第2話 人神遷移 壱

 「クソっ……しくった!」


 それは明朝、師範との鍛錬を終えて家に帰る途中のこと……。

 どうにかして心の中で呟きたかった言葉が思わず表に出しながら、自宅までの帰路をまた全力で走っていた。

 

「そういえば師範、昨日襲われました」

「なに?」

「いくら聡明な男――――この鏑木仁でさえ残念ながら理由は分かりません」

「……最初のはいらん。理由は分からなかったんだな?」

「はい」

「なら気にすることはない……今のお前はそこらのチンピラには負けんし、お前が勝てる相手というのならなおさら気にする必要もない」

「そうですか……ただのチンピラというわけではなさそうでしたが」

「んなことはいい、気にするな――――そんなことより宿題はやったのか?」

「宿題……?」

「バカが……鍛錬中に頭殴りすぎたか? お前はまだ中学生、己の本分を忘れるな」


 という回想が、脳裏をよぎる。

 絶賛冬休み。あと少しで高校生活への第一歩が始まるというのに、俺は一番大事なことを見過ごしてしまっていた。

 それは冬休みの宿題である。

 中学三年から強さだけを求めていた結果、多少勉学よりも武道に寄ってしまっていた。その結果がこれだ。師範と同様、脳みそが筋肉と戦闘術で埋め尽くされてしまっている。


「はぁ……はぁっ、やっぱりチャリ通の方がいいか!?」


 残念ながら、既に脳みそは筋肉でできているのかもしれない。

 体力をつけたいからといって自宅から二十キロある道場まで走る。

 まぁ、馬鹿である。

 勉学を忘れて強くなるための事以外はどこかに置いてきてしまった。


「残りの冬休み……つまりあと二日間は道場と勉強机に向かう生活か……」


 仕方ない。

 隣の委員長にカッコ悪いところは見せれないし、先生にも心配されるようなことはしたくない。なにせ、学校ではエリートなのだから。

 まぁ、テストに関しては一夜漬けなのだが……高得点をとっているのなら問題ないだろう。というか……


「なんか、人いないし――――着けられてね?」


 思わず、走るのをやめて立ち止まる。

 ここは田舎である。そして田んぼの道である。故にどこかに必ず誰かがいる。

 それなのに全く人影が見えない。それですらおかしいと感じるのに、背後を着けている誰からは殺気を向けられている……様な気がしていた。

 まるで、全く知らない人が包丁を持ってキッチンに立っているような、何とも言えない妙な不安感。


「…………」


 そしてそれは的中した。

 後ろを振り返ると、サングラスをかけた黒服の男たちが立っていた。

 よく見れば昨日出会った者たちと似ているような気がする。


「なんか用ですか?」


「…………」


 いや、無視かい。


「あの……?」


「…………」


 今度は相手の返事を待ってみる――――すると、背後から気配を感じる。


「囲まれたか……」


 眼の前に三人、背後に二人。


「昨日の復讐みたいなもんか? それにしても中坊相手に大人五人とか正気かよ……あんたら一体何者だ?」


「…………」


 なんで返事しねぇんだよ、気味悪いわ。何か言えや。

 というか、なんだこいつら。普通に構えてんだけど? めちゃくちゃ戦う気なんだけど? 襲ってくる気ありすぎるんだけど?

 ……こうなったら仕方がないな。


「まぁいいや、今度はこっちからやってやるよ」


 眼の前の三人に駆け出すと、まるで機械のように臨戦態勢に始める男たち。

 真っ直ぐ突っ込んだ仁に対して見事な膝蹴りを合わせてくるが、その合わせられた膝を確認した瞬間狙いをもう一方の足に定めた。


「一人目」


 片足を蹴り飛ばされ倒れ込む男に対して容赦のない金的踏み潰し――――


「……?」


 感触がない?

 一瞬だけ我に帰ってしまったことによる少しの油断。

 それにより倒れた男に踏み潰した足を握られた。


「痛ッ……!?」


 その怪力は到底人間のものとは思えぬほどで、仁には尋常じゃない痛みが走る。ただそれに悶絶している余裕はない。相手は立っている数で四人。複数の戦闘において相手が待ってくれるということはないのだから、仁には次々と拳が飛んできた。


「クソッ!」


 師範……すみません。人に使うなって約束破ります!

