第42話 青龍降臨 壱
まるで取り憑かれたかのような仁の姿を見た紫は、真っ先にある人物へと連絡をした。
一回。
二回。
三回……が来る直前に電話の向こう側から応答があった。
「はい――癸です」
「もしもし? 時間いいかい?」
「紫さん、お疲れ様です。もちろん大丈夫ですよ、仁くんの件ですか?」
「ああ、言っとかないといけないことがあってね。たった今目覚めたんだが、あやつ医院の窓からどこかに行ってしもうた。しかも、多分ありゃ……完全に加護に充てられてる。同じ加護持ちのお前さんなら、何か感じ取ることが出来るかもしれん」
「加護に……そうですか。恐らく右龍さんと戦ったからでしょう、分かりました――――え?」
「どうかしたか?」
「たった今――
「そうかい……。何が起こるか検討もつかんが、気ぃつけるんだよ。今の鏑木仁は【青龍の加護】を暴走させている可能性がある――――」
◆
仁が空から一直線に向かった場所は、前回迷子になっていた時に助けてくれた癸結が住む第一区にある――癸本家だった。
仁らしからぬ、最低限の遠慮も作法もない侵入の仕方であったが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
「……わぁ、ここに何があるってんだ?」
正体不明の使命感から、ただここへやってきた仁は周りを見渡しながらも呟いた。自分が言っているにも関わらず、どこか他人事のように理解してしまっているのは、少し不思議な感覚である。
しかし、そんなことはどうでもいい。
今はこの視界を悉く埋め尽くす黒い星。そして微かに混じる白い星。
まるで空気が汚染されているのかのような、この不安を煽るような気配の招待を知りたかった。
その時――――ぞわりと肌が粟立った。
「(なんか……来る)」
体が自然と身構えるた時、玄関をガラリと開けて現れたのは……
「こんな時間に一体どうしたんだ、仁。そもそも来るなら――――」
水色の着物を着た、癸結であった。
「(あれ?)」
さっき感じた嫌な気配はどこにいった?
昨日と全く変わらない、シリアスな雰囲気で体の半分を全く露出していないミステリアスな美女。
何も変わらない。
何も変わらないのだが……俺の第六感はそうではない。
身構えた緊張感を解いて、再び自然体へ戻ろうとしても、この〝瞳〟から来る
「……おい、聞いているのか? 仁」
強しだけ語尾が強いが、あまり抑揚が変わらない声が仁の意識を取り戻させる。
「は、はい」
「そもそも来るなら連絡しろと言っている」
「すみません……なんか、ここに来ないといけない気がして――」
「……はぁ、今は兄様も来ている。一回中へ入るといい」
「はい、分かり――――」
そう頷きかけた時、仁の体が意図せず停止した。
「いや、一旦誓さんを呼んで来てもらってもいいですか? なんか、今の俺……どうもおかしくて……」
「分かった。確かに、何だか少しハイになってるような気がする。少し待ってろ」
結が玄関から家の中に戻っていくと、ほんの数秒で誓が現れた。
何だか少し焦っているように見える。
「誓さん、お疲れ様です」
うん。やっぱり誓さんの周りには白い星が漂っている。
それでもここの景色に黒い星が混じっているということは、何かある。
「……仁くん、だよね?」
「そうっすよ。どうしました?」
何をそんな驚いてるんだ?
そんなことを言いたげな仁の素っ頓狂な表情とは違い、向かい合った誓の表情は眉をひそめるような難しい顔だ。
「(どうなってるんだ、一体……)」
どうして誰も気が付かなかったんだ?
これだけの呪力を纏った存在が宙を翔けていれば、誰でも気が付くはずだ。
仁に会って、真っ先にそんな言葉が思い浮かんだ。
「調子は良くなったようだね。ここまで空から?」
「はい、ここまでぶっ飛んできました。あ、もしダメだった場合を考えて誰にも気付かれないくらい速く来たつもりですけど……大丈夫ですよね?」
「原則として、陰陽市で呪力を扱うのは禁止だけど……それなら大丈夫だと思うよ――――」
「そうっすか。なら良かったです」
「(良くはないけど……)」
……なんだ、この感じは。
いつもの仁くんなら、このルールを破っていたか?
本当に紫さんが言っていたように加護に乗っ取られかけてる?
いやでも……そうは見えない。先の戦闘がなかったかのように異常に元気だけど、普通に【青龍の加護】を発動できているように伺える。
呪力の流れも問題なさそうだし、いつも通り榊様と稽古している時のような〝圧〟を放っている。かなり状態は良さそうだ……――――あれ?
いつから仁くんは【青龍の加護】をちゃんと発動できるようになった?
