第10話 人神変異 壱

 癸家で朝食を食べた後、鏑木仁は自宅の前で立ち尽くしていた。

 高級車で近くまで送り届けられ、震える足を無理矢理この場所まで運んできた。

 どうして足が震えているかって?

 それはここに来るまで数秒間に、誓に言われたことを思い出していたからだ。


「陰陽師になるしか方法はないよ、ほら思い立ったがなんとや……今すぐに家族を説得しに行こう!」

「それでは蕪木に車の用意を」

「あぁ、頼むよ祈」

「では私は陰陽寮からの司令を。最近問題になっていることに関わっているのは〝はぐれ術師〟のようですので」

「あのことか……くれぐれも気をつけてね? 願。あ、そうだ仁くん。君は交通事故ってことになってるからね? 君の母君がとても寛大な方でまるく収まったけど、昨日起きたことは口に出来ない契約になってるから注意すること」

「もし守れなかったら……」

「詳しくは言えないけど……気をつけてね? あ、あと私の連絡先ね。ご家族からのご了承を得てから連絡ちょうだいね」


 いや、怖いわ! あの人怖いし、家族も怖いわ!

 家族に嘘言えないし! 聞かれたら答えちゃうって、俺!

 てか説得ってなんだよ、俺ですら答えてねぇぞ!? せめて一人くらい説明役を寄越してくれよ……蕪木さん以外で。


「ふぅ……落ち着け、落ち着くんだ。そうクールクール、取り敢えず――玄関で待ってる人はいないな……よし、行くぞ」


 何故か自分の家なのに緊張する。

 朝十時を少し過ぎたころ、いつもなら家族は全員起きているはずなのにとても静かなのだ。まるで友達の家に無言で入るような無礼なことをしているような感覚すら覚える。

 玄関の扉に手をかけた瞬間――――


「なんか、おかしい……気配が沈んでる?」


 静かな足取りで家に帰宅。ここの家族でなければただの空き巣と変わらない光景に映るだろう。玄関には靴が三足、父、母、兄が履いているもの。姉のはない。


「(リビングにいるな……どうした? なんか元気なくないか?)」


 姉がこんなに朝早くに出かけているなど珍しいと思いつつも、静かに靴を脱いでリビングへの扉を開けた。するとそこに姉を除く三人の姿があった。


「た、ただいま……」


「仁、おかえりなさい。ちょっとこっちに座ってくれる?」


「うん」


 何だか母さん……元気ないな。


「車に撥ねられたって聞いたけど……流石は俺の息子、ほぼ無傷だな。よかったよ……」


 何だか親父も元気がない。

 いつもポワポワとした優しい雰囲気を漂わせる兄も暗い表情だ。


「なんか元気ないみたいだけど、何かあった?」


 自分がいない時間に、自分だけ家族に置いていかれているような淋しい感覚。そして気分が沈み悲しそうにしている目の前の家族――――


「仁、お前はここずっとニュースとか見てなかったもんな。検討つかないのも無理はない……今な、ここらへんで誘拐事件が多発してるんだ」


「誘拐事件……」


「ニュース番組ではどこもその事件を取り扱ってる。記憶をなくした状態で戻ってきた人たちもいるみたいでな、巷では〝神隠し〟なんて呼ばれている事件だ」


 徐々に心臓の鼓動が早まっていくような気がした。

 今にも泣き出しそうな母。

 ずっと暗い表情をしている兄。

 話す度に口元が震える父。

 まるで察しろと言わんばかりに話すのを辞めた父の表情を見る、薄っすらと瞳に水の膜のようなものが見えた。

 心臓がうるさい。

 時計の秒針がやたらと響くリビング、その机の上に置いてあるテレビのリモコンの電源を点ける。


『――――現在も捜索が続いています』

『もう二十人を超えましたか……警察の方ではまだ何も?』

『えぇ、現在入っている情報の中では警察からの情報はありません』

『一つの地域で二十人ですよ!? 警察は一体何をしてるんですか! 六日からたった一日で、同じ地区から二十人ですよ!? さっきも言ってましたけど、今日も四人……手がかりがないなんておかしいじゃないですか!』

