第45話 成功の夜に
舞台袖の控室では踊り子さんの準備がちょうど終わったようでした。
皆さん衣装を着て、髪を結い、お化粧もバッチリ決まっています。控室は白粉と香水の濃厚な香りが立ち込め、思わずクラリとしてしまいます。
薄着の踊り子さんに合わせて、秋なのに暖炉に火を入れているので当然です。
「聖女さま、お客さんの様子はどうです?」
アレクシアさんがゆったりとした調子で言いました。彼女は本番前にも関わらず、余裕綽々ようです。
女神のような優雅さで長ソファに腰掛けています。
「も、問題ないです」
クラブ内ではゆったりとしたピアノの演奏が流れ、皆お食事や歓談を楽しんでいます。
問題はありません。今のところは。私の乾杯のスピーチが迫っている事を除けば。
「オーナー緊張してるのぉ?」
エリスさんが無邪気に笑っています。彼女も本番前に緊張しない質のようです。
「王都の上流階級の方々が勢ぞろいなのよ。そりゃあ緊張するのも当然ですわ」
アレクシアさんは穏やかな笑みを浮かべ、励ますように言ってくれます。
ただ、彼女のぽってりとした赤い唇を見ているとドキドキするので、あまり効果はありません。
アレクシアさんの衣装は見事の一言でした。
マダム・キャビッシュの力作。春の女神を思わせる衣装です。
淡い桃色の透けるチュールに、白い薔薇を模した飾りとビーズが縫い付けられています。大胆に開いたスリットから大きく伸びる白い脚と黒い髪に目のやり場に困ります。
「え~、支配人に励まして欲しいんじゃないのお?」
エリスさんがニヤリと笑います。異人種と関わるようになって分かったことは、獣人さんはニヤニヤ笑う方が多いことです。
「ランカスターさんですか? でもあの人の励ましは容赦ないですよ『大丈夫。いいからやれ』って言われるだけだと思います」
「オーナー、このクラブに来た皆さんに率直な言葉を投げかければよいだけですよ」
セウレティカさんは真っ直ぐな方です。見ているだけで背筋が伸びる美しさです。
率直な言葉……。その通りです。
ただ、少しは洒落ていて、知的で、詩的で、神学的なスピーチにしたい気もします。はい。私も虚栄心と云うものがあるのです。
「オーナー、準備できましたか? 乾杯のスピーチお願いします」
ランカスターさんが控室の入り口を仕切るカーテン越しに言いました。
「はい!」
パッと立ち上がります。もう後戻りはできません。
舞台袖でランカスターさんが私の顔を覗き込みました。花茶色の瞳と目が合います。
良い兆候でしょうか? なんだか探られているような気分です。
「大丈夫って言ってください」
「よし。大丈夫。行って来い」
ポンと背中を叩かれます。
踊り子さん達が手をふり、投げキッスをしてくれました。
舞台の上は控室より随分涼しく感じました。クラブの天窓が開かれ、風が通るようにしているのでしょう。
なんだか、体中の力が抜けていきます。
ステージをグルリと囲むようにランプが置かれ、光が全身に当たっているのを感じます。
ランプが眩しく、観客の様子はほとんど分かりません。それでも、ピアノの音が無くなり、ざわめきが波のように引き私に注目が集まるのを感じました。
「親愛なる皆様、初めまして。『カレンセイクラブ』のオーナー、ルゥ・カレンセイです」
投げかけるように口を開きます。やっぱり口から出てきたのは、ありきたりな言葉でした。
「今夜はお越しいただき心から感謝申し上げます。この素晴らしい夜に、わたしのクラブのオープンを共にお祝いできることを光栄に思います」
その時、はっきりと客席を見ました。
舞台を取り囲むように配置されたテーブルは、卓上キャンドルで薔薇が淡く光を放ち小舟のようでした。
綺羅びやかに着飾った方々の色彩の洪水が闇に溶け、そして蝋燭の明かりで照らされ万華鏡のように輝いています。
お酒、お料理、花と香水の入り混じったなんとも言えない香りと、秋の夜の清々しい風を感じます。
全員の視線が私に向かっています。
七色の瞳が私を品定めし、批評し、吟味してやろうとてぐすねを引いています。
それでも恐怖は感じませんでした。むしろいい気分でした。
今まで私に一瞥もくれなかった方々の視線を独り占めしているのです。まあ、一瞬だけでも。
スピーチの間は私の声を聞いていただきましょう。
「ある酒場で見た踊り手の美しさに、わたしの心は大きく動かされました。今宵、わたしはこの感動を皆様と分かち合いたいと思います。このクラブが皆様にとって、驚きと幸福に満ちたものになると信じています。そして、発見と喜びとの出会いとなるでしょう。わたし達は、皆様が日々の疲れを癒し、幸せな一時をお過ごしいただけるよう力を尽くします」
