第四章
第37話 公爵の影
「すごいな! こんな風になったのか!」
書類の束を持ったランカスターさんがびっくりした顔で言いました。
今日はお引っ越しの日です。といっても、同じお屋敷内での引っ越しです。
2階の仕事場の改装が終わったので、 食堂の長机を長い間占領していた書類を全て2階に持っていきます。
公爵夫人の寝室だったお部屋はランカスターさんの執務室となりました。
女性らしい雰囲気が全てなくなり、落ち着いた深い緑色の壁紙が新しく貼られています。
内装屋さんは喜んで全ての家具をそろえてくれました。大きな仕事机と巨大な本棚、応接セットも入れたので、ランカスターさんも集中してお仕事ができるでしょう。もちろん、これから増えるであろうランカスターさんの助手さんも使ってもらえます。
「ほら! クローゼットはそのまま残したので使ってください。姿見もあります」
嬉しくてクローゼットのドアをパカパカ開いてみせます。
隣の部屋が私の仕事部屋です。
ここは公爵の寝室でしたが、ランカスターさんの仕事場とは逆に女性らしい雰囲気にしてもらいました。
青色の小花の壁紙にして、腰壁は若草色にしています。淡い色の仕事机とソファ、仕事道具も一新してくれて、卓上には真新しい羽ペン、インク、封蠟が並んでいます。
「ありがたいけどよぉ。……君の寝室にすればよかったのに」
「実は、公爵夫人の寝台を屋根裏部屋に運んでもらったのです」
ランカスターさんは訝しげな顔をしています。
親方さんは、屋根裏で暮らしている私を哀れんでか、公爵夫人の立派な寝台を手入れして屋根裏まで運んでくれたのです。今では毎晩立派な寝台で眠っています。
「まさか自分が公爵夫人の寝台で寝ることになるとは思ってもみませんでした。しかも聖女様が使っていた物です。光栄なことです」
凄く名誉なことです。数年前では考えられなかったことで、思わず感慨に耽ります。
「婚約破棄されなれば、そうなる予定だったのでは……?」
後ろでランカスターさんがボソリと言っていますが無視します。
「ま、ありがとな。綺麗な部屋は心地が良い」
仕事机の立派な椅子に深く腰掛けたランカスターさんは満足げです。
従業員の幸せは私の幸せです。そんな気持ちが少し分かってきました。思わず笑みがこぼれます。
「その通りです。食堂のような混沌の仕事場を楽しめる方は整頓にも順応できます。有能な方でしたらなおさらです」
胸を張って大きく頷いていると、バタバタとミトとエレニア夫人が部屋に飛び込んで来ました。
「ルゥ! ランカスターさん! ここにいたのか!!」
2人とも普段と様子が違います。ミトは眉を顰め、エレニア夫人は苛ついた様子で扇子をギリギリと忙しなく振っていました。
珍しいことです。
見てください! 改築したのです! と言える雰囲気ではありませんでした。
「どうしましたか?」
ランカスターさんが2人の形相に気づいたのか割って入ります。
「輸入した家具が関所で止められた」
怒りに震えたミトの声が響きました。
*
「止められた……?」
私は状況がうまく飲み込めず、ポカンとしてしまいました。
「何処でですか?」
ランカスターさんは理解が早いようです。
「港の関所よ。あの役人共!」
エレニア夫人が吐き捨てるように言いました。
「港には着いたはずなのに、ちっとも届かないから何度も問い合わせてたの。わたくしが取り寄せたテーブルの天板、ミトちゃんの工房で発注したカウンターの一枚板だけ狙い撃ちで止められたわ。やっと書類不備だとか通知が来たけど、絶対わざとよ。一緒に輸入したわたくしの個人的なものは届きましたもの」
エレニア夫人がせかせかと部屋を歩き回りながら、一息で言います。相当お怒りのようです。
ランカスターさんが立ち上がって机の前に回ってきます。彼は女性が立っている時に絶対に椅子には座りません。育ちがいいのでしょう。
私はお茶を用意するために、ベル紐を引きました。この状況では必要なものでしょう。
「書類の不備がないってのは本当ですか?」
「ウチはお得意様ですもの。こんな事一度もありませんでしたわ。そもそもタダの木ですもの。芸銃品なだけで合法ですわ」
夫人は心外そうに口を尖らせています。
「あたしも親方の工房に努めて10年近くになるけど、こんな事は初めてだ」
「主人とマイスターが朝一で港に向かいましたから、今頃ゴネまくってるはずよ」
「ゴネてどうかなるものですか?」
ランカスターさんを扇ぎます。
「……う~ん。貨物検査する事になったとしても半日もかからないはずだし、嫌がらせの可能性が高い。けど、関税審査は法的に認められてるからゴネるしかない」
そんな――このままではテーブルもカウンターもプレオープンに間に合いません。ただでさえギリギリの搬入の予定です。
次の瞬間、嫌な考えが頭をよぎりました。
「なぁ、これってアル公爵が関係しているんじゃないか?」
ミトの一言で、部屋の温度が一気に下がったような緊張が広がりました。
皆さん、考えていることは同じだったようです。沈黙がその証拠でした。
「たくさんある貨物から、クラブ関係のものだけ止めるのは偶然じゃないと思う。公爵が圧力かけたとか……ともかくそんな事やったんじゃないかな」
「港の関所長官は誰でしたっけ?」
「アンドレアス子爵。お飾りですけど」
エレニア夫人が即答します。さすが、詳しいです。
ランカスターさんが眉を顰めてため息を着きました。珍しい光景です。
「アル公爵のご学友だ。歳も同じ」
「いい噂は聞かない方よ。借金まみれの典型的な放蕩息子」
全員が顔を見合せます。
アル公爵のいやがらせ……? そんな事を彼がするでしょうか。
――してもおかしくありません。
そうです。アル公爵が関所に働きかけて私のクラブの貨物を止めることは十分に考えられる話でした。
お屋敷を取り戻せない怒りから、彼が逆恨みを抱きクラブを台無しにしようと心を燃やしているのは十分考えられます。むしろ、アル公爵らしいともいえます。
もちろん黙っているつもりはありません。
「アル公爵と話をつける必要がありそうですね」
「そもそも、公爵が圧力かけたって証拠がないぞ。しらばっくれるだけだと思う」
ランカスターさんは冷静です。
「それでも――」
「もうっっ!」エレニア夫人が扇子でピシャリと空を切りました。
「あ、あ、あの……汚い言葉を使うのを許してね」怒りに震える声で言います。ランカスターさんが肩をすくめました。
「あのボンクラ! やってくれるじゃないの!」
「伯爵夫人、全然汚くないです……」ミトがポソリと言っています。
「あのクソ野郎! やってくれるじゃないの!」
突然、マダム・キャビッシュの朗々とした声が響きました。全員がギョッとして部屋の入口に注目します。
怒りに震える竜人。マダムキャビッシュが仁王立ちで立っていました。
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