『言い分は分かりますが、落ち着いて下さい。既に七人の消息不明、現場には得体の知れない消し炭やらが残されていたとのこと……何も進展がないわけではないでしょう?』

『それ以外何も分かってないのが問題なんですよ!』


 テレビで誰かが話す度、苦しそうな表情をする家族。

 理解したくなかった。

 納得したくなかった。


「まさか――――」


 体が強張った。もし気を抜けば勝手に涙が溢れそうになる。


「姉さんが?」


 誰も答えてはくれない。

 嘘だと言ってほしかった、これがただの家族喧嘩で家出している……そんな回答がほしかった。

 ただ聞こてきたのは母の涙が机に落ちる音。父の喉が締まった返事かもわからない小さな声。兄が珍しく歯ぎしりする音。それが答えだった。


「……はっ」


 それは走馬灯のように思い出された昨日の出来事。

 土偶式神、呪力、常世かくりょ、はぐれ術師――――


「陰陽師……」


 その呟きは誰にも聞こえないほど小さな呟きだった。

 自分でも分からない……それは確信のない確信。

 今朝、願が言っていた〝はぐれ術師〟という言葉が理由も分からないまま、選択肢を確定させた。


「(ダメもとで誓さんに聞かないと……、契約で話せないとしても、どっちみちこれは家族には言えないことだ)」


 つい先日出会った〝非日常〟が、信じられない速度で自分の日常を侵食していく。それはとても怖くて、だがどうしてか無性に心の奥底にある黒い何かを熱くさせた。


「仁?」


 席を立ち上がった仁に声をかけたのは兄だった。

 涙をこらえているからだろうか、声が震えている。


「俺、ちょっと行ってくるよ」


「え?」


「詳しくは言えないんだけどさ、姉さんのこと見つけてくるから待っててよ」


 これは一般的な事件ではない。

 間違いなく〝非日常陰陽師〟が絡んでいる。


「仁……? 何言ってるの、今は外には出ない方がいいって! 学校だって冬休み延長されてるんだから、そのくらい大事になってるんだよ!」


「そうだぞ、何を言ってるんだ仁! これ以上……家族を不安にさせるな!」


「兄さん、親父……大丈夫だよ、冬休みが終わるまでに帰ってくるからさ。後で絶対説明するから、ここは俺に任せてよ」


 中学生の子供が何を言ってるんだ、そう思われても仕方ない。二人が怒っている感情も、母さんが悲しんでいる感情も伝わってくる。


「早めに帰って来るよ」


 これがやむを得ない出来事でならば仕方がないと割り切れていたかもしれない。災害、病気、不慮の事故、そういうことだったのなら涙を枯らし、口の中に血の味がするほど耐えて割り切れていたかもしれない。

 ただこれはやむを得ないことではない。

 感情的になっている家族を置いて、仁は外に出る。すると一瞬、脳裏に星の世界が見える。まるで常世かくりょで見た【星の結界】のようなものだ。


「……か?」


 見慣れた光景をただ歩く。体はに動き、住宅街を抜けるよう進む。引き合うように家から車で一時間以上かかっていた家族と初詣に行った神社へと向かっている。天候は心とは裏腹に晴天、朝だというのに人の気配がない住宅街で仁の声が響いた。

 

「もしもし鏑木仁です――――」


「あ、もしもし? どうだった?」


「陰陽師になる許可はまだ取れてません、でも一つ解決しないといけないことができました。最近ニュースになってる誘拐事件……それって関わってるの――」


 今はこの明るい声に答えることはできない。ただ腹の底からでる抑揚のない声だけが向こう側に聞こえていることだろう。


「あぁ……あれはこっち陰陽師側の問題だね」


「そうですか……やっぱり。俺も協力させてもらうことって出来ますか?」


「残念ながらそれは出来ないよ、君はまだ陰陽師ではないからね。……その様子だとご家族の誰かが巻き込まれたりでもしたいかい?」


「まぁ、そんなところです。分かりました、ダメなら仕方ないですから」


「勝手な行動したらいけないよ、相手がいつどこで見ているか分からないんだから。それに君は【四神印】を得た存在、一般人から見ても陰陽師から見ても異常なんだ、もの凄く目立つ。ご家族を助けたいのなら、私たちに任せて下手に動かない方がいい」


 それで助けられなかったらどうする?


