えますわね」
英雄の像は大陸各地に存在する。しかしその姿形は地域によってバラバラである。
時の権力者や信仰のせいで、いいように歪められてきた存在……それが『英雄』であった。
もちろん、そう扱えてしまった理由は存在する。
「そういえば、お名前はなんとおっしゃるのでしょうか?」
フィオナが何の気なしに呟く。
英雄の本当の名は、決して明かされてはいなかった。だからこそ為政者たちにとって、利用しやすい存在であった。
「コラ、もっと敬わんかガキどもが! して名前じゃがな……トップシークレット、というやつじゃ」
その態度が気に入らない学園長。怒鳴りながらも理由にならない理由を答えた。
「どうしてですか?」
「本人の強い希望でな。気にしておったのだよ、自分が遠いところからきたことを」
「遠いところかぁ」
テリオスがゴーレムを眺める。
確かに在りし日の少年の面影は存在する。だが日本人的な特徴、と言われればそれまでのようにも思えてきた。
きっと英雄は俺と違って、そのまま転移してきたのだろう……と結論づけた。
の、だが。
「テリオスはもしかしたら……心当たりがありそうじゃがの」
学園長がチラチラ見ながら呟いた。
それが余計な一言だとは夢にも思わずに。
「そうですか?」
「……耳を貸せ」
「はい」
促されるまま耳を貸すテリオス。
「何で知ってる」
「何が?」
とぼけるまでもない、本気で彼は聞き返す。
「名前じゃ名前! 主殿のな・ま・え!」
「いや……まったく知らないっすね」
「とぼけおって、さっき呟いておったろうが!」
煽られたかと勘違いした学園長が語気を強める。
その反応が真に迫っていたせいで、結論を変える羽目になった。
「え、隼人のこと? あれってやっぱ隼人なの?」
改めて英雄像を眺めるゴーレム。確かにあの少年が成長した姿として妥当なもののように思えた。
「そうじゃ、それが主殿の名前じゃ! いまやワシしか知らぬのじゃぞ!?」
「あー……やっぱり知らない、ですね」
今度こそとぼけるテリオス。なので脇腹を思いっ切り殴られた。
「いって!」
「これが終わったら学園長室に来てもらうからな!」
脇腹をさすりながら、さらに余計な一言を滑らせてしまう。
「それって『勇』の試練が終わったら、って意味ですか?」
この英雄像を倒しても、すぐさま次の試練が行われるという『誰も知らない』事実を。
「……どうやら聞くべきことが増えたようじゃな」
流石にやってしまったと反省する。
が、改めて思い直す。このあと『勇の試練』が控えているのは間違いないだろう。ならばここは最善の方法を選ぶべきじゃないだろうか。
「なぁみんな……ここは俺に任せてくれないかな」
唐突な提案に、エヴァンがすぐさま聞き返す。
「おひとりで、ですか?」
「まだ戦力は温存したいからな……それに、さ」
テリオスは腰の模造剣を引き抜く。
英雄の像に対峙すれば、自然と笑みがこぼれてきた。
まだ、忘れていないから。
「あいつの相手は……きっと俺の役目だから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます