Vampire Night

花崎つつじ

プロローグ 田中晴海という男

 ワンルームの自宅のアパートへ続く一本道、梅雨も終わったというのになぜか肌寒い私道を田中は警戒しながら歩いていた。だが、点滅する街灯の下、白い着物を着た髪の長い女を見た田中はつい足を止めてしまった。

構えていたのでそこまで驚きはしなかった、が、人間界ではあまり見慣れない光景に、その異質さについ、うっかり。

 その女が幽霊の類だと分かっている田中は、それが自分のほうへゆっくり近づいてきても、枯れ枝のような腕を伸ばしてくる王道パターンにも焦らず、背を向けて逃げるなどという愚かなこともせず、丁寧にリュックを下ろした。周囲に誰もいないことを確認する。『突如忽然と消える平凡な会社員』なんて目撃されたら、また転職しないといけない羽目になる。あんな面倒な展開はもう御免だ。


「オマエモ」


 ちょっと肌寒いだけだった私道全体が一気に冷え込み、そこが女の領域になったことを田中にわざわざ教えてくる。


「ツレテッテヤ」「霊域に?」


途端に女が狼狽の色を見せる。顔は見えないが、メチャクチャビックリしているのは分かる。女の狼狽で、私道の周りがグッと冷え込んだ。


「それはちょっと」


すぐ触れられる距離にあった女の手がわずかに引っ込められるのを確認した田中はその腕をしっかり掴み、空いた手で指をパチンと鳴らす。田中の全身が黒い煙に包まれ、女をも巻き込む。


「何?!」

「悪いけど、あそこは嫌いなんだ」


 煙が晴れると、黒のスーツ姿だった田中は裏が赤、表が黒のマントを羽織ったタキシード姿に変わっていた。丁寧に撫でつけられた七三分けは崩れ、長い髪が左目を隠す。黒髪はかすかに赤みがかり、犬歯が口の端から少し飛び出してきている。女の腕を掴む手の血色は後退し、爪は異常に尖っていく。その姿はまるで、言うなれば、ヴァンパイアそのもの。


「俺を引きずってっても意味ない。それから、」「ア°ーーーーーーーーーーー?!」


音にならない叫びを上げながら、女はヴァンパイアの手の中で煙になって消えた。

異形界域フルサトまで逃げたのだろう。


「霊域はジメジメしてるから苦手だったなぁ」


 逆ドッキリに成功した田中はもう一度指を鳴らし人間の姿に戻る。通勤リュックを背負い直して、ワイヤレスイヤホンにお気に入りの曲を流し始めた。



 田中晴海29歳、平凡な容姿、突飛ではないが名付けた者のセンスが光る名前。ただしその正体は、平凡な男のつもりで生きている"ちょっと特殊なヴァンパイア"

 その名を、ヴィヴィアン・グレイという。

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Vampire Night 花崎つつじ @Hanasaki-Tsutsuji

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