「君はあくまで〝ただの中学生〟なんだ。持っているものも陰陽師にならなければ宝の持ち腐れ……今の君に出来ることはない、くれぐれも助けるなんて勝手な思考にならないこと。いいね?」


「分かってます――――」


 通話が終わり、導かれるように向かっている場所。その場所の上空にはこの晴天でも目に映るほど煌めくが浮かんでいる。


 あの場所は……確か神社の――。


 名もなき山にやたら段差が高い階段がありその奥には意外にもしっかりとした赤い鳥居。賽銭箱があり平屋ほどの大きさの神社が建っている。

 そこはもう役割を終え、今は酷く閑散とした名もわからない神社。

 近づけば近づくほど……心臓が鼓動する。


 あそこに行けばいい。


 不確かな確信がそう囁いた。

 それを信じて、仁は走り出す――――視界に映る星の下へ。




 

 木材の壁には穴が空き、そこから差し込む光に映るのは浮き上がる埃と男の背中。壁には無数の紙が貼り付けられ、机には大量の紙が重なっておいてある。どの紙にも違う人物の名前が書かれてあり一部の紙には『×』の印。

 男は札を一枚取り出すと筆で素早く龍体文字で『ん』の文字を書き自信の額に貼り付け呪力を流す。すると、顔色の悪い男の目元にあった大きな隈が引いていく。

 そして、三十人ほどの名前が書かれた一枚の紙を剥がし、男は丁寧に名前の隣に筆を走らせた。


「これで呪力のない人間の実験は終わった……次は呪力を内包した人間だが、呪力のない人間と対して変わりない者はまた材料に変えてしまうか? 呪力のない人間にストレスを与えることで呪力を生み出すことには成功している……いっそのこと合わせてしまおうか」


 男はまた名前の隣に印を書いていく。

 呪力を確かに感じた者へ『○』、呪力を多少感じた者へ『△』、呪力を感じなかった者は既に『×』の印が書かれている。


「陰陽寮に完全に手を回される前に早めに終わらせなければ……最近おかしな呪力も感じたことだしな」


 手に持っている名前が書かれた紙を机に置いて、壁に貼られたこの街の地図の前に立つ。そこにも無数に印が書かれていた。


「これは陰陽師関係者……みずのとの者だろう。わざと残していた実験体たちの処理、それは私が仕組んだことだ問題はない。だが問題はこれだ――――」


 呪力を持った存在を攫うために造った土偶式神が三体破壊された。

 力の法術、追跡の法術、感知の法術を施していたはずだが……


「人だけを攫うことを目的としていたはずだ。癸がその時いた場所は式神の呪力の消滅で分かっている……つまりここにいたのは私と同じ――いや、まさかな。だが問題だ、警戒するに越したことはない」


 男が見つめている場所はとても人が住んでいるような場所ではない。

 街を抜けて田んぼの中にある道だ、その場所を追っていっても特別何かがあるわけではない。人が住んでいるようには思えない廃れた平屋があるだけだ。


「……急ぐとしよう。実験体は常世かくりょに隠してある、陰陽師でもそう簡単に辿り着けまい」


 入口にある札を剥がし結界の一部を解いて外に出る。

 眩しい日差しが男を照らすが、その日差しから隠れるように薄汚れた外套を羽織った。そして真紅に塗装された鳥居を潜ると――――男の姿が消える。

 その場所に残された呪力と赤黒く染まった瓶に詰められた肉が形を成し、装束を着た老人と巫女に姿を変えた。

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