第40話 決着を付けるべし
王宮には、辻馬車で行きました。
この時間、アル公爵は王宮の執務室にいるはずです。
第一門では衛兵さんに止められましたが、馬車の窓から顔を出して挨拶をしたら通過できました。
第二門で馬車を下りて王宮内に入ります。
入り口で来訪目的を聞かれます。知人に会うと伝えたら私が元聖女だと気づいた衛兵さんが通してくれました。
もしかしたら神官様に会うと勘違いされたのかもしれません。
久しぶりの王宮内に特に感慨もなく、真っ直ぐとアル公爵の執務室がある東館まで歩きます。
途中誰からも止められる事はありませんでした。マダム・キャビッシュのドレスを着ていたので、どこかの貴族の女と思われたのかもしれません。
アル公爵の執務室は何度か行ったことがあります。
部屋に向かいドアを開けると、秘書の――たしか名前はマーシャルさん――がギョッとして顔を上げました。
すぐに私と気づいたのでしょう。驚いた顔で固まっています。
「マーシャルさん、アル公爵はいらっしゃいますね」
「聖女様! 閣下は来客中で……」
無視して続きの部屋のドアを開けました。
アル公爵は机の奥に座り込み、近くに身なりの良い若い紳士が立っています。くすんだ赤毛に知的な緑の瞳が光る、柔和そうな方でした。
2人とも困惑した表情で私を見つめています。状況が飲み込めないのでしょう。
もちろん、こんな不作法をする人は王宮には存在しません。
「ごきげんよう。アル公爵」胸を張って王宮仕込の挨拶をします。
「お、お前……。マーシャル! 何故入れたっ!」
先に我に返った公爵が怒鳴り声をあげます。
「お構いなく」
オロオロしたマーシャルさんを無視して、有無を言わさずパタリとドアを閉じました。
「お邪魔して申し訳ありません。ルゥ・カレンセイと申します」
もう一人の紳士にもご挨拶します。
この礼儀正しさには、田舎の修道院の神官様も喜んでくれるはずです。
「……モーリント伯爵ルカス・ハミルトンです」
突然登場した私に唖然としつつも、伯爵は丁重に挨拶を返してくれました。礼儀正しさが染み付いている方です。
モーリント伯爵――どこかで聞いた名前です。
「閣下は王立劇場の総帥では?」
伯爵が頷きました。
グランド・ブールバードギルドの実質上のギルドマスターの方です。
理知的な方と聞いていましたが、アル公爵のお友達なのでしょうか。アル侯爵は理知とは程遠い所で生きているはずです。
「モーリント伯爵も同席いただけますか。証人として」
伯爵あっけにとられたように頷きました。良い兆候であることを祈ります。
机の奥から冷たい瞳で睨みつけるアル公爵に対峙します。彼は後ろめたさを怒りで隠しているように見えました。
スゥッと頭の奥の残念が消え、冷静になるのが分かります。もう前みたいに口ごもったりすることは無いでしょう。
私はアル公爵にまっすぐ目を向け、口を開きました。
「アル公爵、わたしとわたしの友人に対しての嫌がらせを即刻止めてもらいます」
ハッと鼻で笑われます。
「なにかと思えば、よくもそんなことが言えるな」
公爵は威嚇するようにバンッと机を叩きました。伯爵が眉を顰めて咎めようとしたのを手を上げて止めます。
アル公爵が冷静では無いのはとっくに分かっています。
彼が熱くなればなるほど、声を荒げれば荒げるほど、自分が冷静になっていくのが分かります。
「港の関所でクラブの貨物を止めたこと、マダム・キャビッシュのお店に閉店通告を出すように伝えたことを撤回するべきです。そして、これ以上、わたしの人生に関わるべきではありません」
「なんのことだか分からんな」
「聖女様、マダムの店については……私の本意ではありません」
モーリント伯爵が恥じ入った表情で言いました。彼はアル公爵のお友達ではなかったようです。公爵の友人が道義的な訳がありません。
「モーリント伯爵、貴方が誠実な方で良かったです」
