第33話 恒星邂逅 参
京都御所――その遥か上空。
雲の上に、星蘭と仁の戦いを眺める者たちがいた。
「あれが〝今代の鬼神〟……」
「だろうな。分かりやすく〝鬼〟だ」
その者たちの額には紋章が刻まれている。
文字は「龍」と「虎」。
その文字に相応しく、二人の姿は人間のそれとはかけ離れていた。
一人は、四肢が黒い鱗で覆われ龍のような角と尾が生えており、もう一人は、四肢が虎のような獰猛な爪、そして獣のような牙を持っていた。
「もし……あれが晴明の隣に立つ存在になるのなら――――」
「あぁ、そいつは分かりやすく危険だな。おい
「あぁ、お館様に報告しに行く。
「了解」
左虎と呼ばれた大男は、この闇に溶け込むように姿を消した。
ただ一人、黒い空に浮かぶ雲に取り残された右龍の龍の瞳に映し出されるのは……
◆
迫りくる獅子の腕を足で弾き飛ばし、視界外から伸びる蠍の尾を躱す。
地面を支えてい焦げ茶の熊手を片方振り上げた時、隙だらけになった顔面に再度蹴りを放った。
「痛痛ィィィイ!?!?」
互いに接近する形で迫ったが、その接近もほとんど無駄に終わる。
仁に近接攻撃をして返し技があるのも、完璧に避けることが出来るのも、この世でたった一人だけ。
それが例え化け物だろうが、獰猛な獣だろうが、関係はない。
この異形な化け物――混合呪体が例えどんなことをしたとしても、仁に攻撃が届くことは今のところないだろう。
「……っ!」
だが、仁は別の問題があってこの戦いが嫌だった。
「ッジィィイィ痛痛!! ギャァアァ!!」
この何重にもなった老若男女の叫び声。
あの二つの顔の、怯えて泣いて痛みを感じているような表情。
怒りなのか、恐怖なのか、何故か小刻みに震えた体。
「(……早くっ!)」
終わらせたい。
この苦しそうな声を聞いているだけで、気がおかしくなりそうだ。
「仁……」
戦う姿を見るのは二回目だが、外から見ている分……仁が非常に顔や雰囲気に出やすい性格をしているのがはっきりと分かる。
今も、相当気分が悪いのだろう。
だが――これもまた陰陽師の宿命。
呪いを吸収し己の力へと返還するとは、言い換えれば呪いを呪力というものへと
顔も知らない、声も知らない。そんな人や獣の負の感情をその身で吸収するということは生半可なことではない。
飲み込まれてしまえば――怨霊となってしまうのだから。
それに仁の場合は、〝鬼〟という体質がそれを増長させている。
「歩式順術――天翔」
低空を翔け抜け、混合呪体の攻撃を避け続ける。
そして懐へと潜り込み――仁の体から炎が舞った……
「手式順術――火突ッ!」
胴体に減り込んだ左拳から浄化の炎が舞い上がり、全身から灰を撒き散らしながら後退していく混合呪体。
次第に【朱雀の加護】の力によって呪いが燃え尽き、形を保っていられなくなったことによって〝皇天の呪〟は球体に戻る。
そして球体から黒い靄が仁の体へと吸収されていった。
意外にも呆気なく、余裕の戦いではあった。
しかし仁の様子を見ていると……
「はぁ……はぁ――」
その表情に余裕などはなかった。
肩で呼吸をしている。それほど精神的に疲労している。
「終わったようだな」
「はぁ……あぁ、結構キツイ」
「あれだけの呪いを吸収しているんだ、誰でも初めはそうなる。しかしこれで全部用事は済んだ、一回表側に帰ろうか」
「……腹減ったし、気分最悪だ。呪いと戦うってこんなに嫌な気持ちになるんだな…、てっきり祓って終わりかと思ってたぜ」
星蘭の後を追う仁の足取りは少し重い。
それもそうだ。あれほどの憎悪を第三者から向けられることなどない。
普通に生きていれば、だが。
