第43話 カレンセイハウス
プレオープンの時間まで、あと2刻となりました。
もう日が低くなり、赤みを帯びた夕日が玄関ホールに差し込んでいます。
ランカスターさん達は最後のチェックを終えて、踊り子さん達の着替えも始まりました。
クラブ中を確認して周りたい気分ですが、うっかりつまみ食いをしたり、なにもない所でつまづいたり、ドレスを汚すかもしれないと思うと怖くてできません。
そもそも緊張で喉が詰まってつまみ食いする気分でもありません。
それに、ここまでくると私にできる事はもうないでしょう。
というわけで、ひたすら玄関ホールを往復しています。
「聖女さまぁ。そんなウロウロしても、な~んにもならないですよぅ」
玄関の椅子に座り込んだリュッカ君が、のんびりした口調で言いました。
リュッカ君らエコーズ新聞の方々は、プレオープンの独占取材として一足早くお屋敷で準備しています。
今日はリュッカ君も黒い正装をビシッと着ています。
「なにかしていないと落ち着かないのです」
「そんな事言ったって~、おや?」
リュッカ君の耳がピョコンと立ち、ドアに目を向けます。
釣られて正面玄関を見ると、外から何やら騒音が聞こえてきました。コンコンと壁を叩く音、誰かが走っている音がします。
もうお客様が来たのでしょうか。それにしてもドアマンの方が扉を開けません。
「どうしました~?」ちょっとだけドアを開けて外を覗きます。
「あー!! ルゥ! ごめん反対側から出て!」ミトの声が上から響きます。
慌ててドアを閉めて反対側の扉を開けて外に出ます。
ミトが玄関扉の前にハシゴをかけて、壁に向かってハンマーを振り下ろしていました。ドアマンさんが困った様子でハシゴを支えています。
「ミト?! 何をやっているんですか?」
「ごめん、ちょっとやり残した事あってさ」
コンコンと壁をハンマーで叩きながら言いました。
「やり残しって……もうオープンするのですが」
「おい! 何やってんだ!」ランカスターさんの怒声が響きます。
「う、ええ?! ミト君?なにやってんだ?」
流石のランカスターさんも困惑しているようです。
「できたっっ!!」
ミトは満足気に言うと、ハシゴから飛び降りました。慌ててドアマンさん達が場所を開けます。
「ほら、ルゥ見ろよ」
全員外に出て玄関扉の上を見上げました。
婚約解消で外された公爵家のエンブレムの場所に――ぽっかり空いていた所に――新たなエンブレムがハマっています。
エンブレムはお屋敷の主を表すものです。一つは元々あった私の聖女のエンブレム。
その隣には、『カレンセイクラブ』と刻まれた大理石のエンブレムが飾られていました。百合の花とツルが立体的に彫られ、優雅な曲線で店名を取り囲んでいます。
「遅くなってごめん。良い石が見つからなくてさ。あたしが選んだ、アバンティア産の白大理石だぜ。凄いレア物だから」
喉元に熱いものが込み上げてきます。
「間に合ってよかった。やっぱ看板がないと始まらないだろ?」
ミトに向かって大きく笑顔を見せ、バッと抱きつきました。こんなに友人に恵まれたと思った事はありません。
「ありがとう。王都一の石工です」
「そろそろ開店なんだよな。もう帰るから今日は頑張れよ」
ポンポンとなだめるように肩を叩くとミトは去っていきました。
「ランカスターさん、ルゥ頼んだよ!」
ハシゴを担いで走っていくミトを見届けて、我慢していた感情が溢れ出しました。
ポロポロと涙が溢れてきます。
「……――えっ!」
明らかに動揺しているランカスターさんに向き直ります。
「ハンカチ持ってます?」
ランカスターさんがすぐさまハンカチを差し出してくれました。さすが準備の良い方です。
留めなく涙が溢れてきます。これでは赤く腫れた目でお客さんをお迎えしなければいけません。
その時、ミトと入れ替わるように、1台の馬車がゲートを越え前庭に入ってくるのが見えました。
「え、ええ? お客様? もう?!」
思わず涙が引っ込みます。
馬車はゆっくり前庭を進み、ドアマンが慌てて迎えています。
「ノーフォーク伯爵の馬車だ」
ランカスターさんの言葉に急いで涙を拭います。
「随分早いですねぇ。案内状の時間間違えました?」
リュッカ君も慌ててメモ帳を取り出していました。お客さんの着ている服や到着した順番もゴシップの種なのでしょう。
「いや……そんな訳」
ある?