 その技は本来一般人に扱う想定で作られていない。あくまで対人用、殺し合いが許されていた時代に生み出された殺法に特化した技術――――。

 かくいう仁は、一切そんなこと関係なくこの武術を学びモテようと必死である。

 重心を掴まれていない足に移動し、体をねじり力の方向を決める。


歩式順術『金星』


 一瞬の回転によって右足に激痛が走るが、掴まれていた足は皮膚と靴が持っていかれるものの脱出に成功し、体を回転させながらそのまま飛び上がる。


脚式順術『礫』


 回転によって高速で振り回された踵が右、左と二人に命中した。蹴った感触にまたもや違和感を隠しきれなかったが同じ失敗は繰り返さない。即座に背後に視線を向ける――――


体式順術『螺旋』


 振り下ろされていた拳を、紙一重で躱しきって距離をとる。


「おいおい……マジか」


 それでも相手の一撃は少々人類を凌駕しているらしい……


「躱したぞ……俺は」


 顔の頬がジンジンと熱を帯びる。

 そこから滴る血液が地面にポタリと落ちた。


「…………」


 見た目は人の形をしている。

 だが、触れた時の感触はサンドバックに近しい。ふと、顎を砕くつもりで回転蹴りを放った相手を見た――――


「なっ!?」


 顔の半分がなくなっていたのだ。

 ただ驚くべきところはそこではない。

 何の流血もなく鼻から下の部分が吹き飛んでいるのだ。その中身からはサラサラとまるで血のように砂が吹き出している。

 気がつけば足を掴んで離そうとしなかった者はがいたとこにはが作られていた。


「な、何が……いやいや待て待て、落ち着けぇ――――すぅー、ふぅ……」


 取り乱すなどモテない要素の一つ。

 非常事態に陥って狼狽えるなど笑止千万。男なら冷静に対処せねばいけない。

 たしか……そう何かのドラマで言っていたはずだ。一回整理しよう。


「クールになれ、そう……クールになりつつある。よしクールになっている、そうつまり冷静。俺は今落ち着いている。全く動揺なんてしていない。マジで最高にクール。あ、そりゃ今は冬だしクールだったな……」


 残念ながら、鏑木仁は取り乱している。

 そして本当に残念ながら一夜漬けの高得点故に普通に馬鹿なことが露呈してしまっている。だが、それも共感できなくないだろう。

 土地だけが有り余っているような片田舎で起こる非常事態にしては、いくらなんでも度が過ぎている。心霊体験の方がまだマシだ。

 なんなら今すぐにでも気を失うほどの威力で自らの顎を打ち抜き、目が覚めたらベットの上で「何だ、やっぱり夢」と呟いて起きたい。


「ッ!!」


 ここは現実である。

 そう嫌というほど感じさせてくるのが、この無機質な殺意。

 一人は地面に作られた砂山を掬い取り仁へ振りかけ、もう一人はそこらに転がっている手ごろな石を弾丸の如き速さで投げつけてくる。

 投げる瞬間の体制、それから判断することで上手く躱すが視界を邪魔していた砂の段幕に風穴が開くような威力だということが分かる……だが、突破口も同じ視界に映っていた。


「中身の砂が一定以上なくなると姿が維持できなくなる? 多分そう……だと思いたい。いや多分そうだ」


 先ほどまで立っていた四人の姿が二人になっている。視界の端には少し縦に長い砂山が見えた。

 状況はこちらの不利であることは変わらない。

 人外じみた怪力の人間ではない人間のような形をした存在に襲われている。


「よしよし……徐々に冷静になってきた。要するにあれは人間じゃないんだろ? それなら殺しにはならないよな? なら――――楽勝だぞ?」


 結論が口から出ていた時、既に仁の体は動き初めていた。

 一年間。学校の日だろうと、休みの日だろうと、友達と遊んだ日だろうと、毎日五時間は鍛錬に費やした。最初は何度か意識を失った、それこそいつの間にか家に帰っている日だってあった。