「あ、そうだそうだ。誓さん、少し確認したいことがあるんですけど……いいっすか?」
「あ、あぁ……もちろん」
仁の不可解な急成長に脳が追いついていかない。
そのまま動揺を隠しきれず応答してしまった誓に襲いかかるように、仁は言葉を続けた。
「結さんの半身。あれ、呪詛って教えられましたけど……違いますよね?」
その言葉に、息を呑んだ。
「……どういうことだい?」
「今の俺には視えてるから分かるんですよ、あれは、呪いです。 しかも〝皇天の呪〟と同じような……誰かの念が込められて生み出されたやつ」
誰かの念が込められている。
その言葉に引っかるものが、誓にはあった。
それは一年前に起こった――影の世界からの侵攻によって、陰陽市が巻き込まれた大事件だ。あの時の生存者はたったの七名。怪我や呪詛の影響で死亡した者は四十名以上にも及んだ。
そして、呪詛にかかって生き残った者は――結のみであった。
「そんなのに体半分も蝕まれていたら――――結さんが怨霊になっちゃいますよ?」
怨霊化――呪力を過剰に吸収することで、人間から呪いへ転じる現象。
陰陽師であれば誰もが知っている現象だが、滅多に起こる現象ではない。
呪力を扱える陰陽師にとって最も気をつけている部分と言っていい。
私ももちろんだが、願も祈も気をつけている。当然、結だって陰陽師だ。気をつけていないわけがない。
だが……
「(仁くんが言うなら、話しは別だ)」
【青龍の加護】を発動している状態。
あの〝瞳〟に何が映っているのかは分からないが、確実に言えることがある。
仁くんは、ふざけてこんなことを言う子ではない。
「【青龍の加護】について理解はあるつもりだ。だから仁くんが言っていることが間違っていないことも分かる。けど、それじゃ誰がどんな目的で結の体に呪いを呪詛として付与したのか分からない……そもそもあれは一年前に起こった事件の傷だ。正直、今の仁くんは、どこまで視えているんだい? 」
【青龍の加護】には〝未来を選択する力〟がある。
未来を予測したり、未来を予知したり、使い手によって発揮する効果は様々だ。
〝青龍〟右龍燐の場合は未来を予測する力に長けているが、結局のところそれは良いか悪いか、ではなく自分にとって最善かどうかという力。
仁くんの場合は――一体何を選択しようとしているのか……問題はそれだ。
「どこまで視えているか、か。なんて言えばいいんすかね……とにかく黒い星と白い星が視えるんです」
これが一番最初に視えたのは、弓削鏡との戦いに行く途中だった。
まるで道標のように延々と流れる黒い星を辿って行った場所に、あいつがいた。
正直、それだけで何がか視えているという訳ではないと思うから分からない。
ただ……白い星が視えるようになって、少し気付いたことがある。
「白い星は、多分……大丈夫な人? ですかね。ちょっとこれに関しては分からないっす。でも黒い星は何となく分かる――多分、〝死〟が近くにある人だ。これは実際にあったことだから間違いではないと思います。だからか分からないっすけど、視えた時に嫌な予感がしてすっ飛んで来ましたよ。あの〝青龍〟との戦いおかげで、ずっと興奮が覚めないから体の状態も良いですし、今なら何が起こっても大丈夫な気がしてますしね!」
確かに、今の仁は呪力の効率も良く、昂っている。
調子が良すぎるくらいにだ。
それは何故か――答えは明白、久しぶりに全力を出そうとしたからだ。
久しぶりと言ってもまだ二日。自分の師である榊との稽古をしていないだけだが、あの時は常に全開で力を使っていた。
だが、陰陽市に来てからはほとんど力を使っていない。
だから〝青龍〟との戦いでかかったエンジンが、今もなお継続されているというわけだ。
「なるほど……だから端から見てておかしいなと思えたのか、そんな状態の仁くんを滅多に見ることはないだろうからね。もしかしたら
「まぁ、二人ならそうかも。なんか元気だなぁ、て感じで済むんじゃないっすか?」
加護の共鳴があってから、俺よりも俺のことを分かっている節があるからなぁ。
多分あいつらなら、ここで【朱雀の加護】を発動したら飛んでくる。
「――それで、どうします? 今の俺なら【朱雀の加護】で
「……【青龍の加護】がそう言ってるのかもしれないしね、やる価値はありそうだ。ただ結の体に何が起こるか分からない……そこが懸念点だ」
呪いを体から引き剥がすなんて聞いたことがない。
もしかしたら、後遺症を残す可能性がある。
ただ、仁の様子を見るに「それなら、明日しよう……」と時間をかけるわけにもいかなそうだ。
どうするべきか……自分の家族が懸念点となっている今、そう簡単に即決できる内容でもない。そう、腕を組み悩む誓であったが、
「いやいや、なに言ってんすか」
仁が気が抜けるような声音で、鼻で笑った。
「ん?」
「ノッてる俺と、治療できる誓さんがいるのに無理なわけないでしょ。さっさと結さん助けて――――この元凶を見つけてやりましょうよ」
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