第30話 闇の皇子は嫌われ方を教われない

 悪夢。


 それ以上に適切な言葉がダーレスの脳内に存在しなかった。


 何でもやった。不意打ち、砂かけ、魔法……。

 一対一の戦いで、おおよそ卑怯と呼ばれる戦法はすべて試した。

 しかし目の前のテリオスには何ひとつ通用しない。


 だが本当の悪夢は攻撃が通用しないことではなかった。


 何度も何度も何度も何度も。テリオスに命中した。

 頭にだって直撃させた。もはや常人では立っていられないだけの攻撃を与えた。


 なのに。


「どうしたどうしたどうした!」


 テリオスはその度に笑顔で向かってくる。


「もっと教えてくれよ、ダーレス!」


 急激に距離を詰めるテリオスに、思わずダーレスは目を閉じた。

 やられる、今度こそ。

 だが同時に安心してしまっていた。ようやくこの悪夢から自分が開放されるのだから。


 しかしテリオスの剣がダーレスに触れることはない。

 代わりに頭の上から垂らされたのは、最高級の回復薬だった。


「人様からの……嫌われ方ってやつをな」


 テリオスの妖しい笑みに、ようやくダーレスは理解した。


 自分は怒らせてはいけない相手を怒らせたのだと。


 テリオスにとって自分は、取るに足らない雑魚であると。


 全身を駆け巡るこの感情こそ。


「お」


 恐怖という名の敗北なのだと。

 