「その気持ちに関しては、慣れていくしかない。幾千と経験をして自分なりの落ち着く場所に落とし込んでいくしかないさ。ゆっくり帰ろう――――仁?」
戦いが終わってから、京都御所の西側にある中立売御門から出た時だった。
この星すらも浮かばない黒い空を眺め続ける仁に向かって声をかける星蘭であったが、仁からの反応は数秒遅れて返ってきた。
「――――なーんか、見られてるような気がすんだよなぁ」
「この空に?」
「あぁ……人――ではねぇな。意思は感じるけど悪意は感じない、式神っぽいな。しかも結構頑丈そうな」
「……私には全く分からないな。流石に気の所為じゃないか? そもそも私たちを監視するような者はいないはずだ」
「気の所為……ねぇ。ま、気にするだけ時間の無駄か。よし、さっさと帰ろうぜ。もう全部終わりなんだろ?」
「今回の巡回は終わりだ。けど、これから仁には陰陽師の勉強が待ってるよ。教室でお勉強さ」
「おぉ! それは逆に助かるわ。俺本当に何も知らねぇからよ」
それから晴明神社へと戻り、無事に現実世界へと帰ってきた。
当然、帰って来たときも同じく蔵の中であったが、日が差し込んでいることで急に体に力が入らなくなり立ち止まった。
「仁?」
体から恐れという緊張感が一気に抜け落ちたということ、それに何よりも……
「――日が差し込んでることに、ちょっと感動してる」
「はは、確かに影の世界は夜というよりも〝暗い〟からね」
それから蔵の中にある鳥居を通り、教室の右側の鳥居から出ると、まだ誰も帰って来ていない様子だった。たった数人しかいなかったと言うのに騒がしかった先程の光景が嘘のようだ。
「なんか寂しいな」
「皆んながいないっていうのはそんなものだ。ここで勉強も静かでいいかもしれないけど、せっかくだし喫茶店にでも行こうか」
体の疲労もあってか少し呆然と立っていると、星蘭に腕を掴まれて陰陽寮を出た。
最初に願と祈と来た鳥居がいくつも並ぶ廊下を二人で歩いているときに、何で俺は腕を組んで歩いているんだとは思ったが……考えるのも面倒になったのでやられるがまま連行される形で――喫茶店に到着した。
陰陽市――唯一の喫茶店『八咫烏』。
建物の雰囲気は古民家風、清掃が行き届いた店内は外とは空気が違うようにも感じた。
「適当に頼んでおいた、食べながら説明するとしょう。その前に聞いておきたいこととかはないか?」
「聞いておきたいこと……すらも分からん」
「ふふっ、いいんだ。時間は沢山あるからね――一から説明していこう、まずは陰陽師の階級についてだな」
陰陽師には二つの階級が存在する。
それは成人前の陰陽師の階級と成人後の陰陽師の階級だ。
仁が来た〝特級クラス〟というのは、成人前の陰陽師の階級。
クラスは特級から四等級まで存在し、これは本来の陰陽階級と同じではあるが未成年と成人では少し違う。
成人前の陰陽師であれば、十八歳になるまでは仮の階級が与えられる。その実績が目安となって成人後の陰陽師の階級に影響するというわけだ。
その中でも〝特級クラス〟ともなれば陰陽階級で言えば準一等級から二等級の間くらいの力に相当する。
将来有望の金の卵というわけだ。
「へぇ、ちょっとややこしいんだな」
テーブルに広がる料理を頬張りながら、星蘭の話しを聞いていたのはいいが少し難しい。ようするに学生と社会人みたいなもんってことだと思う。
「そういや、星蘭は陰陽師のリーダーなんだろ? 俺とかとは立場が違うんだよな?」
「厳密に言えばそうなる。私は陰陽頭、〝今代の晴明〟として陰陽師全体を束ねるリーダーという立場になる。言うなら願だって立場は違う、陰陽五行家の一つだからね」
「あぁ、それそれ。その〝今代の晴明〟ってのは?