 だけど、これを毎日続けた鏑木仁の体は――――武に染まっていた。

 だが残念ながらそれは正しい『武』ではない。

 相手を殺し、その日を生きるための『武』。


歩式順術『合衝ごうしょう


 体重を前に、姿勢は低く、重力に身を任せる。

 古武術にも『縮地』という技法があるが原理は同じだ。

 ただ、この歩法は素早く移動するという術理目的で編み出されたわけではない。遠くから近くへ移動し、次の技の初動作と初速を含める術理。


手式順術『火突』


 例え人間ではない何かだとしても、その威力は十分だろう。

 歩法から始まった流れ加速を殺すことなく放たれる拳。それが止まることなく数発打ち込まれると一人の男の腹部が爆散し砂を辺りに撒き散らした。

 だが、これでもまだ止まることはない。

 続けて残る一人の顔面を貫き、首元から股下まで一気に腕を振り抜く。


「サンドバックだったな、結局」


 ことが終われば、砂山が五つその場に残る。

 結局、一体これが何なのか分からないままである。


「…………うん。考えても分かんね」


 心霊現象なのか、超常現象なのか。

 正直、そのどれでも構わないような気がしてきた。

 とにかく体を鍛えていて良かった。戦える力がなければ対抗できずに普通に死んでいた気がする。


「あの力やべぇだろ、この傷どうすっかな……」


 頬を撫でれば乾いた血がボロボロと指先についた。

 それに片方の靴が砂山に埋もれてしまっている。あの握力から無理矢理抜け出したことによって足の皮膚も人には見せられないような痕が残っており出血が凄い。

 師範との戦いでも流血することは……あったけど、打撃痕がないがまずい。誤魔化すにしても誤魔化しきれないのだ。特に姉と親父にはバレる。


 「薬局寄るにしてもなぁ……」


 砂山から靴を掘り出し、再度履いてみるも皮膚が擦れて痛いのでまた素足に戻す。そして空を見上げた後、何だか考えるのが嫌になり周りに広がる田畑を座って眺め始めた。

 すると、人の気配が近づいてきた。

 この砂利道を歩く足音が聞こえる。


「誰だ!」


「…………」


 言葉が出なかった。

 こんな綺麗な人がここに住んでいたというのか。

 光を透かして藍色に揺れるロングヘアーに、少し野性的にも見える八重歯の組み合わせ。加えてモデルのようなある種完成された体。


「誰だと聞いている!」


「かわ……そちらこそ、どなたでしょうか?」


 クソ、こんな美少女に出会うって分かってたら体育座りなんてして広大な田んぼを眺めてるんじゃなかった。気が緩んでる。


「黙れ。こちらからの質問にただ答えればいい、お前はどこの所属だ? 」


「所属?」


 学校の部活のことか?

 つっても、もう引退したしなぁ。茶道部。

 にしても……この見た目に反してかなりオラオラ系なのか? 美人でオラオラ系かぁ、悪くない。学校にいるギャルとは一味違う感じがまた良い。


「チッ、話しが進まんな。この土偶式神をやったのはお前だろう? 誰から派遣されたのか吐け」


 土偶式神?

 派遣?

 所属?


「ちょ、ちょっとタンマ! タイム!」


「なんだ? 」


 虚無に身を任せて考えることを放棄していたが、こんなに色々と言われると何が何だか分からない。

 ただ、これだけは言っておかないといけないというのは分かる。


「俺はただの一般人だ。君の言う式神やら派遣やら所属ってのは全然分からん」


 エリートの俺は分かる。

 多分、これは俺が聞いたり知ったりしてはいけない内容だ。

 そう……これはモテない要素の一つ、厨二病ってやつ。

 

「は? そんなつまらない冗談はやめろ」


 え?


「この土偶式神を一般人が破壊するだと? 見た限りでは五体……それを一人で破壊できる者など一般人なわけがないだろうが。これ一体で大人二十人分の力があるんだぞ?」


 なるほど……だからあんなに怪力だったのね。

 あっと、いけないいけない。これに流されるな。


「お前……私を舐めてるのか?」


 首筋がひやりとするような感覚に、俺は足の怪我など忘れて飛び退いた。

 無意識に構えをとる。


「その身のこなし……殺気に当てられてようやく正体を言う気になったか?」


「あんたこそマジで何者だよ、それ殺気は一般人に向けるもんじゃねぇだろ」


「まだしらを切るか――――」


 そしてその美少女は砂山に向かって一枚の紙を投げた。


「五行創造――火具土カグツチ、急急如律令」


 その紙が燃え始めると、砂山を吸い上げて形が作り上げられていく。高温によって真っ赤に光る砂、まるで刀を鍛える工程のようにも見えるそれから作り出されたのは一本の刀だった。


「おいおい、それ斬れ味エグそうじゃんかよ……」


「当たり前だ。これはお前を斬るためのものだからなッ!」


 体中の痛みを忘れるような感覚。

 見えているのに、反応しない体。

 彼女もまた師範と同様、人外に分類される存在なのだろう。

 蹴り上げた地面がえぐれるほどの脚力というのを踏まえても、この速度は武術ではない。何か得たいの知れない力が関わっていると確信できるような速度。

 徐々にスローモーションで動く刀が仁に近づいていく。

 服に触れ、肌に触れ、このまま刀身が体を走ると胴体が真っ二つにされてしまうことだろう。


あ、死んだ。これは無理だ。


 本人ですら諦めたその時――――無意識に体が反応した。

 肌に触れた刀身の速度に合わせて体が後ろに引いたのだ。

 体には袈裟斬りの太刀筋が残ったが斬れ味が良すぎるため出血はしていない。おかげで命は助かった。


あ、斬り返し……


 刀身を切り替えす前に刀を踏みつける。

 そして一瞬空いた空白を埋めるように放たれる拳。だがこれはすんなり躱される。

 ただ徒手空拳の最大の利点はその手数。躱されようと、当てようと、関係なく仁の体は無意識に攻撃を繰り出していった。

 そして――――その拳が刀身に直撃しへし折った。


「……本当に何者だ、お前」


「はぁ、はぁ……やっば!」


 体が応えてくれたッ……マジで危ねえ、こいつ!


「まぁいい。言わないのなら言わせるまでだ、手足を落として連れて行く」


 彼女がどこからともなく取り出した、真紅に染まった紙。

 それを見た瞬間に異様なほど体が震えた。肌が粟立ち、心臓が縮み、呼吸が浅くなっていく。

 自分の体だと言うのにまるで言うことを聞かない。


「五行星生――――」


「お嬢! どちらにいますかー!」


 彼女の背後から現れた一人の男性。

 耳に紙タバコを引っ掛け、ロングコートを羽織り、おしゃれにサングラスまでかけた男性を見た瞬間、


「あ」


「お?」


 恐ろしく大間抜けな声が吐息のように漏れた。


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