第43話 青龍降臨 弐

「……随分と話し込んでいるな」


 癸本家に、仁が突然の来訪。

 それも他者を圧倒する〝強者の風格〟をまとった、他から見れば暴走状態でだ。

 話しでしか聞いていなかった結ですらも、あの様子の仁に少し恐怖を抱いた。


「穏便に話しが終わっていればいいが……」


 しかし、結の心配は杞憂に終わり、呆気なく玄関が開かれた。

 リビングに入って来た二人からは、やはりまだ少し緊張感のようなものが溢れている様子……


「……大丈夫だったのですか? 兄様」


「ああ、特に問題はなかったよ」


「それならいいのですが……」


 誓の後ろから入ってきた仁は、未だに少し圧が残っているように感じる。

 先ほど感じた恐怖に似た何かがそう感じさせているのかもしれないが……碧色の呪力が瞳を変色させているいるのが、何よりそう感じさせていた。


「それで、仁。お前はどうしてここに来た? 治療は完全に済んだのか?」


「紫医院にいたおばあちゃんみたいな口調のお姉さんに治してもらいました。全く問題なしですね」


 では、どうしてここに来たのか?

 それが一番の疑問である。

 あれほどただならぬ雰囲気で来られては、こちらも動揺してしまう。


「――――どうしてここに来たのかは……が原因です」


 そう指で示した場所――それは、一年間基本的に誰にも見せてこなかった呪詛に蝕まれた右半身であった。


「……どういうことだ?」


「あー……誓さん。お願いしやす」


「仁くんはどうやら、右龍さんと戦った影響で【青龍の加護】の感覚を掴んだようでね。目が覚めた時から常時発動しているらしい、そこで結の呪詛に反応してここまでやってきたようだ」


「【青龍の加護】を常時発動? 右龍さんと戦った? ……そうか、今日は四傑の参観日か。なるほど、だからこんな異様な空気をまとっていたわけですね」


 陰陽師としては異様な空気と例えることが出来るが、もしも陰陽市ここに出入りしている一般人が見たら怖気が止まらなくなるほどの寒さを感じることだろう。

 今の仁の状態は、一般的に言う霊感の〝霊〟そのものと例えるような膨大な呪力を内包している。


「そう。本人曰く、エンジンがかかった状態らしい。久しぶりに強者と戦えて昂っているんだってさ」


「……仁は本当に一般人からのですか? 元々鬼だったと言われても不思議ではないような話しですが」


「それは私も思っていることだから正しい認識だと思うよ。まぁ、話しを戻すとね? 一年前に受けた呪詛が、結の体でとんでもない悪さをしているらしくてね。それを仁くんが祓いに来たってわけなんだ」


「呪詛を……祓いに……? そんなこと出来るのですか?」


 あの紫ですらも手を上げた奇病。

 人の呪力と呪体の呪力が融合してしまったことで起こる、絶対的に回復不可能と呼ばれた症状――それが〝呪詛〟。

 呪力を扱えば怨霊と化し、呪力を扱えばければ陰陽師と呼べず。

 更に言えば、何もしなかったらしなかったで呪詛が人の体を飲み込んでいき……衰弱した人間の死と共に呪詛がこの世から消滅する。

 まさに、陰陽師を殺すやまいだ。


 それを……こいつが治せると?


「……言いたいことは分かるよ」


「っ、顔に出ていましたか……」


「顔にも出るさ。この一年間……かなり苦労したものだ。それのせいで結が陰陽師を辞めることになったのも、人前にあまり出れなくなったことも知っている」


 元々は一等級の陰陽師。

 それも一部隊を預かる部隊長であった結が、こうなってしまったことでどんな思いをしたのかは誓もよく知っている。


『癸の長女は終わったな』

『あれはもう使い物にならない』

『陰陽師としての価値も、女としての価値も失った』


 そんな絶望に近づけさせるようなことを耳にした回数は、数え切れないほどだ。


「……正直に言えば、複雑です。未だに生き延びた意味を見つけることが出来ず、家族の足枷となったまま生きる屍と化している。部下にも……家族にも、本来ならば合わせる顔などありません」


 この呪詛の症状を止めているのは、誓の【玄武の加護】による力だ。

 幸いなことに、結もまた【玄武の加護】を与えられた陰陽師であるからこそ出来る――【玄武の加護】の覚醒による力で止めている。

 逆を言えば、それくらいしなければ止まらないというわけで、加護のない部下たちは全員この呪詛にやられて死んだ。

 どこにいても価値のない自分が、急に復活する。

 そんなことを言われても、正直……実感は湧かない。

 それに――――


「ん?」


 本当に仁に出来るというのか?

