第38話 青龍臨天 壱
早朝のランニングを終えて癸家に帰宅すると、既に祈が目を覚ましており朝食の用意を始めていた。
「おう、ただいま」
「おはよう、仁くん。朝ご飯はまだかかりますから、まずはその汗を流してきて」
「うぃー」
「あ、そうそう。今日はお姉ちゃんの看病で私も行けないから一人だからね?」
「あいよー」
「絶対に問題は起こさないようにね!」
「おっけー」
◆
という、朝の会話を思い出しながら陰陽寮〝特級クラス〟まで無事にやってきた。
だが到着してみれば人は少ない。空いている願の席に座って眺めて見れば、人数はたったの三人だけ。
星蘭と、その隣に座る見知らぬ人……後は人夢。
「(なんか人少ねぇな……今日ってなんか凄い人来んじゃないの?)」
「あっ、仁。おはよう!」
「おー星蘭、おはよう」
「昨日は置いていってすまなかった。今度埋め合わせでもしよう――あ、そうだ紹介するよ、今私の隣に座っているのは
星蘭に名前を呼ばれてこちらを一瞬振り向いたグラサンをかけた見た目が非常に尖っている少女は、すぐに自分の手に持っていたスマホに視線を戻した。
「……気を悪くしないでくれ。彼女はいつもあんな感じだ」
「いや、特に気にしてない。ただ……初めて見るんだよな――ヤンキーってやつだろ? あれ。島にいなかったから新鮮だわ」
「ヤンキー……いや、どちらかと言えば良い方なんじゃないか? 陰陽五行家の中で彼女の家は陰陽市の秩序を守る家、民間でいうと警察みたいなものだよ。今回も〝青龍〟が来るからと警備から外れて来てくれたんだ」
「へぇ、人は見かけによらねぇんだな。そんで、その〝青龍〟ってのはいつ来るんだ? 俺は今日そいつに会いに来たまであるけど」
「そろそろ来ると思う――――ほら、来たぞ」
星蘭との会話の途中。
右側――京都市街に出るための鳥居が呪力によって歪んだ。
トンっと、教室に踏み込まれたその一歩。その瞬間に、がらりと教室の雰囲気が変わっていくのが分かる。
「おう、 おはようさん!」
鼓膜に届いた中低音の声。
その老体に見合わない鍛え抜かれた体。そこから発せられるエネルギーに、教室全体が覆われていく。
何よりも、他とは違う――青い陰陽衣が一際彼を目立たせていた。
「毎年会ってるんもんなぁ、挨拶はあっちでやるからな。早速だが修練所に行くぞ、どれだけ育ったか俺が見てやる!」
一見すると、元気なおじいちゃん。
という感じではあるが――
「(ずっと……見られてる)」
その強い好奇心。
弱肉に狙いを定め瞬間の獣のような舐めた視線が、強烈に仁に突き刺さる。
少し嫌なその感触に気を引き締める直し、修練所へ向かう左側の鳥居に姿を消したクラスメイトたちについて行った。
その鳥居を抜けた先の景色に仁は目を見開いた。
修練所中央にあるフィールドの前に、軍隊のように綺麗に列を成す陰陽師たち。その列はクラス別で分けられており、クラスの先頭には恐らくリーダーのような者が立っているのだろう。
「おーい、こっちこっち」
一番端には〝特級〟と文字が書かれた立て札が突き刺さっており、その立て札を持ったまま待っていたのは誓であった。そして星蘭を先頭に〝特級クラス〟の面々が立て札の場所へと並び始める。
仁も星蘭たちに着いていくように列に並び一番後で立ち止まった。
「(やっぱ少ねえんだな……陰陽師って)」
周りを見てみると、かなり人数が少ない。
隣の一級クラスの列ですら十二人。奥の二級と三級合わせても二十人いるかいないかというところだ。
「よーし、全員いるなぁ!」
周囲を観察するように見渡していると、大きな声が響き渡った。
「改めて、〝青龍〟の地位に立つ右龍燐だ。よろしく!」
本当に小さな声で「よろっしゃーす」と仁は呟いたが、仁以外の誰も声を出す者はいなかった。むしろ戦う前の緊迫した雰囲気すらも感じるほど、この場の空気に余裕はなかった。
「――で、まずは……毎度恒例のやつ行くぞ!」
その言葉に全員が一斉に反応し、自身の体に呪力の盾を作り出した。
「へ?」
燐が懐から一枚の札を取り出し呪力を込める。その札を整列している陰陽師たちの頭上に放り投げると、大量の槍が浮かび上がり――――まるで雨の如く降り注いだ。
