第26話 陰陽始業 参

 今朝の事件は、願から本部へ連絡をしたことによって問題なしと、無事になかったことになった。

 あの後は、


『……それじゃ、二人とも。また後で陰陽寮で会いましょう?』


 そう言って、彼女はあの場にあった大きな鳥居を潜り別れることになる。


『ちなみにあの人……だれ?』


『陰陽寮警備隊長補佐――弥勒人夢みろくひとかだ』


『へぇ、警備……。なぁ、俺ってそんなに不審者に見える?』


『あぁ』


『見えんのかい』


『陰陽市ではそう見えるって話しだ。当たり前のことだろう? 呪力を感じとれる者がお前を見たら誰でもそう思う。というか、こんなのんびりとした話しは後だ。家に行くぞ、黙って着いてこい』


 人夢がいなくなってから十分ほど時間が経過した後、願と仁も鳥居を潜り元の世界に戻ってきた。そこからは不機嫌そうな願の背中に恐る恐る着いていき一つの日本家屋にやってきた。

 『癸』と名が彫られた門構えに、よく整頓された庭、そして何よりも目立っていたのは一本の桜の木。


「季節だから満開だな、綺麗だ」


「あれは、必ず一本陰陽五行家に植えられている〝浄桜じょうおう〟という桜の木だ。私も詳しくは知らないが千年以上も前からあるらしい」


「なるほどね、だからこんなに生命力を感じるわけだ」


 三階建てほどの高さの桜の木を横目に、願が玄関を開く。

 すると味噌汁の香りが漂った。


「中に祈がいる、朝食を作ってくれているはずだ。お前はそれを祈に感謝しながら残さずに食べて、大人しく待ってろ。私は風呂に入ってくる」


「おう。あ、あと誓さんは? いないみたいだけど……」


「お父様は陰陽寮本部にいる、お母様は陰陽寮の厨房だ。お前は何もしないだろうが、余計なことは考えるなよ」


「朝っぱらから何を言ってんの?」


「一応、釘を差さないとな。春休みの一件もあることだし、お前はむっつりスケベだからな」


「あの時は悪かったって……」


 そう言って玄関から風呂場へと直行していった。

 何だか煮えきらない気持ちのままリビングに繋がると思われる扉を開き入る。

 すると、エプロン姿の祈が大量の朝食を用意して待っていてくれた。


「おはようございます、仁くん」


「おはよう祈、朝早くからお世話になりに来ました」


「ふふっ、これからよろしくね? ご飯まだでしょう、作って待ってたからこれ食べて?」


 双子でもこの反応の違い。

 あまりの優しさに視界が潤んできた。


「ありがとうぉ……祈」


 鶏肉を蒸して割き、野菜で和えたサラダ。

 まだ温かさを残す卵焼き。

 湯気立つ味噌汁と白米。

 それらが大盛りで食卓に並んでいることに、朝食も食べずに動き回ってきた仁の腹の虫もむせび泣くような音を鳴らした。


「いただきます」


 この量が朝の六時には用意されていることを考えると、相変わらず祈の方が早く起きていたんだな。いやホント、善と優しさの遺伝子は全て祈に吸収されてしまったのではないかと思うほど性格が違う。

 冬休みにも祈には本当にお世話になった。

 多分、祈が俺の家族と仲良くなっていなかったら誓さんの説得もギリギリなものになっていただろう。俺は稽古中だったから、どんなことを言ったのかは知らんけど祈が誓さんに「結構無理やりでしたね」って言っていたし。


 あれ? そういや、祈はいつ俺の家に行ってたんだ?


「そう言えば、今朝は何が起きてたの? 私の加護もしてたから大変な目にあってたんだろうけど……」


「あぁ、不審者扱いされて襲われてた。陰陽警備隊長補佐――弥勒人夢、って人にな」


「……それ、お姉ちゃんのマネ? ちょっと似てるのが何とも言えないからやめて。でも、確かその人ってお姉ちゃんが仁くんの迎えに頼んでた人のはずだけど?」


「それがさ、願がその人に送った写真が稽古終わりのボッコボコの俺の顔写真でよぉ。相手が普通に分からなかったらしいんだよ」


 うわ、この卵焼き美味っ!

 ちょっと母さんの味を思い出すのは仲が良いからなのか?


「へぇ……そうなんだ。ツーショット写真あるのにね」


「それ。まぁあの写真も俺汗だくの上裸だし、恥ずかしいには恥ずかしいけど」


「確かに。春休みの期間中ほぼ毎日二人で稽古してたもんね――あ、これ水ね」


「――ありがと。いやぁ、でもあの時はキツかった。夜まで続くし、何よりも切り傷できるしな。あいつ……俺がやり返せないしからってやりすぎだろ」


 何百回も「常に間合いを意識しろ!」って斬られたから、刀を持つ相手に対してはかなり戦えるようになってると思う。反射的に間合いから避けるくらいには反応が良くなっているはずだ。

 あの稽古があったからこそ、先程の戦闘に活かせた部分もあった。

 体が無意識に間合いから外れたからこそ小さい切り傷で済んだけど、願との稽古がなければ首をすっ飛ばされていただろうなと思う。


「それはお姉ちゃんにとかって言うからでしょ? 命懸けで戦ってるにそんなこと言うからだよ」


「でも守らないといけないんだよ。父さんが言ってたんだ、その方がモテるって」


「まぁ~た始まった。もうっ、モテるモテないなんて陰陽市ここに来たら関係ないって」


「え――でも誓さんがモテるって……」


「お父様も余計なこと教えて……」


「余計じゃないぞ。俺の本来の目的はそれだ!――ごちそうさまでした」


「……はぁ。はい、お粗末様でした。それじゃ私は食器を片付けるからお風呂入ってきていいよ、服は洗濯機に入れていいから。陰陽師の服はこっちでお父様が用意したものがあるから後で持っていくね」


