第34話 予兆黒星 壱

 晴明神社――本殿。

 夜でもないのに本殿の周囲は薄暗く、どんよりと重たい空気が漂っている。

 その二階には、星蘭を含む陰陽寮の重鎮たちが円を作るように畳に座していた。


「外に呪力が漏れている、式神に吸収を急がせろ」


 濃い青の座布団に美しい姿勢で座る老婆が、瞼を閉じたまま忌々しく呟く。


「そこにうってつけの者がいるではないか?」


 その言葉に濃い赤の座布団にだらしなく座る煙管を加えた高齢の老女が便乗した。標的となったのは、この場で一番若く……一番立場が上の者。


「私はそのために呼ばれたわけではありませんが?」


 真っ白な座布団に背筋を伸ばして座る安倍星蘭は、煙管を加えた老女を細い目で見ながら返事を返す。

 二人の関係はこれだけで良くないものだと一瞬で受け取れた。


「いやぁ、なに。式神に任せるよりも早いと思ったまでだよ〝晴明〟様」


「……私よりも三十も歳を重ねているのですから、少しは口の聞き方を覚えた方がいいのでは? 五十路になっても立場が分からないわけではないでしょう」


「……このッ!」


「――やめないか、見苦しい」


 ヒートアップしそうになった瞬間、簾の奥から無感情ながらも艶のある低い声が響いた。

 その声の主は、立場こそ星蘭よりも下だが、星蘭の親代わりでもあり、この陰陽寮の管理を全て取り締まる男――恵慈法興えじほうこうである。

 この晴明神社の宮司ぐうじでもあるが、陰陽寮の実質トップである彼の一言は強い発言力を持っていた。

 そのせいか、直前に声を荒げようとしていた女が口を開いたまま固まった。

 この空間に虚無のような静けさが生み出され、誰しもが姿勢を正す――まるで時が巻き戻ったかのようだ。


「御館様、我々はどうして呼び出されたのでしょうか」


「星蘭……今回の〝皇天の呪〟はどうだった」


「今回も特に問題なく、無事に祓い終えました」


「そうか――――」


 仁には陰陽師の試験と言った〝皇天の呪〟を祓う目的は、本来〝晴明〟である者が京都を鎮めるために行う儀式であった。

 つまり、星蘭自らが祓わなければならないものである。

 しかし今回は仁に祓わせた。別にそれが悪いことではないが、彼の言葉は何故か問い詰めるようにも聞こえた。


「京都全体の結界が揺らいでいる。恐らく強大な呪力が反発し合っているせいだ、原因は……分かるな?」


「はい、分かっています」


 強大な呪力。

 その原因と言われれば、思い当たる人物は唯一人。

 今日から陰陽市で暮らすことになり、先代の鬼神から育てられた青年。

 ――――鏑木仁だ。


「どんな方法でもいい、必ず我が物としろ」


「お館様に聞いたときからそのつもりでございます」


「……分かっているならいい」


 もう下がれ、という意味だろう。

 星蘭は頭を下げて周りに座る四人の顔すらも見ずに部屋から出た。

 決して、表に出ることのないように心の中では「仁との時間をこんな無駄な時間で埋めるな」と不満げに呟きながら。

 そして、静かに襖を閉じられ星蘭がここから立ち去る足音が聞こえなくなったころ、一人の矍鑠かくしゃくとした老女が「お館様」と声を上げた。

 先ほど、星蘭と言い争いを初めようとしていた人物である。


「早速ですが、本題に入りましょう」


 星蘭と言い合っていたのが嘘のような静かで綺麗な声音が簾の奥に届く。その言葉に同意したかのように、簾が少しだけ揺れた。


「右龍――話しな」


 この場にいる四人、それぞれの額には「雀」「龍」「亀」「虎」の文字が浮かび上がった。そして部屋には尋常ではない呪力が充満した。

 しかしその充満した呪力も一瞬で吸収し、自らのを変える。

 老いているように見せていた体は若く水々しく、干からびた肌が変化していく。次第に顔つきも変わり……見た目も変化していった。

 星蘭がいつも出会っている人物とはかけ離れた、若々しい異形な姿へと変貌したのだ。


「……下雀かがらに命令されるのは癪だが、仕方ない。俺が見たことを分かりやすく説明するぜ……っとは言ったが、出来るか分からないのが俺だよな」


「チッ……早く話せ」


「おぉ~と、女二人に分かりやすく睨まれるのは勘弁してくれ。男の肩身が狭くなっちまう、な? 上蛇亀あだき?」


「……僕を巻き込まないでくれないか? それと早く事の顛末てんまつを話してくれ、どうせ君の要領を得ない話しを聞いて考えるのは僕たちなんだから」


「酷い言われようだぜ……まぁ、話すと事の顛末てんまつは非常に短い。 俺が見たやつは〝鬼〟で〝強かった〟、それだけだ」


 これほど要領を得ない情報を、自信満々に言える者がどれだけいるだろうか。

 まるで子供だと吐き捨てるような溜息が他三人から漏れ出るほどだ。


「鬼だっていうのは左虎から聞いてる。強いってのも〝皇天の呪〟を祓った時点で分かりきったことだろう? 右龍、あんたはホントに馬鹿だね。そんな報告じゃ何も得られやしないよ」


