第13話 人神変異 肆
仁の体から溢れた呪力の波動。
そして完全に消え去った自身の式神。
それは場を離れた弓削まで届いていた。
だが、そちらに反応することなく札で折られた鶴の式神を操作し、ただ真っすぐ似伸びた階段を上りながらこの山の頂上へと向かっていた。
木に囲まれた道ではあるが、式神による視線の共有で周囲を確認している。
「己を突き破るような呪力の暴走、やはりあいつを私の式神にすることが出来れば最強の式神が完成することだろう。ようやくこれまでの実験が報われる……しかし不自然だな、この呪力を確認して陰陽寮から何も反応がない。癸のやつらもそうだ、近くを嗅ぎ回ってるやつが一人いるが――――この呪力は癸誓ではないな」
体に呪力を巡らせると、次は別の場所に送っていた式神を操作する。
その場所というのは住宅街。呪力を感知した人間を攫うようにと造った式神、巷では〝神隠し〟と呼ばれている事件で戻ってきた人間に扮した弓削が作り上げた人攫い用の式神の操作である。
「戻ってこい、もうこの街には要はない。必要になるかは分からないが、念には念を入れておいたほうがいいだろう。陰陽寮からの連絡がなければ動かん奴らばかりだから大丈夫だろうが……」
これだけの戦力があればもしもの時の時間稼ぎにはなるだろうと考え、散らばっている式神を戻すように命令する。
その数は少ないもののある程度の戦力にはなるだろう、戦力差こそ埋まらないだろうが数は力になる。
「結界の確認をして早く戻るとするか。まぁ、このままあの少年が暴れてくれるのもありだがな」
その意識はこの自然に囲まれた小さな街に向けられてた。
十二月の初めに隠れ蓑として価値を見出した街……改めて思い返せば大きく貢献してくれたと少し笑みが溢れる。
人口が少なく、それでいて人間関係にあまりストレスを感じることなく過ごせるであろう場所。例えるなら美味しい肉が彷徨いている放牧地のようなものだった。
〝癸〟という大きな存在がいるのも尚良かったと言えるだろう。おかげで呪力を秘めた人間が沢山いた。それほど人数を抱えていない癸家の灯台で暮らす日々は、計画通り良い時間となった。
それに原石とも言えるような逸材が、たった今呪力の暴走によって怨霊と化す一歩手前まで来ているのだから口角が上がっていくというもの。
「急ぐか」
◆
体から熱という名の水分が出ているような気がするほどの寒気。思わず死を感じてしまうような恐怖。
「……こりゃぁ、やべぇ」
仁の姿を追って近くまで着ていた蕪木は速やかに癸家の連絡網にメッセージを送った。その内容はたった一言だけ「救助要請」と予測変換を使って一秒ほどで打ち込んだ。だが、陰陽寮からの連絡が着てしまったため救助に頼ることなどはなく蕪木は一人でこの呪力の発生源まで向かった。
鳥居を潜り続け、長い階段を上り切った場所、法術による身体強化の影響で到着は一瞬だった。しかし、その場所には誰もいない。残っている痕跡はただ一つ、鳥居を向こう側に見えるどこへ繋がっているのか分からない
「
蕪木は一息置いてから鳥居を潜る。
あの世とこの世の境、その光景はとてもシンプルな真っ白な空間であった。
しかし、その真っ白な空間とは裏腹に一度染み込んだら拭えないような血の匂いと大量の死体が並べられていた。
「…………」
地元の人間でも名前を知っているのかも分からないような神社でも、初詣の影響で呪力が膨れ上がりその一時的な影響で作り上げられた空間。空間の固定が不安定なのでよく分かる。恐らくこれが残っている時間はそう長くはないだろう、そしてこの場所が消えれば……ここにいる人間も本当に存在が消える。
そして、まさに今その
この空間の中央で膝を着き崩れ落ちている――――一人の少年の影響によって。
「仁?」
「蕪木さん……?」
微かに絞り出したような声、つい昨日までのあの少年とはまるで別人のようだ。
表情も口調も何もかもに全く力を感じない。立ち姿からですらでも圧があった調伏の儀の時とは大違いである。
「何があった!?」
振り向いた仁が抱き寄せていたのは、一人の女性。
その女性の下には血溜まりがあり、視覚からの情報では既に息を引き取っているように見えた。
「姉さんが、俺の家族が……」
「おい! おい仁――――」
心配する気持ちよりも先に感じた異変、陰陽師から見て仁の様子がおかしい。