貴族の方は時間より少し遅れて到着するのがマナーとなっています。
馬車は真っ直ぐ玄関前に着くと、紳士に続いてエレニア夫人が堂々と下りてきました。
「ルゥちゃん! 来ちゃったわぁ。ちょっと早かったかしら」
一刻ほど早いです。ので出直してください、とは言えません。
ポカンとしている一同を気にせずエレニア夫人は玄関ホールに堂々と降り立ちます。
「あら、ルゥちゃん、今日のドレスもお似合いね」
「ありがとうございます」
エレニア夫人は今日も見事なドレスを身にまとっていました。普段より華やかで豪華な夜会用のドレスです。濃いすみれ色のドレスは、程よく色づいた秋の庭と美しく調和していました。
そして、目を引くのはエレニア夫人の手を取っているとんでも無く美しい男性です。
「オーナー、ノーフォーク伯爵です」
後ろからランカスターさんがポソリと言います。
え! エレニア夫人のご主人ですか。
想像よりも……もの凄く美形です。ご商売をしている紳士と聞いていたので堅実そうな男性を想像していたのですが、夫人を引き立てるようなシンプルな黒絹の正装が少し憂鬱そうな貴族的顔立ちを引き立てています。
「ノーフォーク伯爵イサドール・レグレスです」
ノーフォーク伯爵は一礼すると私の手を取り軽くキスしました。正直に白状すると、ちょっとドキドキしました。
おっと、美男子に挨拶されてぼんやりしている場合ではありません。
慌てて挨拶と自己紹介をすると、馬車から従者の方が花を抱えて下りて来ました。
「こっちよ、気をつけて運んでね」
「え?え?夫人、なんです?」
「花よ」
エレニア夫人は見ればわかるでしょとでもいうように、あっけらかんと言いました。
「玄関用の花ですわ。秋薔薇だけじゃ、やっぱりちょっと物足りないから温室から取り寄せたの。白百合よ。ルゥちゃんにぴったりでしょ」
百合は聖女を象徴する花として、広く知られています。
夏の花をどうやってかは分かりませんが、わざわざ取り寄せてくれたのでしょう。それにしても、もの凄い量です。
「ほら、急に届けたら迷惑だって言ったじゃないか」
ノーフォーク伯爵が優しくたしなめるように言います。
「そんなことありません。その場所に相応しい花と云うものがあるのよ。ランカスター君、飾ってちょうだい」
「飾りましょう」
ランカスターさんが即答します。
笑顔で言っていますが、頭の中では開店までにどう間に合わせるか計算が巡っているはずです。
「ありがとうございます。エレニア夫人。こんなに嬉しいことはありません」
「ノーフォーク伯爵、奥様。ここはわたくし共にお任せください。お席にご案内いたします。開始時間まで、クラブ内を楽しんでください」
「素敵に飾ってね」
「もちろんです」
エレニア夫人を追い立てるように席にご案内すると、すぐさま玄関ホールは喧騒に包まれました。
「マシューに言って酒をお出ししろ。誰かキッチンに行って軽食を出すように伝えてください」
ランカスターさんがテキパキと指示を出しています。こういった想定外の出来事は慣れているのでしょう。
そういえば、私が王立劇場でポカンと座り込んでいた時も、すぐさま席を用意してくれました。
「この花活けたの誰だっけ?」
「ミディさんです」
彼女はお屋敷のハウスメイドですが、手が器用な方なのでお花もお願いしたのです。
「今すぐミディさん呼んできてください!」
すぐさま花瓶から薔薇を間引いて、その代わりに白百合を入れる突貫工事が行われました。
出来上がったのは、超豪華な巨大な花の柱でした。
「こりゃあ……」リュッカ君が口をポカンと開けて言いました。
「……すごいな」
同じく、ランカスターさんもあんぐり口を開けています。
「――はい」
3人が惘然とお花を見上げています。
ここまで豪華な花は王宮でもめったに見られません。淡いピンクの秋薔薇と白百合の塊が受付のカウンターの両脇を固めています。
少々やりすぎでしょうか? いえ、このくらいのインパクトがあった方がいいでしょう。
少なくとも花はすごかったと新聞に載るはずです。
ともあれ、今度こそオープンの準備は完璧に整いました。
看板もあり、花の柱も立ち、足りないのはお客様だけです。
そう、後は待つのみです。
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