上雀かみがら……それに関しては私が悪かった。私もあれを見て迅速に報告せねばと焦っていた」


「左虎ちゃんは急いで報告に来てくれたんだ、悪くないだろう? 悪いのは全部こいつ右龍だ」


「……あのぉ、言い過ぎでは?」


「右龍、いつの時代も男は肩身が狭い。こればっかりは諦めたまえ」


 陰陽師には女性が多い。

 それは何故か――陰陽師というのがでもあるからだ。

 これは精神的かつ身体的な問題でもある。

 そもそも、男性というのは〝負の感情〟に対して反発してしまう精神的な抵抗力がある。これが問題となり、呪力を吸収しにくく蓄えにくい。

 だが女性は〝負の感情〟を許容あるいは共感してしまう精神的な広さがある。それに加えがあるため、ますます呪力を吸収し蓄えることが出来てしまう。

 故に、強力な陰陽師は女性から生まれやすい。

 男で強さを求めるには、精神的な才能がなければ不可能とすら言える絶対的な壁が存在した。

 だから、陰陽師である男性の肩身が狭いのは仕方がないことだ。

 例外を除いて――だが。


「――――強かった、というのは? 具体的なものはないのか」


 簾の奥から声が響くと、右龍は咄嗟に姿勢と口調を正した。


「は、はっ! 最後まで戦いを監視しておりましたが、あの〝鬼〟には恐らく……【朱雀の加護】が宿っているかと思われます。陰陽衣を着込んでおり曖昧ですが……」


「加護持ち……か」


「その他は本当にこれと言って何もありませんでした。まだ力を隠している可能性を除いて……俺よりもと判断しました」


「そうか――それならば、お前が集中していなかったことに頷ける。左虎はどう思った」


「……彼を見たのは瞬きよりも短い時間でしたが、右龍より弱く見えたのは確かなことにございます。力量で言えば……特級には届かないかと」


「……二人がそう思っているのなら、恐らくそれが正しいのだろう。私はそれを信じよう――――他二人は、また後日その目で確認するといい。現代に開花した〝鬼神〟をな」


「「はっ」」


「あまり急ぐことはない。ただ見極めればいい……この私に相応しい存在かをな」





 星蘭と別れてから、喫茶店『八咫烏』にて延々と出され続ける料理を平らげ、若い男性店員に「全商品食べられました」と短い言葉を貰って、ご馳走様でしたと店を出てから――――三時間。


「いやぁー、参ったなこりゃ」


 夕日が昇り、現在時刻は十六時となった現在――仁はただの迷子となっていた。

 連絡手段も持たず、土地勘もなく、知らない場所で見放されたのだから、それも当然ではあるが……


「こっちな気がするような……あっちな気がするような……」


 あまりにも適当すぎる道の選択によって、本当に分からない所まで来てしまっているのは果たして誰が悪いのか、というところである。


「あっちから誰かの気配がするな……ならあっち行くか」


 大江山とその一体がそのまま都市となっているのだから陰陽市は意外にも広い。しかし仁は、そんな陰陽市の基本的なことすらも知らない。

 故に方法として、人の気配がする所へと歩いているのだ。

 そしてその野性的過ぎる行動が功を奏したのか、第一村人の発見である。


「お、誰かいるな。すみませーん」


「ん?」


 癸家にも負けず劣らずの、大きな門構え。

 その門の前を掃き掃除している女性の姿は、さながら巫女装束を来た神社の娘と言ったところだろう。見た目は仁と同じくらいの年齢に見えるが、佇まいや雰囲気が大人であることを感じさせる。


「いやぁ、突然すみません。ちょっと……道を聞きたくて」


「道?」


「そうなんですよ。俺、今日からここに住むことになったんですけど……全く道分からなくて迷っちゃって。って名前の家に行きたいんですよね」


「……なら、ここで間違いないが?」


「え?」


「――――なるほど、あなたがが言っていた鏑木仁だな?」


 兄様?

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