そう思った時には遅かった。
ぐにゃりと空間が歪む、この小さな
蕪木は体が跳ね返されるような呪力の圧を結界術によって反射的に防いだが、それを押し返すように徐々に呪力が膨れ上がっていく。
「……【四神印】が呼応してる?」
まるで呼吸するかのように膨れ上がる呪力。
「助けられなかった……間に合わなかった」
体の内側から呪力が漏れ、空間に滲む。
「仁! しっかりしろ!!」
その呪力は次第に仁の体を侵食するかのように、まとわりつく。
黒く、濁っていく瞳。
呪力に呼応する、体に刻まれた【四神印】。
「無理だった。どれだけ体を鍛えても、どれだけ強くなっても、絶対に無理だったんだ。俺なんか……何もできやしなかった」
「くそっ、話しが通じねぇ……このままじゃ
今の不完全な状態なら何とか結界に閉じ込めることが出来る。
そう思い、懐から札を出したその時、それは一瞬にして灰と化した。
「呪力に反応して……【朱雀の加護】か!」
「蕪木さん、ごめん。もう無理だ……もうこの感覚に抗えない。ただ、これだけは約束する――――俺は必ずあの男を……」
「仁ッ!!」
そう叫んでも、もう蕪木の声は聞こえない。
仁の体に内包されていた呪力が一気に膨れ上がり、外に放出される。その勢いで
蕪木は咄嗟に結界術によって見を守るが、その解き放たれた力によって
「おいおい……冗談じゃねぇぞ」
鳥居の向こう側。
あの世とこの世の境目――――その場所から現れた存在。
もはや彼に自我はない、その腕に抱えた一人の女性以外にもう価値を感じていないのだろう。
「……陰陽寮からの連絡なし、癸も丙も動く気配なし。つまり俺もあんまり動けねぇ、どうする?」
スマホを見ても連絡はどこからも入っていない。
強いて言えば、誓から「陰陽師として動くことはできない」というメッセージのみがロック画面表示されている。
「おぉ……どうやら、ようやく堕ち始めたな」
スマホに視線が向いていると、山の麓に向かう階段から声がした。
「弓削ッ!」
「そう大きな声を出さずとも聞こえているよ……蕪木俊太郎。あぁ、言っておくがこれは私が狙って行ったことではない、たまたま起きた奇跡だ。勘違いするなよ?」
「何が奇跡だ、全部てめぇのせいだろうが!」
「違う。もし誰かのせいにする、もしくはしたいのならば……私の研究に対して反対してきた陰陽連の陰陽師のせいだ」
「何言ってやがる……あんなの誰が賛成すんだよ」
式神創造実験。
本来であれば、式神の体となる素材に呪力を込めることによって式神は完成する。
例として土偶式神を上げるとすれば、〝土〟で型を作り〝呪力〟で固定することによって式神は完成する。とてもシンプルな術になるため陰陽師であれば誰でも使える術と言っても過言ではない。ようは型があれば呪力によって式神を作ることができる、折り紙なんかも同じだ。
だが、この弓削鏡という男はで式神を生命から生み出す実験を初めたのだ。それは遥か昔に禁忌と定められたことがあり、今ではもう陰陽師の中で特級規定になっていることである。
非道を歩んでいる男の言葉など信じられるものか、と睨み返すも相手の反応は静かなものだった。
「はぁ――、この研究の価値を分からない人間がまた一人……どうやらお前と話すことはないらしい。少し黙れ。私にはこれからやらないといけないことがあるんでな」
「やること?」
「……? 黙れと言ったはずだが?」
弓削は一枚の紙を取り出した。すると、指でなぞり仁が守るように抱きかかえてる女性と紙を見比べている。
そして更に腰袋から一つの瓶を取り出す。
「式神創造――
弓削の呪力と瓶の中身が共鳴すると、街から爆裂音が聞こえた。
「あぁ……こいつは違うのか。他に黒い髪の女は――――」
「結界創造――
もう一度腰袋から何かを取り出そうとした弓削の動きを止める。正確にはその腰袋を結界で囲うことで取り出す行為を止めた。
「なにしてんだ……てめぇ」
街全体に響き渡るサイレンが鳴った。
機械音のような女性の声が街に避難を促すようなものも聞こえてくる。
「邪魔をするな、大事なところなんだ」
「なにしてんだって聞いてんだッ!!」
「……はぁ、仕方ない。説明してやろうか、どうせお前に聞かれたところで問題はないだろうからな。――――あの少年は現状、不完全な怨霊化が進んでいる状態だ。つまり、呪いが増幅している状態。あの状態が続けばあの外に放出しきれていない呪力が暴発しこの街ごと吹き飛ばすことになるだろう。私はそれを止めてやろうと行動しているだけだ」
