第41話 青龍臨天 肆

 に喰われる――――

 その瞬間に体がビクリと反応し目を覚ました時、そこは現実世界ではなかった。

 天の川のように散りばめられた星に見えるほど呪力の輝き、果てしなく続く空間、下を見ると自分の体が反射する水面のような大地。

 そこは、人が始めて〝調伏の儀〟によって訪れることになった常世かくりょであった。


「……相変わらず、綺麗なところだよなぁ」


 そんな呑気な言葉を呟き、立ち上がったその時。

 仁の左足に刻み込まれた【青龍の加護】が動きだし、空を翔け昇るように仁の体を這い上がっていく。


「うおぉ!?」


 螺旋を描くように体を這い上がっていった龍は、左足から心臓と通って次第にうなじ部分へと移動し、仁の体へ染み込むように消えていく。

 その瞬間、呪力の回路が繋がったことによって――――


「……すっげ、なんだこれ」


 仁の視える世界が変わり果てた。


「これが……【青龍の加護】ってやつなのか? てか、凄え――が綺麗だ」


 気分はどこかの丘で雲一つない満天の星空を眺めているような、爽快な気分。

 夜風はないが心が澄み渡っていくような感覚に陥った。


「ていうか、これって呪力じゃねぇか?」


 ハッとなり、自分の体を見つめると滝のように流れる四色の呪力が視えた。

 赤、青、碧、金、それぞれが四肢を伝って心臓部に流れている……。

 その時初めて、これが【四神印】だと頭で理解した。


 おぉ! 視える、視える!

 この状態なら――――呪力操作が出来るかも……やってみるか。


 まず最初は、いつも通り〝鬼脈〟を解放する。

 しかし、視える範囲での呪力に変化はなかった。

 なので次は、〝鬼脈〟に呪力を染み込ませ――〝戦鬼装〟の状態へと持っていく。

 すると……体の内側に底が見えない濃淡な黒と少しの赤が染み渡っていった。


 ほーん……【朱雀の加護】は既に発動してたわけか。

 道理で、やたらと発動しやすくなってるわけだ。

 ……あっ――


 新しい発見と、新しい感覚。

 それを味わってしまったことによって、脱線した思考回路が戻ってくるのが少し遅れてしまったが、


 というか、なんでここにいるんだっけ?


