第39話 テーブルに引っ張り出す

 公爵と話をつける必要があります。


 ――どうやって?


 それが問題です。


「おい、顔真っ青だぞ」

 ランカスターさんが心配そうに顔を覗きこみました。

「ちょっと座れ」


 首を振ります。

 今座り込んだら、もう立ち上がれる気がしません。

 私のクラブが開店の危機なのです。協力してくれた私の友人たちまで巻き込まれています。しかも私の元婚約者のせいで。

 許されることではありません。


 暖炉の前を往復しながら、グルグルと思考が回ります。

 これ以上、アル公爵が嫌がらせをしないように、私のクラブに手出しをしないように、釘を刺さなければいけません。


 それも盛大に。

 特大のヤツを。


 マダムが言っていたように、ぶん殴ってやりたい気分ですが暴力はいけません。それに、人を殴ったことのない私のパンチはとても弱いはずです。


 アル公爵のお父様であるダウリス公爵に助けを求める事はできるでしょうか? ダリウス公爵のお父様である先々代のお手紙を渡しして、代わりに息子を止めるように懇願してみる?

 元聖女とはいえ、市民の私の言葉が届く方でしょうか?

 ダリウス公爵はあの手紙を書いた先代のように温かい血が通った方でしょうか。


 分かりません。


 いかにアル公爵が放蕩息子であっても、自分の息子を庇う気持ちがあるでしょうし、私のクラブなど全く興味がないは間違いありません。


 それに、アル公爵本人に――突然肩を掴まれて足を止めます。ランカスターさんの花茶色の瞳と目が合いました。


「おい、落ち着け」


「ランカスターさん、らしくないですよ。座るな、顔を上げろって言ってください」


 私はひどい顔をしているはずです。

 今いる味方はあなただけなんです。声にならない言葉が通じたのか、ランカスターさんは諦めたようにため息を吐きました。腕をポンっと叩かれます。

 

「よし、顔を上げろ。どうするか一緒に考えよう」


「アル公爵はわたしの話など聞かないでしょう」


「だろうな」


「しらばっくれるはずです。脅しも歯牙もかけないでしょう。それに、わたしに脅しはできません。あまり怖くない自覚があります。懇願はむしろ喜ばせるだけです。それでも交渉のテーブルに引っ張り出す必要があります」


 ――それができるのは……。


 思わず天井を見上げます。もちろん天啓は降りてきませんでした。

 私は良い聖女ではなかったかもしれません。でも精一杯お努めはしてきました。こんな時に素晴らしい天啓が降りてきても良いはずです。


 ――何もなし。


 そのかわりに、小さなひらめきが頭の奥をかすめました。

 良い聖女じゃない。全くその通り、私は落ちこぼれ聖女です。覚悟を決める時です。


 フゥっと息をついて、ランカスターさんに言いました。

「ランプを持って着いてきてください」



 *



 神殿横の秘密の小部屋から地下室に足を踏み入れると、そこは変わらずにひんやりと湿気った香りに包まれていました。

 部屋の中央に立ち、辺りを見回します。ランカスターさんの持つランプだけがぼんやりと辺りを照らしていました。


 あの夏の夜に来た時と変わらない光景です。

 ただ、テーブル上に置かれた宝石箱だけありません。宝石箱は私の屋根裏部屋のチェストの奥に大切に保管されています。


を渡すのか」


 頷きます。


「アル公爵と取り引きします」


 アル公爵が屋敷を取り戻したかった最大の理由は公爵家の秘宝です。隠された宝を手に入れて、多大な借金を返せると信じています。

 先々代の残した、公爵家の秘宝。

 結局見つかったのは、古い傷んだワイン、宝石箱、宝石箱に入っていた古い手紙だけでした。アル公爵は気に入らないでしょう。


「金目のモノを差し出さないと、彼は話す事もしないでしょう。古いお祖父様の手紙に価値を感じる方ではありません。宝を渡すので、一切の手を引けと交渉します」


「そうだな。でもあの宝石箱1つじゃ、あの男の借金は賄えない」


 賢い方です。そしてその通りでした。

 でもやるしかありません。私の手持ちのカードはこれしかないのです。


「わたし、公爵が怖かったのです」


 秘密にしていた言葉が、思わず口からこぼれてしまいました。


 興味もない法案のためだけにわたしに求婚したこと、そして都合のいい女性が現れたら簡単に約束を反故する軽率さ。お屋敷を取り戻すための安直な裁判、思いやりのない贈り物、そして、心血を注いだ他人のお店を容易に潰せると考えるその傲慢な考え。

 ゾッとする悪意です。

 あの銀色の瞳のように冷え切って、私では理解できないなにかに突き動かされています。


「本当は婚約破棄された時に、お屋敷で鉢合わせた時に、裁判を起こされた時に、決着をつけるべきだったのです」


 公爵の悪意に困惑し、そして怒りで胸が締め付けられた時に行動すべきだったのです。これ以上、彼のいびつさに影響を受けたくありません。


 ランカスターさんは私の言葉を待っているように、何も言わず聞いてくれました。気にかけてくれる人がいるというのは、とてもありがたいことです。

 そのためにもやり遂げる必要があります。


「わたしへの私怨とお金、天秤にかけてもらいます。愚か者かどうか自分で決めてもらいましょう」


 大きく息を吸って、ランカスターさんと目を合わせます。


「ランカスターさん、お願いがあります」


「いいよ。なんでもやる」


 ランカスターさんは続きも聞かずに即答してくれました。良い方を味方にできてよかったです。思わず笑みが込み上げてきます。


「2つほど。1つはちょっと汚れ仕事です」

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