第14話 鬼神覚醒 壱

 瞼を開いた時、まず視界に捉えたのは自分の姉であった。

 原型は留めてはいるが、爪、皮膚、目、髪、指、臓器、それらが所々欠損しているのが分かる。それを見て、視界が潤み体の力が抜けていくような感覚になるが、涙が零れそうになるのを歯を食いしばって耐えた。

 ゆっくりと手を伸ばし抱き寄せる。

 もう血すらも流れない自分よりも一回りも小さい体、酷く冷たくそして軋む。


もう、手遅れなんだ。


 そう思うと不思議と力が湧き上がった。

 分かっている、これは抑えることが出来ない負の力だ。

 怒り、殺意、憎しみ、それらの感情からくる力でありながら、受け入れてしまっている。むしろこの感情に流されようとまで思っていた。

 そして仁のこの感情が膨れ上げれば上がるほど、視界の闇がより濃くなっていく。この抑えきれない衝動に飲み込まれ瞬間に意識が引っ張られる。

 やがて、鼓膜に届いた音は水滴の音色。

 水中に体が放り出されたかのような浮遊感に身を任せて、ゆっくりと沈んでいった先には――――とても澄んだ世界が待っていた。


【星の結界】


 調伏の儀で見た空に広がる満点の星。

 その景色を見た時に、不思議と心の中で生まれたこの黒い衝動が吹き飛んでいくように感じた。

 衝撃もなく地面に着地すると、体に刻まれた【四神印】が強く輝き始める。

 改めて四方を見れば強い輝きを放つ四つの陣が浮かび上がっていた。


玄武の加護】

青龍の加護】

朱雀の加護】

白虎の加護】


 知らないが知っている……そんな感覚だった。

 何が出来るのか、どんな力があるのか、全く分からない。でも何故か――――そんな気がしてくる。

 その全能感が仁の心に冷静さと安らぎを与えたのと同時に、常世かくりょに声が響き渡った。


常世かくりょは魂が廻る場所、死してなお彷徨う魂を救済せん。

秘術――泰山府君。それは死者を蘇らせることではない。

世界に記憶された〝死〟を忘れさせることなり。』


「誰かの……会話?」


『人が記憶を失ってしまうのと原理は同じ、陰陽師であるからこそ規模や概念に囚われることはない。ただ原因を取り除き、それを無かったことにすればいいだけ。

何も考えるな、後は世界が勝手に適応する。』


「原因……」


『世界から記憶を消すことなど、我々の力があれば造作もない。

我々を魅入らせた力を存分に振るうといい。

その力を持ってして〝死〟という不変の概念を破壊してみせろ。

さすれば、望みは叶うだろう。』


「望みが叶う――――」


 無残な死を遂げた姉の姿を視た。

 今の誰かの会話が本当のことなら、死んだという概念すらもなかったことに出来るのが陰陽師という存在らしい。


「そんなこと本当にできんのかよ……」


『世界は無数の起点によって生み出される運命によって生きている星。

大きな負の概念は、大きな正の概念を生む。

それが巨大な存在であればあるほど覆すのは難しいが――――』


お前ならば出来るだろう?


 その会話は、心に染み込むようだった。

 きっと俺には言ってない。常世かくりょが見せてくれた、誰かの記憶。

 それでも今の言葉は、俺に確かに元気をくれた。

 膨れ上がるような負の感情などどこかに消え去り、絶望などなくなっていく。

 そして体を動かそうとしているのは希望であった。

 空を見上げる。

 すると浮かび上がっていたのは満点の星空ではなく、自分の視界に映っている光景。意識が消えたあの赤い鳥居が視界の端に映っていた。


「あ、蕪木さん……と、あいつは……」


 蕪木は物凄い熱い視線で、こちらに何かを訴えかけている様子だ。

 だがそれよりも仁の視線を奪っていたのは蕪木と向かい合っている男の存在。


「あいつが原因――――」


 今なら何でも出来そうな、そんな気がする。

 ほんの少しの希望、見えるか見えないかどうかの小さな希望。

 それだけが力をくれる。


今すぐにでも、あの場所に戻りたい。


 そう願った時、【星の結界】に亀裂が走った。

 天井から砕けたガラスのように星の欠片が散り始める。

 

「あいつを倒して……さっさと全部終わらせてやる」





「……ようやく行ったか。陰陽寮の命令にしか従えない人形だが流石だな、この結界術はやつが死ぬまで解けそうもない。これではお前を解放することが難しいな、さて――この呪力の壁をどう切り抜けるか……」


 もはや留まることない呪力。

 ここに立っているだけで体が弾き返されるような気がする、もうこれでは人間とは呼べない。法術によって肉体を強化しているとはいえ、少しでも緩めたら服も皮膚も引き裂かれていきそうだ。


「意識の確認をしてみるか、この場合は敵意の方が良いか? 式神創造――飛来爆進ひらいばくしん


 弓削はこの時、鏑木仁という一人の少年を見誤っていた。

 自分にとってたまたま巡ってきた奇跡。

 本当に都合の良い駒であり、完成された実験材料。

 そんな好都合な人材が勝手に呪力に飲まれ、意識が混沌としている。

 こちらで会話をしていても立ったまま微動だにせず虚空を見つめ、ただ一人の少女を大事そうに抱きしめているだけ。

 

――――


 これまでの陰陽師としての遍歴がそう勝手に決めつけていた。

 弓削にとっては実験材料の状態確認のつもりで、殺意と呪力を込め紙飛行機型の爆弾を少年に目掛けて放った。

 その刹那、弓削の放った攻撃が灰燼と化した。

 そして……


――――」


 目の前で少年の姿が消えた。

 あまりの速さに一瞬だけ思考が止まる。

 だが、その思考が戻る前に弓削の鼓膜に響いたのは地面を叩くような鈍い音。

 それと同時に弓削の視界を覆った黒い影。


「脚式順術――つぶて


 反応する前に顔面に仁の足刀が直撃し、老朽化した神社と生い茂るまま育った木々を薙ぎ払いながら後方へ吹き飛ばされた。

 その勢いは止まることなく行くところまで進む、やがて止まる。


「……ぅ、ぐぅ……な、何が起こった?」


 法術による身体強化をもろともしない強烈な一撃。

 呼吸を出来ているのかすらも分からない混沌とした頭で、自分が吹き飛ばされた先を薄い視界で確認した。

 その先には一人の少年が立っていた。

 先ほどとは全く違う、その強い輝きを放つ瞳はこちらを見据える。


「……あんたで間違いないな。俺の家族に手を出したクソ野郎は」


 仁から流れ出していた大量の呪力が、空へと流れていく。

 その呪力はやがて空を覆い尽くし、世界すらも覆い始める。


「立て」


 その恐怖はどこから来てるのか分からない。

 幼い頃から陰陽師として生き、数々の死線を超えてきた自負がある。それでもここまで体の内側が震えたことがあっただろうか。

 徐々に見開いていくその瞳に映る仁の姿。

 ようやく立ち上がることが出来た弓削が対峙しているのは、まさしく鬼神と呼ぶに相応しい少年の姿であった。

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