第42話 尊いこと

 今日はカレンセイクラブのプレオープンの初日です。


 夕方のオープンに向けてスタッフたちの最終準備が進められています。

 お屋敷では朝から興奮と緊張が満ちていました。

 キッチンからはシェフの力強い声が響き戦場のようです。掃除係は塵一つ見逃さない気迫でクラブ内のありとあらゆる所を磨いています。

 お屋敷全体が浮かれた空気に包まれ、この特別な日に込められた期待感が空気を弾ませていました。


 クラブ内のセッティングもほぼ完璧です。

 船で運んだ天板は隣街の工房で美しいテーブルとなり、クラブに運ばれました。

 長ソファと合わせて、舞台を囲むようにきっちりと並べられ、各テーブルには花とキャンドルが飾られています。

 初日は床の絨毯に合わせて真紅の花で統一しました。これはエレニア夫人のコーディネートです。


 バーカウンターの酒棚にも、びっしりと酒瓶がならび、どんなオーダーでも対応できそうです。


「オーナー! 準備万端ですよ」


 バーテンダーさんが一点の曇もないキラキラと輝くグラスを並べながら挨拶してくれます。

 カウンターの上にガラスドームが置かれ、山盛りの焼き菓子が置かれていました。


「こんなのありましたっけ?」


 1つや2つじゃありません。等間隔にドームが並べられ、多種多様な焼き菓子が並べられています。まるでお菓子屋さんのようでした。


「お酒飲みながら甘いものを召し上がるお客様も多いのですよ」


 バーテンダーのマシューさんが教えてくれます。

 マシューさんはたしか、王都のホテルのバーで務めていた方です。

 まだまだ知らない事がいっぱいあります。


「オーナーも一口どうぞ。塩漬けした秋苺とナッツのフィンガーケーキです」


 パカッとガラスドームを開けてくれます。

 ここはオーナー特権で味見をしてもいい場面でしょう。


 棒状にカットされた焼き菓子を1本取って口に運びます。

 もちろん、とっても美味しいものでした。塩っぱい果実と甘くお酒の効いた生地でいくらでも食べられそうです。


「これは……、他のヤツも試してみたくなりますね」

 しかし、売り物を食べ尽くさないうちに退散した方がいいでしょう。


 玄関ホールに移動すると、ドアマンとランカスターさんがリストを見ながら招待客を最終チェックをしていました。


 王立劇場の真紅の床と黄金色の輝きが満ちた空間とは対照的に、私のお屋敷は黒い床に銀色模様の壁紙が合わさり、夜の暗闇が銀色の月の光で満たされたような雰囲気に仕上がっています。

 階段下にはカウンターが置かれ、両脇には花が飾られていました。昨日エレニア夫人が開店祝いとして贈ってくれたものです。


「あれ……君なんで着替えていないんだ?」


 私に気づいたランカスターさんが怪訝な顔で言いました。


「マダムのドレスを汚しそうなので……」


「早く着替えろ! ミディさん探してさっさと身綺麗にしてもらえ!」


 シッシッと手で払われました。

 身綺麗って……。今の格好が小汚いような言い草です。

 営業前に神経質になっているようです。私に対しての言葉遣いがいつにも増してラフになっています。

 とはいえ、普段着の白いドレスではクラブオーナーに相応しいかは疑問です。


「一刻後に最終のスタッフミーティングするから、それまでに着替えろ」


 確かに、そろそろ着替える頃合いでしょう。ケーキの最後の一欠片をパクリと食べます。


「今すぐ!」


 逃げるように階段を駆け上がりました。



 今夜着る服は黒いドレスにしました。

 マダム・キャビッシュが作った芸術品。マダム曰く、夜の詩人に向けた一着です。とても哲学的で私には理解できませんが、ともかく美しいことは確かです。


 黒い絹が胸の下から美しく広がり、星のように藍色のビーズが縫い付けられています。肩には繊細な黒いレースが使われ腕が透けるようになっています。


 髪の毛はミディさんに頼んで結い上げてもらいました。

 マダムの指示通りに、黒絹のドレスに合わせて、七色に輝く貝が埋め込まれた髪飾りとチョーカーを合わせます。


 鏡の中には、着飾った女が立っていました。

 不思議な感覚です。有能で、大胆で、知的に見えます。それだけではありません、着飾った姿が不相応には見えませんでした。


「ご主人さまぁ、そろそろお時間ですよ~」

 ミディさんの声で我に返ります。これ以上鏡の覗き込みすぎると、ナルシシストになってしまいそうです。


 執務室から出ると、廊下ランカスターさんが立っていました。

 支配人らしく、グレーの正装をビシリと着ています。

 私を見て眉を上げました。いい意味でしょうか。


「オーナー、スタッフの準備が終わりました」


 ドレスについて、一言もらってもいいでしょう。


「どうでしょうか?」

 上流階級風の気取ったお辞儀をしてみます。


「似合っている。美しい。王都一」


 相変わらず、お世辞が上手な方です。思わず顔がほころびます。


「王都一ではありません。王都二だと思います。女王陛下の次ですから」


 2人並んで歩きはじめてからポソリと言います。

 ランカスターさんが苦笑していました。



 階段の上に立つと、玄関ホールには従業員の皆さんが集まっているのが見えました。

 料理人、バーテンダー、ホールスタッフ、受付係。裏方から花形の踊り子まで、全員が皆真新しい制服を身に包み、私を見上げていました。

 皆さんの熱っぽく期待を込めた視線を感じます。


 ランカスターさんが階段の真ん中あたりまで下りて、私を見上げます。


 全員がそろっています。ここは一言言うべきです。


 今日はよろしくお願いします、とか。これから頑張ろう、とか。昨日の夜、聖女様の寝台で眠る前に考えことです。

 なんだか気が利いていて、洒落ていて、やる気が出るような言葉が必要です。ただ、結局口から溢れてきたのは、ありきたりな言葉でした。


「今日、皆さんと一緒にこの素晴らしいクラブを開けることを心から嬉しく思います。これからの日々が、素晴らしい成功に満ちたものになると信じています」


 階段下の皆さんと目が合います。

 皆、緊張と、興奮とワクワクに目が輝いているのが分かります。皆同じ気持ちでしょう。


「美しい物を作る仕事に携われることは、尊いことです。わたし達の手で生み出す料理やサービス、このクラブで生み出されるもの全ては、お客様に幸せなひとときを提供できる輝かしいものになるはずです。困難があっても、お互いに支え合い、共に乗り越え、喜びを共有し、前進していけることを信じています。最高の夜を一緒に作り上げていきましょう」


 ワッと歓声があがり、誰からともなく拍手が起こりました。皆、肩を叩き合いやる気は十分です。


 笑顔のランカスターさんと目が合います。私はしっかり頷きました。

 全ての準備が整いました。


 さぁ、オープンです。

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