公爵は椅子に深く腰を掛け、机の一点を忌々しそうに見つめていました。
私と目を合わせるつもりもないのでしょう。
交渉のテーブルに引きずり出す時です。
「お屋敷で隠された地下室を見つけました」
公爵がビクリと反応しました。
眼球が揺れ、怒りに燃える瞳が暗く輝きます。
「屋敷は僕のものだ」
「いいえ、わたしのものです。大臣と大神官様の署名によって、女王陛下の法の下に照らし合わせても、わたしの所有物です」
公爵の顔が歪みます。
「地下室に、先々代の公爵が残した物を見つけました。アル公爵、約束するなら。これ以上わたしのクラブと友人に関わらないと誓うなら、今地下室にある物を全て貴方にお渡ししましょう」
「信用できるか」
「信用?」
ちょっと驚きます。
お金のない人は猜疑心の強くなるとランカスターさんは言っていましたが、本当の事のようです。
自分が愚かなばかりに、他人も同じように愚かな事を働くと思い込んでいます。
「ありもしない物をチラつかせ、ありもしない罪を僕に着せるのか」
言葉で伝えても、公爵には響かないでしょう。
私はカードを差し出しました。先々代の公爵が奥様に向けられた手紙です。
正直言って、アル公爵には触られたくないほど素敵な手紙です。
「地下室で見つけた、先々代の公爵の手紙です」
アル公爵はカードを一瞥すると鼻を鳴らしました。
「こんな物では騙されない」
ランカスターさんの読みは当たっていました。古語が読めないのでしょう。
横から興味津々で覗き込んでいる伯爵に差し出してみます。彼はカードを受け取ると、目を走らせハッと息を飲みました。学のある方です。
「『親愛なるフィオネラ
美しい朝の光に包まれながら、新しい一日が始まる。あなたの温かさが、私の心を満たしてくれる。愛する者とともに、素晴らしい一日を過ごせることを願っている。尊敬をこめてマクシミリアン』 アルヴィン、これは君のお祖父様の手紙だぞ」
公爵の表情にはまだ疑念が滲んでいました。
カバンをゴソゴソとあさり、次の一手を取り出します。地下室から持ち出したワインを公爵の目の前に差し出しました。
今度はアル公爵も伯爵も驚愕の目で手元を見つめています。
「モンテヴェルのワイン……」
公爵がゴクリと喉を鳴らし呟きました。
黙って頷きます。
ランカスターさんはこのワインが物凄く有名なものだと言っていました。飲めれば一財産だと。
片手でラベルをサッと払いました。まだ少し残っていたホコリが拭われ、時が経って色の薄くなったラベルが浮かび上がります。
「100年前のものだ。本物……初めて見た……」
伯爵も驚きの表情でワインを見つめています。
「地下室で見つけたワインです。地下室は貯蔵庫だったのでしょう。今も何本か残っていますので、全て差し上げましょう」
「ふざけるな! 全て僕のものだ」
「嫌がらせを止め、これ以上わたしの人生に関わらないと誓えば貴方の物になるでしょう」
「そんな事はできるかっっ」
アル公爵は必死の形相で机を叩き、身を乗り出しました。
目は血走り、貴族的な相貌は憎しみで歪んでいます。もはや、美しい仮面は欠片も残っておらず、爆発寸前に迫っているようでした。
ワイン瓶を頭の高さまでかかげます。2人は釣られるように顔を上げていました。
「では、この話はなかった事に」
パッとボトルから手を離しました。
その瞬間は、時間がまるでゆっくりと動いているように感じられました。
私の手から滑り落ちるワインボトルが、空中ゆっくりと回転しながら落ちていきます。
全員が息を飲み、驚愕の表情でボトルを目で追っています。
モーリント伯爵まで手を伸ばしていました。
「やめろぉぉぉぉぉぉ!!!」
執務室にアル公爵の叫び声が響き渡りました。
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