第22話 闇の皇子は知り合いと怪我人は流石に殴れない

「流石の学園長だって暴力を起こした生徒は停学にしてくれるだろう……10日ぐらい」


 校舎へと戻ったテリオスが呟く。


「気合い入れろよ、テリオス」


 それから頬をぺちぺちと叩いてから、大股で校内を歩き始めた。


「俺はやるぞ俺はやるぞ俺はやるぞ俺はやるぞ」


 自己暗示をかけながら進んでいたテリオス。

 だがどういうわけか、校内に漂う雰囲気がいつもと違っていた。


「助けてください、テリオス様……」


 刃物で斬り付けられた生徒がそこら中に溢れていたのだ。だからテリオスは思った……ゲームと違ってこういう訓練もあるんだな、と。


 怪我人を殴れば嫌われ者間違いなし! と頭を過るが、捨てきれない良心に邪魔をされた。


「流石に怪我人は殴れないよな」


 救護班の姿が見えなかったので、代わりにと回復薬を差し出すテリオス。


 次に見つけたのは今朝サインしてやった女子生徒だった。


「テリオス様、お逃げください……」

 

 知り合いを殴れば嫌われ者間違いなし! と頭を過るが、今度は理性に邪魔をされた。


「うーん、知り合い殴るのは後々面倒くさそうだな……」


 ので回復薬を手渡すテリオス。


 さらに廊下を進んでいくと、今度は見覚えのない白髪頭が目に入った。


「ハーッハッハ! どうしたどうしたテメェらよぉ!」


 男は歓喜の声を上げながら、次々と生徒たちに襲いかかっていた。


「所詮はガキどもの集まりかよ、雑魚ばっかりで欠伸が出るぜ!」


 目を細めて確認するテリオス。知り合いじゃ、ない。怪我もして、ない。


「よし、あいつにしよう」


 テリオスの心は躍り始める。

 いやーよかったこんなところにちょうどいいサンドバッグが二本足で歩いてて、停学になったら部屋で引きこもりかな、何しようかな溜まってた本を夜中まで読んで、それで昼まで爆睡して、それからジョージにはなんか美味いもの用意してもらって、それからそれからそれから――。


「おい」


 テリオスは満面の笑みを浮かべながら、白髪頭の肩を叩く。


「あぁ!?」


 男が振り返った瞬間、テリオスは拳に力を込める。

 二割、いや一割……五分でいいか。死なない程度に最大限の手加減を決めてから。




「……ありがとうございます!」




 イザール帝国最強の皇子を、いとも簡単に殴り飛ばした。







 死。


 それはダーレス=イザールにとって、あまりにも身近なものだった。


 初めて魔物の討伐に駆り出された時、兵の半分が討ち死にした。

 それでも彼は、恐怖など感じはしなかった。すぐに『そういうものだ』と受け入れたからだ。


 厳しい自然と蔓延る魔獣……イザール帝国にとって、人命はあまりにも軽いからだ。


 代わりに、強さこそがもっとも重要だった。


 自然に負けない強さが、魔獣を屠る強さが。


 だから彼は最強を目指した。

 何者にも負けぬ強さを渇望した。

 イザール帝国の実情を知らず、安寧に過ごす他国を蹂躙する強さを。




 彼はテリオスの顔を知らなかった。


 長髪長身の美丈夫、とい噂だけを耳にしていた。

 それでも目の前の男こそが、テリオス=エル=ヴァルトフェルドなのだと直感で理解した。


 髪が長いから? 違う。

 顔がいいから? 違う。


 満面の笑みを浮かべて、素手で自分に挑む異常者だからだ。


 動けなかった、動かなかった。

 強さを超越した先にある、絶対的な死の化身がそこにいた。


 その時のダーレスは、まだ知らなかった。


 生まれて初めて味わったこの感情を、人は恐怖と呼ぶのだと。







 拳が頬を殴り抜ける。

 衝撃に耐えきれずに、白髪頭の体は校舎の壁へと激突した。


「ふぅ……」


 痛くもない拳をさすりながら、テリオスは内心で叫ぶ。




 ――やっちまった~~~~~っ。




 心臓の鼓動が早い、喉が真夏のように乾く。

 それでも休日停学への高揚感だけは抑えきれず、自然と笑顔に変わっていく。


「テリオス!」


 と、ここで聞き覚えのある声に呼びかけられる。

 だから彼は学園に来て初めて、尊敬の眼差しで彼女を見つめた。


「が、学園長! 見ていてくれたんですね!」


 普段は自習で授業を丸投げにして、あまつさえ人の食事を奪うクソガキが今、最高の証人になってくれた。


 それ以上の喜びなど、今のテリオスには存在しない。


「ああ」


 学園長は不敵な笑みを浮かべて、のびているダーレスに視線を送る。それからテリオスの背中を大きく叩いて、満面の笑みを浮かべた。


 停学停学停学停学。テリオスの望んだ自由な学園生活が、今――。


「でかしたぞ!」


 ――始まりませんでした。





「……なんでだよっ!」





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