第3話 闇の皇子はイジメができない
カリスト大陸には四つの国が存在し、長きに渡り覇権争いを続けていた。東に位置するレグルス帝国、南には大小様々な島で形成されたシェアト連合国。肥沃な平地が広がる西部にはエルトナ王国が、雪に覆われた北部はイザール帝国が支配していた。
歴史上様々な戦争が行われて来たカリスト大陸だが、唯一戦火から免れた場所があった。
「ここがアークトゥルス学園か」
それこそがマジック&ソードタクティクスの舞台、アークトゥルス学園である。四国が交わる大陸の中心に位置し、世界の発展と永世中立を謳う教育と研究のための機関である。
かつて大陸を邪竜から解放した英雄が設立した由緒正しき存在であり、学園の卒業資格は爵位に勝るとさえ言われる程だ。
そんな場所で制服の上着をマントのように羽織ったテリオスは、校門の前で深呼吸をキメていた。
「……いやぁ、素晴らしい」
「具体的には?」
テリオスの奇行に目を逸らす生徒達。それこそが彼にとって何よりも価値のある物とも知らずに。
「誰も俺のことを知らない」
「殿下と国内を歩けばすぐ民に囲まれますからね。一昨年でしたっけ? こっそり城を抜け出して本を買いに行ったら、正体がバレて夜まで握手会になったのは」
「あの時は大変だった……だから俺は同じ轍を踏まない方法を思いついた」
テリオスは入学までの一月で考えていた。どうすれば自分が本屋の新刊の棚を好きに眺められるようになるかと。
「一応お聞きしましょうか」
「最初っから悪役ムーブを徹底して……学園中から嫌われることだ」
テリオスは拳を握り、自信満々にエヴァンに答える。そして決行のタイミングには、入学式前のオリエンテーションが行われる今日が相応しいと。
「そうですか。どうぞご自由に」
「意外だな、どうせ無駄だとか無理とか言うと思っていたが」
「言いはしませんが思っていますよ」
エヴァンの辛辣な言葉に思わずテリオスはたじろぐ。侍従である彼は知っていたのだ、悪役ムーブとやらが思い通りに行った試しはないと。
「この野郎……今に見て」
ろよ、と言い切る前に校舎から汚い言葉が聞こえてきた。
「おいおい、平民が生意気にも制服着てやがるぞぉ!」
「特待生だか知らないけどなぁ、ここはオレ達貴族が通う場所なんだよ! 平民は田舎で芋でも育ててるんだなぁ!」
二人は察する、どうやら平民の特待生が上級生に虐められているのだと。
「……今実演してやるからそこで見ていろ」
「ええ、期待して見ていますよ。華々しい殿下の悪役デビューを」
エヴァンに向かって力強く親指を立ててから、悠々と現場に向かうテリオス。
「なぁ先輩方。それ新入生イジメって奴か?」
テリオスはポケットに手を突っ込みながら、二人の上級生に声をかけた。もちろん嫌われたいので敬語なんて使わない。
「なんだお前、まさかオレ達に文句があるんじゃないだろうな」
「まさか。俺もイジメに興味があってね……気に入らないという理由で身分の低い人間をいたぶるという趣味は大いに唆られる。しかも相手が平民だっていうなら」
テリオスの作戦はこうだ。先輩と一緒になって特待生を虐める、と。初日から王族が身分を傘にイジメに参加したともなれば、そりゃあもう評判は地に落ちるだろうと。
「どんな顔してるか拝んでやろう」
だが、彼は失念していた。
「かな、って」
この学園における平民の特待生は主人公だけであり。
「……フィ」
あのゲームの主人公は。
「フィオ『ナ』?」
性別を選べるという仕様を。
フィオナ、姓のないただのフィオナ。マジック&ソードタクティクスにおける『女』主人公の名前である。彼女の人生は以下略。
「は、はい。えっと、もしかして貴方は……」
ヤバいヤバいヤバいヤバい。テリオスの顔面は蒼白になり、掌と背中が嫌な汗でビショビショになる。
それもそのはずゲームにおけるテリオスの最期は、主人公との対決に敗れるという流れなのだから。