 だから彼は、肩を震わせ涙を流して。


「オレの……負けだ」


 最強への道を自ら閉ざした。ただ眼前のテリオスから逃れるためだけに。






「え? なんだって?」


 が、テリオスの耳には砂をかけられたせいでよく聞こえていなかった。

 小指で耳の穴をほじくって――あーそこそこ右だ右、よし取れた。


「今なにか……言ったか?」


 改めて笑顔で聞き返すテリオス。

 それがどれだけダーレスの心をかき乱すかも知らずに。


「……ああああああああっ!」


 言葉にならない悲鳴を上げながら、全力で逃げ去るダーレス。

 その背中を見てテリオスは、つい呟いてしまった。


「まだ途中だったのに……」


 だからテリオスは、次に会った時はもっと色々教えてもらおうと思いましたとさ。


 おしまい。


「やりすぎじゃ馬鹿者」


 と、テリオスを小突く小さな影が一つ。


「いたんですか?」


 振り返るとそこには、深い深い溜め息をついた学園長の姿があった。


「いたも何も最初から見ておったわ。少しは相手との実力差を考えろ……あやつにはいい薬になったかも知れぬがな」

「いや嫌われ方を教えて欲しくて」

「本当わけわからんのうお主は」


 言いながら、眉間に深い皺を刻んだ。


「ともあれ……あやつもウチで面倒を見ると決めた生徒のひとりじゃ、少しはフォローしてやるかの」


 それから周囲を見回して、丁度よさそうな人材を見繕った。


「ツバキ! すまぬがダーレスの部屋まで見舞いに行ってくれぬか?」

「えっアタシが!?」

「教師が行っても余計プライドをこじらせるだけじゃろあやつは。それに選抜クラスの中では」


 学園長は残りの選抜クラスの面々の顔を見回す。


 テリオス、駄目。

 エヴァン、こいつも化物。

 フィオナ、論外。

 エリーゼ、なんか失敗しそう。


「お主以外は……アレじゃからな!」


 アレ呼ばわりの四人が一斉に頷く。

 ツバキが一番常識的な人物だというのは、もはや彼らの共通見解だった。


「して、選抜クラスの面々よ。お主らは見事『知の試練』を突破した……後日『武の試練』に挑んでもらう!」


 学園長は昼前に伝えきれなかったことを堂々と宣言した。

 観客の生徒たちからは歓声と拍手が巻き起こる。


「えぇ……」

「なぁにが『えぇ』じゃ、いつも人を騒がせおって」


 テリオスの顔を見て、学園長はつい思い出す。

 かの無自覚な英雄の後始末も、仲間たちの仕事だったなと。


「これからワシはこの騒ぎの後始末に忙しいから……今日の午後は全部自習じゃ!」

「え」


 自習。それを聞いて黙っていられるほど観客たちは甘くなかった。テリオスの首筋を冷や汗が流れるが、もう遅い。


「テリオス様! 先程の戦いお見事でした!」

「ぼ、僕達にも稽古をつけてください!」

「あ、俺が先に頼もうとしてたのに!」


 ひとりの生徒が声を上げると、次々と他の生徒も立候補する。


「僕が!」

「俺が!」

「私が!」


 もはや一触即発の事態に、かと思えば。


「「「「テリオス様、お願いします!」」」」


 一糸乱れぬタイミングで、一斉に頭を下げ始めたから。


「こ」


 テリオスは足元の砂をじっと見つめ、ゆっくりとそれを拾い上げると。


「これでも喰らえっ!」


 生徒たちに向かって投げつける。早速教わったことを実践したテリオスだったが。


「「「「ご指導、ありがとうございます!」」」」


 この狂信者たちには何一つ通用しなかったので。


「ダッ……ダーレスくんの……嘘つきぃ!」


 明後日の方向に向けて全力で逃げ出すテリオス。

 その時思った、次こそはもっと人から嫌われる方法を教えてもらおうと。







 カーテンを全て閉め切り、部屋の片隅で膝を抱え震えるダーレス。

 先ほどまでの光景が頭から離れない。


 何をしても得られない手応えに、何度でも返されるあの笑顔が――。


 瞬間、吐き気が込み上げてきた。必死に口を押さえるが、目の端からは涙が溢れる。


 無理だ、勝てない、絶対に。


 悪夢が何度も脳裏に過ぎる。

 何をどう手を尽くそうが、テリオスに勝てる方法は思いつかない。


 枷も鉄格子もないのに、この部屋はもはや牢獄以下の地獄へと成り果てていた。


 そんな地獄にノックの音が鳴り響く。

 ダーレスは無視を決め込もうとするが、一向に鳴り止む気配はない。


「……誰だよテメェは」


 扉を開けると見覚えのない少女が立っていた。


「ツバキってんだ。選抜クラスの一員だよ、見覚えないかな?」

「アイツの仲間かよ……オレを笑いにでも来たのか」


 突っかかるダーレスだったが、昨日までの威勢はもうない。

 震え声の威嚇など気にせず、ツバキは部屋の中へと入る。


「つれないなぁ、君とは……初対面じゃないっていうのに」


 それから乱暴に投げ捨てられていた、白いタオルを頭に被るった。


「テメェは……あの時の」


 牢屋に現れた真っ白なローブの人影。その姿が今、ツバキと重なる。


「ま、これで君もテリオスとの実力差を理解できたんじゃないかな」


 タオルを放り投げ、わざとらしく肩を竦めるツバキ。ダーレスに詰め寄ると、震える肩を優しく叩いた。


「だったらさ、もうわかったよね? それを埋める方法はたった一つ。英雄の道標……いや、ミザールの剣を手にすることだって」


 唆すツバキだったが、ダーレスは首を縦に振らない。


「君はどうしてミザールの剣が『英雄の道標』だなんて呼ばれているか知ってるかい?」


 だから彼女は切り口を変える。語るのは伝説につけられた、大層な名前の由来だ。


「あれはね……伝説の英雄が使っていた剣なんだ。邪を払い、悪を挫き。天に掲げられたその剣は、明日も知れぬ人々の道標となった」


 彼女はダーレスに笑顔を向ける。親しみの込められたそれは、手段と本心さえも覆い尽くす。


 手段。


 ミザールの剣を彼に握らせることだ。資格のない人間が道標を手にしたら、どうなるか――英雄と縁深い連合国に残された古い文献には、しっかりと記されていた。


 魔力の暴走。……『テリオス=エル=ヴァルトフェルド』がゲームで死んだあの時のように。


「だからさ、君がみんなに示そうじゃないか」


 本心。


 連合国の意向に従うのは、所詮は上辺だけのものだった。学園も国も……彼女にとってはどうでもいい。




「テリオス=エル=ヴァルトフェルドは……討ち払うべき『悪役』なのだと」




 最愛のツバキを亡くした世界など、彼女には何の価値もないのだから。


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