  目を覚ましたら、ここにいた。

 周囲を見渡しても出入り口はどこにも見当たらない。


「取り敢えず……このに沿って歩くか。」


 と違い、全く違和感を感じない

 それは、まるで道標のようにこの広い常世かくりょに流れている。

 この白い星道標が流ていく方向に何があるわけではないが、不思議とその先に出口があるような気がしていた。

 この感覚を頼りに、途方もない空間を歩くこと……五分。


――仁の周りに、白い星が漂い始めた。


 それらが一箇所に集中していき、渦を作っていく。


「(あー、)」


 視ただけで、この〝瞳〟から入る情報が自然と処理されていく感覚。

 それが仁にとって未知な存在であっても、この力が間違いではないと告げている。

 その中心となる場所に手を伸ばし、白い星々に臆することなく触れると……視界が真っ白に染まった。


――その瞬間、大量のが走馬灯のように流れ始めた。


『……はぁ、はぁっ! ぐぅッ!!』


『結!!』


 ……断片的な記憶が脳内に流れ込む――――。

 大火に包まれ、逃げ場などなくなった場所。

 一年前――陰陽市で起きた影の世界からの進行により、一般人を含む大勢の人々が傷ついた。

 現実世界に〝呪体〟が現れてしまったことによって、呪力への耐性がない一般人は呪いに蝕まれ怨霊化し――呪力による攻撃を受けた陰陽師は呪詛にかかった。


『に、兄様……?』


 結の微かな声が誓の耳に届いた時、右腕から青い呪力が輝きを放ち――周囲の大火が一瞬にして消滅した。

 そして焦土と化した大地に仰向けで倒れる彼女を見つけた誓は、急いで駆け寄り抱きかかえた。


『良かった、 助けに来たよ!』


『私なん……後…で……まだ皆んなが――――』


『大丈夫、私が全て助けて来た。……外に出た呪いたちは陰陽寮の皆が祓ってくれているし、あの〝黒炎の化身〟は右龍さんが祓ってくれた』


『――そう……か、良かった』


 気を失ったのか、ゆっくりと瞳を閉じていく。

 その眠りにつくような結を見た直後、誓の右腕に刻まれた【玄武の加護】が結を包み込むように輝きを放つ。


『……ここで、〝黒炎の化身あの呪い〟をよく防いだね。流石だよ』


 無数の火傷跡、一部焦げた陰陽衣。

 腰に巻き付けられた装備品らも全て灰と化した。

 よく耐えた、と本当に心から思った。

 だがしかし、〝黒炎の化身〟が残した傷跡は浅くない。

 それは――彼女の【玄武の加護】を覆い尽くすように蝕んでいる呪詛。


『……大丈夫さ、私がずっとそばにいる』


 〝黒炎の化身〟が彼女に与えた痛みを噛みしめるように、誓はその場を後にした。

 この体験したことがない記憶を、まるで体験したかのように――仁の経験値となって溶け込んでいく。





 陰陽市――第一区、紫医院。

 その医院内の一つの病床で眠る仁を観察する者がいた。

 眠る仁を傍らに、黒いタブレットを操作する。


「……おかしい」


 意識のない状態でも、〝鬼〟特有の鬼脈が解放されたままだった。

 これは所謂――〝鬼〟の力を留めておくための蓋。

 これを解放することによって、全身に尋常じゃないほどの呪力を流し身体を超絶強化しているというわけである。

 人間でいうところの点穴と似ている部分だ。

 体外から膨大な呪力を吸収する性質上、この力を寝ている状態で使えるようにしておくのは〝鬼〟としての最低条件。

 しかし――――


「やはり、おかしいのぉ」


 そう艶のある透き通る声で呟いたのは沖ノ連島にある紫医院にいた彼女。

 その――呪術医療の顕位けんい、紫 美麗みれいであった。


「こやつ……眠っとるというのに、どうしてこれほどの呪力を循環させとるんだ? いくら〝鬼〟とは言え異常事態じゃ。桁違いにもほどがあるぞ。しかも【朱雀の加護】が混じっとる……手に負えんな」


 未だに細かい打撲痕や呪力によって付けられた霊障が残った体のまま、気を失った仁の体から医療法術をかけた護符を引っ剥がすと、その札が灰となり虚空に消える。全く、そして呪力を燃やしていることから【朱雀】の力だと言うのは判断できるが――――これで、五枚目。

 人の呪力を整え【玄武の加護】によって治療を施す医療護符を、一人に五枚も使うなど紫には経験がなかった。

 この霊障を負った状態が続けば……最悪目覚めた時に障害が出る。

 呪力回路が傷ついたまま稼働し続ける仁を眺める老婆か美女か分からない女性は、小さな溜息を吐いて近くにあるパイプ椅子に座った。


「……ったく、癸のぼんもとんでもない奴を連れて来おって」


 治療が難しいことは過去にもあった。

 当然、治せない者も沢山いた。

 しかし、それは何十年も前のこと。今や陰陽市で最も長く医療に携わってきたと自負している紫でも存在を見るのは初めてのことだった。


「(自力で目を覚ますのを待つしかないか……)」


 難しい顔をして手元にある黒いタブレットを操作する。

 そこには、仁の情報が細かく記載された資料が映し出されていた。

 今年で十六歳になったばかりの、先月までただの中学生だった青年。更に目を引くのは【四神印】を体に刻みこれている、という情報だった。

 何でも、事の真偽を確かめるために〝調伏の儀〟を行うために常世かくりょに行った後、知らぬ間に体に刻まれていたとのこと。

 誓が書く報告書にしては、変にも多く上手く要領を得ない内容だが――それは本人もよく分かっていることだろうと流す。

 

「んー……どうしようか――――」


 資料を眺めつつ、自分ではどうしようもないことを悟り潜考していく。

 その時――――仁の体から碧色の呪力が迸った。


「……ッ!?」


 何が起こったのかと身を構えると、紫は目を見開いた。

 呪力が

 体に万遍なく染み込んでいた【朱雀の加護】と仁の呪力に、たった今は開放された【青龍の加護】が混ざり合っていく。

 かつて、歴史上で存在していてた【四神印】を持つ陰陽師。

 ほとんど伝説的な扱いを受けているが……この世界に〝四神の加護〟が存在している以上、誰もが信じざるおえない存在。

 その謎多き存在のに、今……立ち会えている。


「これは……実に興味深いのぉ――――」

 