「わかった。でも願は上がったのか?」


「あ、お姉ちゃんお風呂に入ってるの? それなら上がるまでここでお茶でも飲んで待ってて、絶対に覗きに行こうとか思ったらダメだからね? 春休みの件……忘れたわけじゃないでしょ?」


「そこは双子なのかぁ……」


 それから数分後に願が風呂から上がりリビングに来た。

 上下黒の半袖ハーフパンツ姿、髪もちゃんと拭かず肩にタオルだけかけた状態。前に一度仁が「おっさんみたい」と言ったら斬られたことがあるスタイルである。


「祈、朝食を頼む」


「ちょっとお姉ちゃん! 髪はちゃんと拭いてよぉ、痛むって何回も言ってるでしょ? うわ、化粧水もしてない。もう!」


「……寝起きだから忘れてただけだ。そもそも祈が私と一緒に入ってくれればこんなことにはならない」


「一緒に入ってたのは小学生まででしょ? いっつもこれなんだから……」


 なんとも甲斐甲斐しいことか、祈はいつも願のことをお世話している。

 パタパタとスリッパの音を鳴らしながら、洗面台まで行き化粧水とドライヤーを持って帰ってくるとソファーに座ってやってくれるのだ。

 だか、このズボラな性格はまだマシになったほうだ。

 春休みを終える前まではの願は風呂から上がれば裸族同然。タオルを肩にかけて胸元を隠し、パンツ一枚の姿で風呂場から出てくるのだ。


『……は?』


『――覗きか……死ね』


 思い出すだけでも身震いするような出来事だった。このズボラな性格のせいで、春休みに仁は願から被害にあっている。

 

「願ぃ~、ホントは祈にやってもらいたかったんだろう?」


「黙れ、。お前まさか……朝から私に迷惑をかけたこと、覗きの件、その二つをもう忘れたのか?」


 今までのやり返しと言わんばかりに小馬鹿にするように放った仁の言葉は、当然のように倍々で帰って来る。

 これも春休みに散々体験したことなのだが、仁も学習しない男である。


「その説はホント、すみません。――お風呂、いただきます……」


「なんだって? 風呂に入る? 私が入った後の湯でも飲みに行くのか? それとも洗濯機を漁りに行くのか? 私が後で確認したときに少しでも異常があれば――――」


「こらっ、お姉ちゃん! 死体撃ちはダメでしょ! 仁くんも余計なこと言わないの! ほら、集合時間が朝の七時なんだから早く入ってきなさい」


「……はい。すみません、ありがとうございます、いただきます」


 願が来た気配を辿り、トボトボと風呂場へと向かう。

 汗が乾いた服を洗濯機に投げ入れ風呂場へ入ると願が入っていたためか、少し熱気が漂い、入浴剤によって濁った湯が少し揺れていた。


「なんだよ風呂の湯を飲むって……体に悪いだろ普通に。それに洗濯機なんていちいち漁らないっての、覗くことすら珍しいってのに」


 温度を少し高めた、四十五度の湯を浴びる。

 その温度を体に馴染ませてから容器をよく見て、ボディソープで体を洗い、シャンプーとトリートメントで髪を洗い流し、体を綺麗にした状態で湯に浸かる。

 ふと、心が落ち着き始めたときに自分の体を眺めた。


「……相変わらず、柄が悪いよなぁ」


 体に刻まれた【四神印】。

 【朱雀の加護】――火。

 【青龍の加護】――木。

 【白虎の加護】――金。

 【玄武の加護】――水。

 それぞれが順に左腕、左足、右足、右腕と体に刻まれている。更に弓削鏡との戦いを終えてからは【朱雀の加護】の力が強まっている。呪力を流し続けると、心臓のある胸部分にまで広がってしまう。

 それに未だに加護として力を発揮できていないものもあると、仁は誓と榊に相談した時に言われている。

 春休みに願と稽古している時に【玄武の加護】の力である再生能力は使えるようになっているが、それでもまだまだだそうだ。


「全く……陰陽師としてありがたいことなんだろうけど、一般人には馴染なさ過ぎて焦ったもんなぁ、これ。こんなゴリゴリに入れ墨入ってる中学生とかモテるわけねぇし」


 一応ググったら、海外だったらモテそうだった。

 日本ではあんまり受けが良くなさそうな印象。

 と、そういう調べものが得意な祈から教えて貰ったが――海外でモテるならそれはそれで良いなと思ってしまった。


「まっ、陰陽師にモテるって誓さん言ってたし。なんだっけ……? 理由は忘れたけど、陰陽師って女性の人の方がなりやすいから女の子が多いって言ってたし。とうとう春が来るぞぉ――――ん?」


 風呂場の外から気配……あぁ、祈か。


「仁くん、もうそろそろ上がって下さいね。間に合わなくなってしまいますよ」


「仁、湯は美味いか?」


「……お前もいたんかい。風呂の湯は飲んでねぇわ!」


 春休みの稽古中に俺があまりにも刀を躱すもんだからって気配を消すすべを身に着けやがって……ちょっと怖いんだからな、ホントに。


「それじゃ、服を置いていきますよー」


「ありがとうー。しっかり十秒数えたら上がるわー」


 扉を閉める音と「子供か?」という願の声が聞こえたが、これが母から言われた子供の時から習慣というやつでなかなか抜けない。

 それに今のは、二人が出ていくにも使えて一石二鳥だった。


「……まぁ、何であれ。これから新生活かぁ、頑張りますかね」


 陰陽師としての生活を――――。

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