――主人公イジメは無理だって死にたくないんだよこっちはいや本当マジでどうすりゃいいんだよこれあれかとりあえず何でもいいからこの場をどうにかしないと詰む奴じゃねぇか。
混乱したテリオスは、考えなしにフィオナの顎をクイっと掴む。
「おいフィオナ」
「は、はいっ!」
彼の脳裏に幼稚な悪口が過ぎる。ブス、ハゲ、チビ、デブ、バカ。だが目の前の彼女は全部逆、美人で美しい金髪に女性の中では背が高くスタイルも頭もいい特待生だ。
駄目だ、悪口が思いつかない……そうして悩み抜いた末にテリオスが出した結論は。
「お前、俺のモノになれ」
その後の二人の人生を決める致命的な一言になってしまった。
「……よ、よよよよ喜んでっ!」
よかった主人公との敵対は避けられたと安堵するテリオス。
だがこの時の彼は失念していた。自分の顔面が百億万点であり、おまけに彼女は『この世界』における『一般的な田舎の帝国民』だという事実を。
「あー、というわけだ先輩方。たった今から彼女は俺の所有物となった……俺の許可なく触れるのはやめてもらおうか」
そんな話はつゆ知らずして、テリオスは二人の上級生に向き合う。
「お前の許可だと……何様のつもりだテメェは!」
「何様、か。しばらくはそう聞かれる機会も無かったな」
盗賊狩りをしていた時は散々耳にしてきた台詞に思わずテリオスは目頭が熱くなる。
「我が名はテリオス=エル=ヴァルトフェルド」
そして掌に闇の魔法を生成する。威力を最小限に抑えた、脅すためだけに編み出したそれを。
「貴様らのような木っ端貴族共をいたぶるのが大好きな」
地面に叩きつければ、上級生達は震え上がる。そこで気付く、自分達はとんでもない相手の不興を買ってしまったのではないかと。
「レグルス帝国の皇子『様』だ」
だが後悔してももう遅い。テリオスは二人の首を同時に掴み、軽々と持ち上げる。
「わかったなら……そこで寝ていろ!」
テリオスが二人の上級生を乱暴に振り下ろせば、二人は地面に突き刺さる。これでよし……と安堵したテリオスを待っていたのは、エヴァンからの拍手だった。
「おいエヴァン、何拍手してんだよお前は!」
「流石ですテリオス様、身分は違えど大切な帝国臣民を守る為に、我らが帝国の名を出し他国の貴族を諌めるなど……素晴らしい『悪役』の姿に感服いたしました」
エヴァンが見てきた光景をそのまま口に出せば、他の生徒達も自然と拍手を始めた。側から見るとテリオスの行いは上級生から女性を守っただけのいい人なのだから。
「おい嫌味だろそれ」
「感服したのは本心ですよ? そんなことよりも……女性を待たせるのは如何なものかと」
エヴァンに促されて、自分のシャツがフィオナに引っ張られていたのに気づくテリオス。
「助けて頂いてありがとうございますテリオス様。まさか私の名前をご存知とは夢にも思っていませんでした」
「え!? あっうんそうだね!」
蕩けるような熱い視線をテリオスに向けるフィオナ。あれこれ色んな意味で選択間違えたんじゃねと思いつつも、彼は探るように彼女に告げる。
「あー、その、それでだなフィオナよ」
「はい! 今日から貴方のモノのフィオナです!」
満面の笑みを浮かべるフィオナに思わずたじろいでしまうテリオス。
「その、それさ……方便ってやつだから。悪いなモノ扱いなんかして。じゃ、残り三年は他人でいようか」
とりあえず逃げよう、そう決意してももう遅い。フィオナはテリオスの右手をがっちりと握り締めていた。
「お待ち下さいテリオス様! 私がこの学園に来たのは」
フィオナ、姓のないただのフィオナ。マジック&ソードタクティクスにおける『女』主人公の名前である。彼女の人生は。
「テリオス様にお礼を言うためだったんですから!」
テリオス=エル=ヴァルトフェルドによって、悉く改善されてしまっていた。
「……どゆこと?」
もっとも当の本人には、心当たりなど一つも無かったのだが。
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