式神と同様の原理である物質創造の術。これは陰陽師の基本中の基本であり、仁以外の陰陽師たちが盾のように呪力の膜をまとわせているのも呪力操作の基本だ。
ドスッと地面に突き刺さる槍。それが何本も空から降り注ぐ。
他の皆んなが呪力で相殺しているにも関わらず、仁は列から即座に抜け出して、その空間から移動していた。
何十秒か経過して、ようやく槍が止まった時――。
その場所には血の匂いが漂った。
「不合格は?」
「四級から三名、三級から一名。計四名でございます」
燐の問いに二級クラスの一番前に立つ女性が答える。
「今回は四人かぁ……ちと微妙だな。まぁ、分かりやすく間引けたのは良しとするか。ただ問題は――あいつだな」
ぞろぞろと視線が集まっていく先には、周りから離れた場所に一人だけ立っている仁がいた。
「あれが……」
「あいつが……」
そんな言葉が小さく周りからも聞こえ始める。
ちなみに、ここにいる者は全員仁の存在を認知はしている。
その理由は決して仁の写真が広まったからという理由ではなく、ちゃんとした理由がある。それは昨日の子熊金との戦闘記録だ。
この陰陽寮ではとにかく情報が回る。
当然、修練所で起きた出来事などすぐに陰陽市全体に広まってしまう。
「俺っすか?」
周りとは違いリラックスしている表情。
今の攻撃の避け方の最適解と言っても良い避け方だった、判断力と速度共に合格点に届いている。だが、こうも思われるだろう。
「そうだ。どうしてお前だけはそこに逃げた?」
周りの人間は陰陽師としての術で防いだ。
だが仁だけは違う。
周りが頑張って防いでいる中、術も何も使わず、高速移動で攻撃の範囲外へと一瞬にして逃げたのだ。
「いやいや、どういう意味ですか? 逃げたっていうか、躱しただけでしょ」
仁の言い分は最もだ。
なんであんな分かりやすい攻撃を、わざわざ防がないといけないのか。
むしろ、怪我人が出ても止めないっておかしいだろうとまで思っているためか、普段よりも頭に血が昇っているかもしれない。
「いーや、逃げたね。お前は一番安全な俺の背後に行くことで、事なきを得たんだ。分かりやすく臆病者だ……」
失望した、そう言ってるのだろうか。
燐から仁へ向けられる視線にどこか暗い感情が見て取れた。
「はぁ……?」
しかし、仁もまた……全く同じ視線を燐へと向けていた。
いや、仁の視線の方がもっと深くまで落ち込んでいるように見える。
何故なら、まさか陰陽師で最強とまで言われた者からそんなふざけたことを言われるとは思わなかったからだ。
「んだよ、その目は……」
「いや、別に?」
「はぁ? お前――――」
と、言葉を聞き終える前に仁は燐の眼の前から姿を消した。
気配を追うと、特級クラスの列に並んでいる誓の場所へと既に移動している。何やら誓と会話をして、笑われながらも首を振られているようだ。
仁の冷めた感じからすると「あれから学ぶものはないから、帰っていいっすか?」とか言ってそうではある。
「(なんだぁ? 焚き付け方ミスったか? 今どきのガキってのは……メンドくせぇな。もう無理やりにでも実力試しに行くか?)」
新しく来た人間というのは、歓迎されにくい。
特に陰陽師という極まって狭い界隈だと尚更だ。
だからここで、仁に対して強い印象を一つでも付けられたらと右龍燐は考えていた――というのは建前で、真の目的は他にある。
鬼神として、どれだけ完成されているのか? という判断だ。
しかし、選択肢を誤ったことでそれを知れる良い機会が離れつつあることに少し焦る気持ちが現れ始めた。
が、ここで思わぬ助っ人が現れた。
「あぁ……ゴホン! 皆んな、ごめんね。ちょっと場の空気が刺々しくなってしまって……彼の名前は鏑木仁。昨日から特級クラスで過ごしていてね、私の推薦によって特級クラスに転入してもらったんだ」
癸誓だ。
陰陽五行家でもある彼の言葉に、ここにいる全員が耳をかした。
「ここはどうだろう……私が推薦した仁くんと〝青龍〟の一戦――見てみたくはないかい?」
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