第38話 グランド・ブールバード事変
「あ、あ、あのクソ野郎。やりやがりましたわ!」
ズンズンとマダム・キャビッシュが部屋に入ってきます。鬼神のごとき迫力にお部屋が少し狭くなったように感じます。
マダムの後ろからカートにお茶を乗せたミディさんがアワアワとお部屋を覗き込んでいました。
「ど、どうされましたか?」
さすがのランカスターさんもマダムの迫力に押され気味です。
キッとマダムが私に向き直り、鱗のある指を突きつけました。
「アル公爵よ。あなたの元婚約者。あいつ、あたくしの店を潰そうと画策しやがっていますわ」
「え?」
部屋はまた新たな混乱が広がります。
「どういうことです? アル公爵にそんな権限はないはずです」
いくら公爵だからといって、まったく自分と関係のないお店を潰す権力はありません。
もし圧力をかけたら商会やギルドの力が強い下街では、激しい反発があるはずとランカスターさんが言っていました。
「ギルドマスターの閉店通告ってヤツよ」
まだ分かりません。
「グランド・ブールバードの大通りに出店するには、グランド・ブールバードの全店が加入している商店ギルドに入る必要があるのよ。で、店の閉店は店主の意志、またはギルドメンバーの8割以上の賛成票があったとき。そして、ギルドマスターの決定があった場合」
「ギルドマスターの一言でお店を潰せるのですか?!」
マダムが頷きます。
「古い規約にあるのよ。ギルドマスターの権限として形骸的に残っているだけですわ。歴代の誰もそんな事はしませんですけど」
「ちょっと待ってください。グランド・ブールバードのギルドマスターは、王立劇場の総支配人ですよね? ハーシュさんがそんな事するなんて思えないのですが」
元王立劇場支配人のランカスターさんが声を上げます。総支配人のハーシュさんは上司の方だったのでしょう。
脚を踏み鳴らしながら、マダムがソファにドッシリと座りました。3人用のソファ1つを堂々と占領しています。
ミトとエレニア夫人を伴って、向かいに座ります。とりあえず落ち着くことが必要でしょう。
ランカスターさんがお茶を用意し始めました。
「ハーシュ君は聡明な方よ。ジェイド君の次にね。でも、劇場総帥の指示だったら断れないもの」
「総帥?」
「王立だから、爵位を持った方が劇場の総帥になるんだ」
ランカスターさんが説明してくれます。
「今はモーリント伯爵だ。でも、彼もそんな方じゃない。どちからというと理知的な人です」
「そうね。芸術と文学を愛するタイプよ」エレニア夫人も頷きます。
「そんな立派な方でしたら、公爵の圧力なんてはねつけるのでは?」
「伯爵も総支配人は突っぱねたって話よ。不愉快な申し出として闇に葬るつもりだったようね」フンッと鼻息を吐き出します。
「どうしてマダムが知っているのですか?」
「伯爵からの手紙が、総支配人の執務室で見つかったのよ。公爵から閉店の決定を下すべしって通達があったって内容がバッチリ書かれてたらしいわ。ハーシュ君は暖炉で燃やしたようですけど、燃え残って掃除人が見つけたの。それで、街中大騒ぎよ。こんな話前代未聞ですもの」
「噂が広まるのは早いからな」
「グランド・ブールバード中の店が理不尽な閉店要求に抗議して、お店を閉めていますわ」
「お店を閉めている?」
「昼からね。どこの馬の骨かもわからない公爵にあたくし達の街を好き勝手に指図される謂れはありませんわ」
マダムが付け加えます。
正確にいえば、公爵家は王族と同じくらいの伝統がある血族ですが、商人の理屈には通じません。横槍は誰よりも嫌われる行為なのでしょう。
「ハーシュさんもミスったな。完全に燃やすべきだった」
「その通り。でも漏れたからには見逃せませんわ。夕暮れから、ギルドの緊急集会があるの。伯爵と総支配人が説明するはずよ」
「マダムのお店が閉店なんてことにはなりませんよね?」
「そんな事になったら、全会一致で王立劇場がギルドから追い出されるでしょうね。不義理をする連中に払う敬意はありませんもの」
グランド・ブールバードは王都随一の一流店が並ぶ大通りです。
ギルドの規模も大きいのでしょう。そして気位、自立自存の精神も高いようです。
問題がここまで続くと、もはや偶然とは思えません。
止められた貨物、前代未聞の閉店要求、共通点はまさしく私です。何かが仕組まれていることを示唆しています。そしてその影にいるのはアル公爵でした。
もちろん、黙って見ているつもりはありません。決着をつけなければならない状況です。
私のクラブの開店もかかっていますし、マダムのお店を巻き込むなんて論外です。
商売に必要なものは、賢く、敏感で、度量があることです。
私にそんなモノがあるかと悩んでいる場合ではありません。持ちわせが無くても、覚悟を決める時です。
「わたしがアル公爵と交渉します」
全員の視線が私に集まりました。
「エレニア夫人、関所のお役人さんには罪がありません。公爵とそのお友達の圧力が原因でしたら、行き違いの通達があったら荷物は開放されるでしょう。でも、貨物に本当に問題があったとしても取り戻せるように手配できますか?」
「そうね、わたしくも今から港に行く予定よ。ゴネるのは大得意ですもの。ミトちゃんの資材も取り返してやりますわ」
エレニア夫人が上品に鼻を鳴らしました。大胆で聡明な方です。
「マダム。グランド・ブールバードのお店の方々に心配しないように伝えていただけますか。二度とこのような事はおきないでしょう」
「当然ですわ」エレニア夫人とマダムが立ち上がります。慌ててランカスターさんも立ち上がりました。
「ルゥちゃん、決着をつけなさい」
エレニア夫人が言います。
「あの男に自分の人生に関わるな、と言い聞かせなさい」
マダムが指をビシリと立てて続けます。
「それとあたくしと伯爵夫人の分までぶん殴ってやりなさい」
強烈な言葉を残して、怒りに燃える2人は去っていきました。
部屋に取り残されて、思わずソファに座りたくなります。
いえ、今は踏ん張るときです。強張った手を温めるように擦ります。
「おい、大丈夫か?」
ミトの声は優しげでした。
「ミト、まだクラブの内装でまだ仕上がっていない物はありますか?」
「え?えーと、カウンターとテーブルの他は……照明が一式まだ終わっていない。それとソファかな」
「それはどこにありますか?」
「下町のうちの工房の倉庫だ」
ゆっくり息を吸って頷きます。
「ミト、お願いがあります。今すぐ倉庫に行って、全部ちゃんとあるか確認してくれませんか。アル公爵の関係者が嫌がらせくるかもしれません」
「よし、任せろ。ランカスターさん、ルゥを頼んだぜ」
私とランカスターさんの背中をバンバンたたき、ミトが飛び出していきます。
ミトの後ろ姿を見届けてから、ランカスターさんに向き直りました。
「やられました」
グッと息を吸って続けます。
「やられっぱなしになるつもりはありません。公爵と決着を付けます」
「どうやって?」
ランカスターさんは冷静でした。
それが問題です。
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