ランカスターさんが舞台に上がり、グラスにワインを注いでくれました。
ランプにワインの深い色が輝いています。ぶどうの芳醇な香りが漂います。
「わたしも皆様と同じように、今夜新たなる旅立ちを迎えます。わたし達と共に、素晴らしいひとときを過ごしましょう。皆様の笑顔がわたし達の喜びであり、幸せでもあります。このクラブが愛と幸せに満ちたものとなりますように。祝福が常に皆様と共にありますように」
グラスを掲げます。
「この夜に」
ワインは素晴らしい味がしました。
*
忘れられない夜となりました。全てが輝いていました。
帰りのお客さんの顔は、一人残らず満足感に満ちていました。少なくとも途中で怒って帰った方はいませんでした。それにどのお皿も空っぽです。
来た時は私に一瞥もくれなかった御婦人方や紳士達が、帰りの際は口々に褒めそやしました。
内装を褒め、踊り子を褒め、お料理を徹底的に褒めていただきました。そして、私の手腕とドレスも。
これほどまでに称えられたのは、生まれて初めてのことです。
リュッカ君は特ダネに目を輝かせ、エレニア夫人もご友人に褒められてご機嫌でした。
正式オープンの予約を希望するお客さんの数は想像の倍で、帰りのご挨拶の列は長くなる一方でした。全てお客さんをクラブから追い出すのに、長い長い時間がかかったほどです。
プレオープンは全て無料で提供しましたが、たくさんのチップが振る舞われていました。
正式にオープンしてもこのまま気前の良い方が通ってくれればよいのですが。
掃除が終わり、従業員の帰路を見守った後、私はクラブに向かいました。
クラブ内は照明を全て落とされ暗く静まり返っていましたが、今なお熱がこもっているように感じます。
ガランしたステージに上ってみます。
ついさっきまで、数百人のお客さんで賑わっていたとは思えません。
クラブは月明かりが差し込み、青白く輝いていました。
月明かりに照らされたステージはかすかに神聖ささえ感じます。昔の神殿の名残でしょうか。
「よぅ、ここにいたのか~。もう寝たと思った」
ランカスターさんが正装姿のままでふらりと現れました。
手にはワインボトルとグラスを持っています。
「興奮して眠れそうにありません」
「明日も営業あるんだぜ。ゆっくり休め」
ランカスターさんもステージ上がり、隣に座り込みました。グラスを差し出されます。
「祝杯が必要だ」
物凄く賛成です。今の私達に必要なものです。
思わずドレスのまま座り込みます。無作法ですが、マダム・キャビッシュも許してくれることでしょう。
ランカスターさんが栓をポンっと抜いて、ワインを注いでくれました。
「乾杯した時のワインはすごく美味しかったです。あれって勝利の美酒の味ってヤツでしょうか」
なんだか、普段呑んでいるものより圧倒的に香りが良かった気がします。ランカスターさんが微笑みました。
「違う。これだよ」
ランカスターさんがボトルをかかげて見せてくれました。
月明かりに見覚えのあるラベルが浮かび上がります。
これは……。
「モンテヴェル産のワイン。美味かっただろ?」
「え、地下室で見つけたやつですか? 飲めたんですか?」
「違う。グリフォン商会に頼んで手に入れたんだ。言っとくけど、公爵家の秘宝のヤツよりグレードの低いものだぞ。最近のだし」
「すっごくいい香りでした」
「レア物だからなぁ、客には出せないな」
ランカスターさんは月明かりにワインを透かせてご満悦です。
「そういえば、ダリウス公爵が帰られる時に、あの宝石箱をお返ししようとしました」
お屋敷の地下室で見つけた宝石箱です。先々代の公爵の奥様への手紙が入っている素敵なものです。
「そうしたら断られました。お父様の手紙だとの伝えたのですが、必要ない、わたしが持っていてくれって」
「感傷的な方じゃないようだな」
先々代の公爵の手紙を見せた時、ダリウス公爵冷え切った瞳に輝きが灯ったように見えたのは、思い違いだったのでしょうか。
本心は分かりません。
また、機会があればお会いできるでしょう。このクラブはどんな方にも開かれています。
「まぁ、良いです。わたしの宝物が一つ増えただけなので」
暗いステージから客席に向かってグラスを掲げます。
隣に座ったランカスターさんと目が合いました。考えている事は同じでしょう。
カレンセイクラブはまだ始まったばかりです。
でも、今夜はこの言葉を発する資格はあるはずです。
「成功の夜に」
「成功の夜に」
チンッと軽くグラスを合わせました。
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