第35話 闇の皇子は孤独じゃない

 闇帝王の領域。


 作中におけるテリオスが最強と呼ばれた所以である。


 彼に近づこうものなら、問答無用で全能力を下げられる。さらに付与される『恐慌』は、確率で行動を失敗させるという極悪な状態異常だ。


 ただしこれは……あくまで『ゲーム』での話である。


 現実となって襲いかかるそれは、悪夢と呼ぶべき代物だった。










 押しつぶされるような不安と、身を裂くような焦燥感がフィオナを襲った。 


 暗闇の中では、歩き方すら忘れてしまいそうになる。


 それでも彼女は一歩前へと踏み出そうとした。

 しかし掴まれたように足取りは重く、呼吸さえも苦痛に変わる。


 苦しさから逃れたくて、今すぐ喉を搔き切りたくなる。


 怖い。


 故郷が野盗に襲われときに味わった恐怖など、今この瞬間の比ではない。


 この闇が恐ろしい。


 おぼろげな視界の中で、敬愛する人の背中が見える。

 けれどその姿はもう、夢物語に出てくるような王子様には見えなくて。


 知らなかった、知ろうともしなかった。


 彼女にとってテリオスは、正真正銘の英雄だったから。

 きっとどんな困難だって、笑って乗り越えられるのだろうと。


 違った。


 いつも笑って、たまに文句を言いながら。


 こんな大きすぎる力を、ひとりで抱え続けて――。




「……フィオナ!」








 その場に這いつくばるフィオナに、テリオスは駆け寄った。

 

「大丈夫かフィオナ!?」

「あ、テリオス様……」


 顔は青く、息が荒い。震える背中を擦りながら、テリオスは謝罪の言葉を口にする。


「悪かった、もっと慎重になるべきだった」


 だがフィオナは首を横に振った。彼女の目には大粒の涙が浮かんでいた。


「違うんです……私、悔しいんです。許せないんです」


 テリオスは無言で優しく寄り添った。


「私自身が、です。テリオス様は、ずっと完璧な人だと思っていました……けれど違った、あんな暗闇を抱えるあなたは、誰よりも孤独な人だったから」


 彼女は見た、テリオス=エル=ヴァルトフェルドがその身に宿した闇の力を。


「寂しいじゃないですか。誰も寄せ付けられないぐらい、強い力なんてものは」


 あまりに大きく、あまりに重く。

 その力を振るおうものなら、誰も隣に立てはしない。


 フィオナはそれが悔やしかった。

 気づけなかった自分が、ここで這いつくばることしかできない自分が。


「だから」


 震える体で、必死に体を起き上がらせる。

 それが彼に忠誠を誓った、自分の為すべきことだと信じて。


「私……戦います! あなたの代わりなんかじゃない、あなたを助けるためだけに」


 しかしフィオナの足は、まだ癒えてはいなかった。


「けど怪我人を歩かせるわけには……あ、そうか」


 そこでテリオスは思い付く。

 怪我した彼女を抱えながら、この迷宮を駆け抜ける方法を。


 単純明快な答えだった――自分がフィオナを抱えればいい。


「きゃっ!?」


 突然のことに驚くフィオナ。

 まさかこんなところで、お姫様抱っこをされるなんて夢にも思っていなかったのだから。


「これなら魔法は使えるだろ? ちょっと気恥ずかしいけどな」

「……そう、ですね」


 恥ずかしさに染まった頬を、フィオナが数回叩く。

 照れている場合なんかじゃないと、十二分にわかっていたから。


 また気を張り始めた彼女に、テリオスは笑いかける。

 なにせ彼女の言葉には決定的な間違いがあったから。


「それと、さ。俺はそんなに孤独じゃないよ。そりゃあ周りからは勘違いされがちだけど……今の俺には、みんながいるから」


 ――彼は思う。

 本物の『テリオス=エル=ヴァルトフェルド』は孤独だったのだろうと。誰にも理解されない力を抱え、その地位さえ奪われて。唯一の相棒の命を奪われ、自身の闇に飲み込まれた。


 だけど、自分は違うと断言できる。

 腕の中にある確かな暖かさが、それを証明してくれた。


「一緒に戦ってくれるか?」

「……はいっ!」






 フィオナを抱えたまま三層のゴールへとたどり着いたテリオス。ふたりを待っていたのは、既にここのボスを倒し終えたエヴァンたちであった。


「殿下、フィオナ嬢。ご無事で何よ」

「いやぁーーーーーっ! フィオナさんがテリオス殿下にお姫様だっこされてますわーーーーー!?」


 エヴァンの言葉をエリーゼの悲鳴が遮った。


「はやく、はやく降りなさい!」

「悪い、フィオナが足挫いて」


 すぐさまエリーゼは杖を構え、フィオナの挫いた足に触れた。


「はい! ヒーーーーーーーーーール! ほら降りなさいフィオナさん、早く早く!」

「あ、ありがとうございます!」


 促されるまま降りたフィオナが、その場で足の感触を確かめる。

 その様子を見ていた学園長が、居心地悪そうに歩いてきた。


「その、テリオスよ……すまなかったのう、安易に魔法を使わせるようなことをして」


 謝罪よりも、上階に影響があったことに驚くテリオス。


「半径って……そっち側にも判定あるのか。屋内で使ったことは無かったからな……みんなは無事だったか?」


 尋ねながらも全員の様子を確かめる。


「幸いエリーゼ様が愉快な悪夢を見た程度で済みましたけどね」

「いいえ、あれ以上の悪夢はありませんわ!」


 ふたりのやり取りを見て、こっちは大丈夫だろうと確信する。それだけに気がかりなのは、暗い顔をしたツバキだ。


「ツバキは大丈夫だったか?」

「……そう、だね。何にもなかったよ」


 嘘だと全員が気づいた。だが本人が口をつぐんだ以上、聞くべきではないと判断する。


 それは学園長も同じだったのか、わざとらしく手を叩いて強引に話を進めた。


「さぁてお主ら、前哨戦はこれで終いじゃ! テリオスとエヴァンは、これから全力を出すように!」

「全力、ねぇ」

「ハッ、その舐めた態度もこの扉をくぐる前までじゃ」


 テリオスの態度を鼻で笑いながら、最後の扉に魔力を通す学園長。


「『武の試練』。その最後を締めくくるのは、ご存知我らが英雄様……のゴーレムじゃ」


 それを聞いて、どこか安堵するテリオス。この先に待ち構えるのが、ゲームと変わらないと知ったからだ。


「だが侮るでないぞ、その力は本物じゃ。さぁ若人よ……世界を救った伝説に」


 作中では伝説の英雄の顔も名前も明かされなかったことを、彼はすっかり忘れていた。


 だから、夢にも思わなかった。


「『武』を示してみよ」


 開かれた扉の先で、彼を待っていた男の像に。


「は?」


 まだ自分が、菱川友介だった頃に出会った。




「隼人、なのか……?」




 ひとりの少年の面影を、垣間見ることになるなんて。

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