 人の呪力と神の力が混ざり合っていく。

 左腕に刻まれた【朱雀の加護】。

 左足に刻まれた【青龍の加護】。


「(それに、右腕に刻まれた微力の【玄武の加護】が反応し――痛々しい傷跡が綺麗に再生しおった……)」


 その異なる〝神の力〟が完全に調和し混ざり終わる時、鏑木仁が目を覚ます。


「……知らない天井だ――って言ってみたかったんだよなぁ……」


 ゆっくりと体を起き上がらせる。


「てえぇ!? 全裸じゃん! 俺」


 そして紫と仁の目があった。


「目が覚めたか? 四神のぼん


……。悪い人じゃなさそうだな。それに前にも見たことが――あるような、ないような……あっ!」


 脳裏に浮かんだのは、仁だけが知っている記憶。

 紫医院でベットの下から現れた式神の姿であった。


「紫医院での式神だ」


「む?……いや、どうして知っておるかは置いといて、お初じゃな。わしは紫美麗、紫医院を営む陰陽師専門の医者じゃ。お前さんが見たのはわしの式神の方じゃろ」


「(あ、やべ。これ誓さんに言ってないっけか?)……俺は鏑木仁です」


「お前さんが紫医院ここに運ばれてきて六時間と四十三分。今は夕刻十七時を過ぎたころじゃな。調子はどうじゃ?」


「調子は…まぁ、いつも通りって感じっすね。俺には【玄武の加護】があるんで」


「記憶は飛んでないか? 自分がどうしてここに運ばれてきたのかとか」


「覚えてますよ。〝青龍〟と模擬戦みたいなことしてから……楽しくなってきて、ぶっ飛ばされて、ここに運ばれて来たんですよね? 運んだのは多分誓さんかな」


「ほうほう、覚えているのか」


「いや、覚えてるっていうか――――? みたいな感覚っすね。というか……なんか変な感じなんですよ、俺。なんか……分からないけど変なんです」


「どこがじゃ?」


んですよ、俺が全く知らない情報が。なんかよく分からないけど、知ってるんですよ。これから起こる事が――それを確かめに行かないと……」


「はい? 一体何を言って――――」


 起きた時から仁とは、一度も視線を外していない。

 それなのに、どこかこちらを見ていないような……遠くを見ているようなその瞳。


「俺にも全く……とりあえず、に俺の陰陽衣をお願いしていいですか?」


「ああ、分かった。二人とも! 聞こえていたじゃろ? こやつの陰陽衣を頼む。それと癸への連絡もな」


「「はっ!」」


 そう扉の奥から声が聞こえると、再び紫と向かい合った。


「……ふむ、体は正常な状態に戻っておるな。傷も全て治っておる。じゃが、少し加護に精神が持っていかれとる……それが不安定ではないことが逆に怖いわい」


「紫さんもんですか?」


 こちらを改めて見た紫の瞳に呪力がまとっている。

 何らかの術を発動しているわけではないようだが……。


「【青龍の加護】とは違うがな。わしのも特別製じゃ、〝心眼〟は聞いたことがあるじゃろ? あれの上位互換と思ってくれていい」


 ということは、呪力を可視化することは容易にできるというわけか。

 祈の〝心眼〟は呪力と感情を見ることができると言っていたが、それの上位互換となると一体どこまで視えるのか……。


「これからどこかに行くつもりなんじゃろ? 詳しいことはまたしてやる――そんなことよりもどこへ行くつもりなんじゃ? 巡回は終わっておるが、こんな夕刻に待ち合わせなんて」


「いや、待ち合わせというか……このに沿って行かないといけない場所があるんですよね」


?」


「あ、やっぱり視えないっすよね」


 〝心眼〟ではこれを視ることは不可能だった。

 それは春休みの期間にそれは実証済みである。

 祈では視ることが出来なかったが、その上位互換である紫さんでも視えないのであれば、これは〝心眼〟と呼ばれる類の瞳では視ることが出来ないのだろう。


「……わしのこの瞳でも視れないとなると、お前さんのは【青龍】に関する〝瞳〟じゃな。流石に神の瞳と同じもんは見えんなぁ……しかし、なんともまぁ義務感がある言葉じゃ。〝行かないといけない〟とは?」


「正直……それも分かんないっすよ。でも、俺の何かがって言ってるというか――」


「自分でも理解できんものに駆り立てられている感覚じゃな……。まぁ、分からんくもない――――じゃが、一つ警告しておくぞ? それに乗っ取られた時が、お前さんの最後じゃ。いいか? 加護にも意思がある。それに飲み込まれた場合は最悪――|怨霊に成り果てる。それを忘れるでないぞ」


 まるで、を知っているかのような発言。

 最初から、これだけ強力な力を与えられているということがノーリスクだとは思っていなかった。

 仁も……まるで最初からそれが分かっていたかのように頷いた。


「……分かっておるならよい。さて、そろそろ着替えが届く。わしは一旦ここいらで戻るとするわい」


 そう言って、紫が部屋から出ていくと同時くらいに仁の陰陽衣が届く。

 届けてくれたのは紫医院で働いている者なのだろう。白と赤の陰陽衣のような物を着ていた。


「はいこれ、陰陽衣と靴ね。それと君のパンツに靴下」


「ありがとうございます」


「はーい、お大事にね~」


 まだ新品の独特な匂いがするパンツを履き、黒いインナー、装飾品が一切付いていない真っ黒なズボンと首元まで隠れる真っ黒な陰陽衣を着用する。

 そして振り返って、赤く染まった空が反射する窓を開ける。


「あっちか……」


 視界に捉えたの流れに向かって、空へと飛び立つ。

 宙を走るように翔け抜けていくその気配を、紫は感じとる。


「せめてちゃんとしたところから帰らんかい……」


 その姿を見た瞬間に、胸元から連絡機を取り出した。

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