この
〝火〟の家紋を持つ、
〝水〟の家紋を持つ、
〝木〟の家紋を持つ、
〝土〟の家紋を持つ、
〝金〟の家紋を持つ、
この五つの家が、陰陽師の頂点である〝安倍晴明〟を支えているという。
その中でもリーダーとなって行動しているのが、〝土〟の家紋を持つ、
これは春休み中に散々教えられたので、頭にしっかりと刻まれている。
「〝晴明〟という名は、継承されていくものだ。私の体にも歴代の晴明であった先人たちの呪力が継承されているんだ。仁にも視えているんだろう? 私に内包されている莫大な呪力が」
「視えてるな、まるで星みたいな――――あっ、これ誓さんから聞いてた気がするなぁ。何だっけ……えー……っと、あ! そうそう、〝恒星〟だ。確かに目の前で見ると呪力がキラキラしてるっていうか…黒く濁ってないな。綺麗だ」
仁が今まで見てきた呪力という存在は、基本的にはどす黒いものだった。
靄のように揺らいでいて、霧のように漂っているのに粘っこくてドロドロとしているような……子熊金の〝黄金の呪力〟を除いて、今まで見た呪力はそんな感覚で捉えることができていた。
ただ、星蘭の呪力はそのどれとも違う。
誓が例えた〝星〟というのも頷けるほど――彼女の呪力は綺羅びやかであった。
「ぁ……ははは、綺麗なんて言われたのは初めてだ。嬉しいよ」
「お、おいおい照れすぎだろ。こっちが恥ずかしくなってくるわ」
「それくらい嬉しいことなんだ。この呪力は陰陽師にとっても呪いにとっても畏怖の対象だからね。流石は私の式神になる男、褒め方も分かってるね」
「……私の式神?」
「ん? 仁の師匠である先代の鬼神から聞いていないのか?」
「師範から? いやぁ……何も? 陰陽師関係の説明なんてする時間も暇もなかったし、師範は大事なこと全然説明しねぇから」
てか、式神関係はあんまり良い思い出がねぇんだよな……。
「それじゃ改めて説明しようか。代々〝晴明〟を継承する者は相棒と呼ばれる式神がいる。その中でも初代晴明から右腕として式神となっていた存在、それが〝酒呑童子〟と呼ばれる鬼だ」
「あ、それ師範の別名……」
「その酒呑童子が私の前の代で式神ではなくなってしまってな。これに関しては安倍家が悪いのだが……まぁ、それは置いといて。つい最近になって「弟子を取った」という連絡があってな。それなら私の式神になるということだろう? だから私は待っていたんだ――――仁のことを」
「いやぁ? 待ってくれ……師範、全く関係なくないか?」
「いやいや。弟子を取った……それ
「いや、どういうこと?」
それは師範に聞いてみないと分からんだろ。
俺はそんな目的聞いたこともないし、そんな目的で育てられた覚えはない。
ただモテることを考えて鍛えていただけだ。
「どういうことではない、そういうことだ。本来ならここに来た時点で式神契約をして――――」
「待て待て、その式神になったらどうなるんだ?」
「何も変わらん。強いて言えば、常に私のそばにいることくらいか? 生活を共にする。それに今回は男と女だ、結婚してもいいな」
「けっこッ……いやダメダメ! 今の俺じゃ何も決められねぇよ、その話しはまた今度だ」
「何をそんなに焦ることがある? ここは男が少ないんだ、もう既に婚約が決まっている者も少なくない……っと、すまない。連絡が入った」
陰陽衣の外ポケットから連絡器を取り出して内容を確認する星蘭は、眉間にシワを寄せた。
「急用が出来た」
「ま、リーダーだからな。忙しいだろ」
「すまない。本当はもっと一緒にいたかった……料理の代金は私が払うから好きなだけ食べていくといい。では――」
席を立ち店主に一声かけて、すぐに店を出ていく星蘭。
「……陰陽師のリーダーってのは大変そうだなぁ」
未だに料理が届けられるテーブル。
大量に重ねられた皿。
それだけでも、喫茶店ではかなり目立った席になっている。
「それにしても、どうやって帰ればいいんだろ。俺」
誰とも連絡が取れない仁はそんな呑気なことを呟きながら、まだまだ運ばれてくる料理を頬張った。
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