 確かにこいつは異端な存在だ。

 それも……規格外や例外と言われるような枠には収まり切らないほどの、超異端。

 歴史的に見ても希少な【四神印】を刻まれた一般出の鬼神の弟子など、生まれることはないだろう。この時点で肩書塗れで意味が分からなくなってくるほどだ。


「……そんなことを思うのは今日で終わりさ。さっき仁くんは出来ると言ったんだ、それなら彼はやってくれる。そうだろ?」


「まぁ、多分いける……と思いますね。二つの加護の使い方がなんとなく分かるんですけど、俺が考えている範囲で出来ないことがないのは


 なんて曖昧な返答だ。

 そう心の中で呟いた結だったが、誓の表情は柔らかい。

 つまり――――そういうことなのだろう。

 確かにこいつは、出来ないことは出来ないって言う人間だったな。


「やるだけ私に損はない……分かりました、仁に任せます。それで? 具体的にはどうするんだ、仁」


「具体的には【青龍】の力と【朱雀】の力を使って……結さんから呪いを引き剥がすって感じっすね。この、俺にしか視えてないを辿っていけばやれると思います」


 仁にとって道標となる、黒い星の流れ。

 これが良くない存在だと言うことを教えてくれる。そして、自分になら排除できるというのも


「黒い星……? まぁ分からんが、よろしく頼む」


 もしも、本当に――――


「うっす――――誓さん」


 私が治るのなら――――


「分かっているよ。結に何があっても、私が


 私はこの男にどれだけの――――


「うし、それじゃ……いきますよ?」


「(感謝をすればいいのだろうか……)」


 【青龍の加護】が発動しているこの瞬間、仁の瞳には呪力そのものが可視化されている。そのため誓、結――自分自身の呪力が手に取るように視えていた。


「鬼脈開放――〝戦鬼装〟」


 体の中で呪力が広がっていき、やがて底が見えない黒に塗りつぶされていく。

 その証拠として仁の体の外側には呪力が浮かび上がり、黒いラインが現れた。

 そして今回は、それだけではない。

 黒いラインに混じるように【朱雀の加護】から伸びる左腕の赤いライン、【青龍の加護】から伸びる左足の碧いラインが、仁の体に現れる。


「(そもそも、仁くんはどうやってその〝黒い星〟というのを引き剥がすんだ? 呪力を完全に可視化出来ると言っても、触れたりすることは出来ないはずだ……)」


 誓がそう考える中、仁の手が結の体に触れる直前。

 その時――――仁が、引き剥がすように腕を払った。


「……ッ!」


「結っ!?」


 仁が引き剥がした存在が、誓や結にようやく可視化される。

 血を煮詰めたような悍ましさを感じるような……どす黒い赤。

 その呪力が部屋の中心で、〝皇天の呪〟の時のような球体に変化していき漂った。


「これが……の正体?」


 気を失って倒れた結を抱えながら、誓はそう呟いた。


「誓さん、結さんは大丈夫そうですか?」


「あ、ああ……呪力が急に無くなったことで気絶しただけだから大丈夫。それに今は【玄武】の力もあるから問題はないよ――――ただ、あれは一体……」


「あれが結さんの体に引っ付いてた呪いですね。綺麗に……うん、綺麗に引き剥がせてるんで結さんの体にはもう何もないと思います」


 一度、結を確認する。

 すると、体から滲み出ていた黒い星は完全になくなっていた。


「それじゃ、後はあれを祓うだけなんで俺に――――ッ!!?」


「!!?」


 任せてください。

 そう言い切る前に、誓と仁の体が漂う呪力の球体へと向いた。

 宙に浮かんでいた呪力の球体からじわじわと溢れ始めるが、徐々に姿を形作っていく…………。


「人型の……この呪いは!」


 体長約二メートル。

 体には炎のようにメラメラと赤い呪力を纏い、顔と心臓部が空洞になっている。


――〝黒炎の化身〟


「ど、どうしたんすか? そんな驚いて」


 あまり誓らしくない反応に、二人の前に立つ仁は少し驚いた。

 何にそんな驚くことがあっただろうか。

 どうして声を少し荒げるような動揺をしているのか。

 不思議だ……こいつ呪体は知ってるのに――――


「あれは、……。姿は少し人間らしくなっているけど、私はあれを知っているっ」

 

 かつて、ここら一体を火の海と変えた一級指定された呪体。

 一年前にも同じ呪体を見た誓は、反射的に【玄武の加護】を発動させようと呪力を開放するが、


「誓さん、結さんを紫医院へ連れて行ってあげてください」


 仁がそれを制した。


「仁くん!? 流石に一人じゃ危険だ! この呪いは……一年前の――」


 先程まで全く動く気配を見せることがなかった〝黒炎の化身〟だったが、それがゆらりと動き出した。


「仁くん!!」


 動き出したことを表すように燃え上がる炎が、こちらに視線を向けていた仁に向かって駆け出した。


「(まずいッ……やられ――――)」


 数多の戦いを経てきた誓ですら、ようやく視認できるほどの速度。

 端から見れば……隕石が仁に迫っているかのように見えていた。


 だが、誓の焦燥はこれまでであった。


 仁の信じられない速度の前蹴りが、迫り来る〝黒炎の化身〟を家の外へと蹴り飛ばす。それは、炎や重さをものともしないかのようなあまりにも軽い動作だったため、一瞬誓も呆気にとられてしまう。

 ガラスが砕ける劈くような音。

 壁が崩落する礫の音。

 それらが誓の耳に届いた時、ハッとした。


「大丈夫っすよ」


 かつての呪いに対して少し混乱していた誓とは違い、恐ろしく冷静な仁。


「あいつは俺に任せて、誓さんは結さんと陰陽市にいる人たちのことをお願いします。それに…………こういうのを倒さないと、俺はずっと舐められたままなんでしょ? だったら――今がチャンスじゃないっすか」


 仁の脳裏に呼び起こされるのは、つい昨日の話し。

 陰陽市に到着してみれば不審者扱いをされ。

 クラスに行けば呪力の大きさから呪い扱いされ。

 本気にならないのであれば、家族を殺すとまで言われる。

 今朝のランニング中もそうだ。何人か朝練している陰陽師とすれ違ったけど、注目されているというよりも……どこか見下しているような視線だった。


「正直言って……ムカついてたんすよ、昨日のこととか特にね。子熊金のあれはマジで頭にきましたね、一瞬我を忘れるくらいでしたし――――でも、こいつ倒したら……ああいうのなくなるでしょ?」


「でも!」


「大丈夫っすよ、手伝われたら困ります。この際……一人で戦って――誰にも文句は言わせねぇ。それじゃ、後のことはお願いします」


 誓の何か言いたげな表情を後に、仁は砕けた家の壁から外へ出ていく。

 それを見守る誓は、自分の瞳孔が狭くなっていくことを感じ取った気がした。

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