第34話 闇の皇子は魔法の名前が気に入らない
テリオスは自前の手帳の空きページに、ペンを走らせ説明する。
「まずフィオナ、俺が使える闇魔法は全部で三つだ。ひとつはそうだな……初日に見てたんじゃないか? 脅し用のアレだ」
「あの上級生を追い払った魔法ですよね」
「そうそう、あれ実は全く威力がないんだよ。目眩しとか獣避けにはなるんだが……ゴーレムには効かなさそうだな」
「なるほど……」
ひとつ目の魔法に、名前らしい名前はない。
正確には闇の魔力そのものであり、魔法とすら呼べない代物である。
「んでもうひとつが、エヴァンの言ってためちゃくちゃ強力な破壊の魔法だ。ただ威力の調整が難しくてさ、この狭さじゃどんなに抑えても校舎の床は抜けるだろうな」
「それは……使えませんね」
ふたつ目はすべてを飲み込む闇を生み出す破壊魔法だ。
ゲームでは広範囲高威力の魔法であり、喰らえばパーティは半壊必須だ。しかしプレイヤーを苦しめたのは三つ目の魔法だろう。
「最後のひとつは、正確に言えばふたつ目の魔法の下準備だな」
「下準備、ですか」
「いきなり超高威力の魔法を使うと俺の体も無事じゃ済まないんだ。だから周囲の環境を調整する展開型の魔法なんだけど……名前がなぁ」
「名前?」
「……笑うなよ」
今のテリオスにとって重要なのは、その魔法の名前だった。
プレイヤーだったころには『そんなものか』と受け流していたが、いざ口にするのは憚られる。
その名は――。
「
「カオスティック・エンペラーズ・フィールド、ですか」
カオスティック・エンペラーズ・フィールド。
口に出した瞬間、テリオスが全力で顔をしかめる。
「いや……俺だってダサいと思うよこの名前!? けどしょうがないじゃん、元からこういう名前なんだから!」
ゲームでそうなのだから、仕方ないと恥ずかしがるテリオス。
流石に様子を察したフィオナが、何とか話題を名前から逸らす。
「そ、それでどんな魔法なんですか……?」
「範囲デバフ、で通じるかな……俺を中心にした円範囲内の相手の能力を下げ、ついでに『恐慌』って状態異常もばら撒く魔法だ」
カオティック・エンペラーズ・フィールド。
ゲームにてテリオスが『常時発動』している魔法である。
半径五マス以内に入ったユニットの全ステータスを低下させ、確率で行動失敗になる『恐慌』というデバフを振りまく魔法だ。
「そ、それって……ものすごーく強くありませんか?」
「実際めちゃくちゃ強いぞ。けどデメリットがあってなぁ」
「デメリット?」
咳払いをひとつして、テリオスは言葉を続ける。
思えばこのデメリットは、ゲーム中ではほとんど意味のないものだった。
「ああ、魔法の範囲に入った相手なら……敵も味方も関係ないんだ」
なぜならゲームにおける彼の味方は、エヴァンひとりなのだから。
そのエヴァンも移動に優れており、常に最適の距離を保っていた。
だが今は違う。
彼の周囲にはもう沢山の仲間がいる。
皮肉にもテリオスの最強は、孤独であって初めて発揮されるものだった。
「けれど、それを使えば今のわたしでも戦力に……テリオス様、その魔法を是非お使い下さい!」
だがフィオナは思った。
もしゴーレムを弱体化出来れば、自分の魔法でも倒せるんじゃないかと。それなら自分は足手まといにはならない……そう焦ってしまった。
「んー……」
悩むテリオス。
この魔法は強力だが、直接的なダメージを受けるものじゃない。それにフィオナの気持ちを無下にする気にもなれない。
「わかった。けど厳しそうなら……すぐに止めるからな」
「ありがとうございます、テリオス様」
下された結論に感謝するフィオナ。
「……気をしっかり持てよ」
テリオスは立ち上がり、ゆっくりと右手を突き出した。
瞳を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。
自分の奥底にある闇の魔力を、少しづつ解き。
それを、世界へ解き放つ。
「領域、発動――」
暗く、黒く。
闇が、世界を塗り潰した。
◆
二層を進む一行。特にエリーゼは鼻息を荒くして先を急いでいた。
「ほら急ぎますわよ、おふたりとも! このままではフィオナさんとテリオス殿下のあれこれが……」
「いやいや、この状況で盛るようなタイプじゃないで」
ツバキが言い終わる前に、エリーゼは鬼の形相で振り返る。
「ツバキさん、何を言ってるんですか!? フィオナさんは……そう、飢えた獣! テリオス殿下という餌の前にやがて理性のたがは外れ……!」
「殿下には押しの強いお相手のほうが良いとは思いますけどねぇ」
「エヴァンさん!? それはつまりわたくしの押しが弱いと」
用意していた文句を言い終わる前に、エリーゼは首筋が冷たくなったのを感じた。
「今の、何かしら」
悪寒の正体に気づいたエヴァンが、全身全霊で叫んだ。
「いけない、その場でしゃがんで!」
瞬間、真っ暗な闇が彼らを包んだ。
巨人の腕に押し潰されたような重さが、彼らを地面に叩きつけた。
「なんじゃなんじゃ、なんじゃこれは! 知らんぞこんな罠は!?」
潰れた蛙のように這いつくばる学園長。
迷宮の罠だと勘違いしていたが、事情を知るエヴァンから文句が飛んでくる。
「罠じゃありません、これは殿下の魔法です!」
「なっ、こんな魔法の存在……知らんぞワシは!」
「知らなくたって、あるんですよ! 学園長のせいですからね……!」
「ワ、ワシが悪いと」
「そうです! 殿下は物理攻撃しかできないわけではありません……魔法が強すぎるせいで、仕方なく物理で戦っているのです!」
驚愕する学園長。今まで散々目にしてきたテリオスの強さが、魔法以下だとは夢にも思っていなかった。
「し、知らんわそんなの」
「自習ばっかりだからでしょう! 次が来ますよ……皆さん、気を強く持って!」
「ま、まだ何かあるのか!?」
エヴァンは知っていた。
今自分たちを襲っているのは、単なる能力低下のためのものだと。
だから、次が来る。
最も恐ろしく、最も苛烈な――『恐慌』が。
再び彼らを闇が襲う。だが先程よりもずっと、暗く重くのしかかる。
「なんじゃこれは……! この、光景は!」
学園長の脳裏には、かつて経験した地獄のような過去が過ぎっていた。
思わず周囲を見回せば、ツバキは肩を抱き震え上がっていた。
「……なさい」
唇が何度も同じ言葉を繰り返す。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、と。
次にエリーゼに視線を送る。彼女は両手で顔を押さえながら、悲痛な金切り声をあげた。
「いやぁーーーーーっ! フィオナさんとテリオス殿下が朝チュンしてますわーーーーー!?」
内容が内容のせいで、学園長は無駄に混乱してしまう。
「エッ、エヴァン解説せぬか!」
「この魔法は範囲内の相手の能力を下げ、恐慌……対象に悪夢を見せる効果があります。それが」
求められた説明をするエヴァン。
だが最後だけは言い淀み、耳が少しだけ赤くなる。
「カッ……カオスティック・エンペラーズ・フィールドの力です!」
だが、何とか言い切った。
「……奇抜な名前じゃな」
「僕だって言いたくありませんよ!?」
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