「街で起こった爆発はどう説明する」
「あれは私の式神が爆発しただけだが? それくらいは分かるだろう」
街を眺めることが出来るような場所からでも分かるほどの爆発、恐らく単体での爆発ではなく複数の式神が爆発した威力だ。
出力から見ても五体以上……。
つまり、あの腰袋には起爆装置としている物が仕込まれていて、それに呪力を流すことによって自分の式神を爆発させる術、と考えていいだろう。
「お前がここ一ヶ月で攫った人数は百人以上……ここは普通に吹き飛ばせそうだな。それに式神使って妨害してきたのも、やっぱりてめぇか」
「ようやく無駄のない解釈をしてくれたな。まぁ、一ヶ月もあればこのくらいは準備しておく。私も追われる身だからな」
「でも明らかに今の起爆はあの子を狙っただろ……どういうことだ?」
「どういうこともなにも――――あの少女を完全に消すことで、あの少年を怨霊に完全に昇華させるんだよ。何故抑える事ができるのか分からないが、まだまだ呪いの出力が足りていないんだ。だから中途半端な怨霊となっている。見てみろ、あの少女を大事そうに抱えているが……少年自体に動きはない。まだ自我と呪いの中で彷徨っているんだ、つまりあの
「そこまでして何がしてぇんだ? 怨霊に対してやることなんて――――」
祓うか使役するかの二択。
そう言う前に様々な可能性から弓削がやろうとしていることが繋がった。
「なるほどな……仁を式神として使役しようってことか」
本来は人間に対しては出来ないことだ。
だからこそ人間に対してどうするかという実験を行ってきたというわけだ。
そして導き出したのは、呪力を持つ人間を怨霊化させること。
しかし、今まで攫ってきた人間には怨霊となるまでの〝呪い〟も呪力も足りていなかったということなのだろう。故に攫って試していたというわけなのだろう。
「そういうことだ。邪魔をしてくれるなよ? そもそも陰陽寮からの連絡も報告もなしにお前が動いていることがどういうことか考えろ、個人としても癸家の護衛としても罰せられることになるぞ? そろそろ戻った方がいいんじゃないのか」
「……正論言ってんじゃねぇよ、狂人が」
だが弓削が言っていることも、また事実。
陰陽師を統括する〝陰陽寮〟からの連絡は、陰陽師にとっての絶対命令。
この決まりが存在するからこそ、一般的に陰陽師が存在することが明らかとされていない。
胸糞の悪い話しではあるが、これは国も関係してくることだ。
今まで放送されたこの街でのニュースも嘘は言ってないが本当のことも言ってないし、これからこの街で起こる出来事はニュースにも報道されないだろう。
金銭のやり取りと呪術によって、記憶から消されることになるだろう。
今頃、陰陽寮から意識を操作することが出来る者たちが集まって来ていることだろう。それには癸や丙だって関わってくる。その関係者である願も祈も蕪木も、連絡があればここから離れなければいけない。
「時間切れだな」
弓削は画面が見えるようにスマホを蕪木に見せつける。
「……クソが!」
そしてタイミングなのか、蕪木のスマホが振動した。
今ここで連絡を入れてくるとすれば誓か願の二択だが、恐らくは誓の方だ。
当主としての業務連絡に近いことだろうが、俺に命令出来るのは旦那だけだからな。
「――――仁……」
たった数日、時間で言えば百時間も共にいない少年を見つめた。
こんな形でこの出会いは終わる。陰陽師ではよくあることだ、問題ない。
そう割り切っていても、どうしてかいつもよりも淋しい気もする。
その虚ろな瞳に届くかわからない。
けど、この熱意が届いていると信じている。
怨霊になることを止める――――そんなこと不可能だ。
怒り、憎しみ、怨み、そういった負の感情は爆発したら止まらない。呪力を持っているのなら尚更だ。
だから、何とかしろ。
お前は既に陰陽師の前例を破壊した。調伏の儀で見せたあれは事件だ、きっとあの場にいた人たちはお前に期待してる。
鳴り止まないスマホを握り、蕪木はこの場から立ち去った。
この思いが届いていることを信じて――――。
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