第30話 血の請求書

 ギュッと雑草をつかんで引き抜きます。季節はそろそろ夏。

 太陽が高く登った昼下がりでも、この一帯は自然が多く残っているためか木陰は気持ちよく過ごせます。


「マーロンさん~。こっちの雑草抜き終わりました~!」私はカゴいっぱいの雑草を掲げて言いました。


 マーロンさんが庭の隅で手を振っています。

「聖女様、そんなことしなくて結構ですよ。ワシの仕事がなくなっちまう」


「いいのです。待っているだけで手隙ですし」


 マーロンさんは新しく雇ったドワーフの庭師で、植栽の天才です。

 もはや密林と化していた前庭の薔薇を見事に選定して、見違えるようにしてくれました。

 麦わらの庭師帽を被り、身長より大きい四つ叉のピッチフォークを手にしたその姿は神話に出てくる畑の守護神を彷彿とさせます。


 今は秋のオープンに向けて、前庭に種と苗を飢えているところです。

 庭全体の設計をマーロンさんにお願いしたところ、元々あった薔薇は活かして、秋口に咲き頃を迎える花を中心に植える事になりました。

 秋には、秋薔薇の濃紅と淡藍色の花が咲き乱れてることでしょう。きっとお屋敷の白壁にも映えるはずです。

 中庭の手入れもお願いしたいのですが、トイレ増築のために掘り起こしているためまだ作業できる状態ではありません。


「聖女様ぁ~お届け物で~す」

 すっかりおなじみになった郵便員の方の声が門の方から響きました。


 私も暇で人の仕事を奪っているわけではありません。屋敷の改築作業真っ只中の中で、お屋敷には四六時中ありとあらゆる物が届きます。そんなお届け物を受け取るのが私の仕事です。


 小柄の竜人の郵便員さんがえっちらおっちら巨大な箱を運んできました。


「玄関入って左の廊下を進んだ、ランチルームに置いていただけますか」


「はいさ~」

 軽快なお返事と共に廊下の奥に消えていきます。小さい方ですが、さすが竜人は力持ちです。

「どうも~」

 受取書にサインをすると、手をヒラヒラとさせて郵便員さんは去っていきました。


 入れ替わりにエレニア夫人がやってきました。


「ルゥちゃん。ごきげんよう。お庭綺麗になったわねぇ」

 薄桃色のサマードレスと繊細なレースの日傘で涼しげな装いでした。


「こんにちは。エレニア夫人」


「今日はランカスター君に会いに来たのよ。そうそう、メイドさん雇ったらしいわね。そろそろ彼の淹れた濃い花茶以外のモノは飲めるのかしら」


「はい。大丈夫ですよ。なんと軽食もご用意できますよ。案内しますね」


 マーロンさんに挨拶してから、エレニア夫人と荷物を避けて食堂に進みます。


「あらあら、少しずつ進んでいるようねぇ」


 夫人は満足げに天井を見上げて微笑んでいます。玄関ホールは未だに足場が組まれたままです。

 ほんのり薬品の香りが漂っています。今は天井画を画家さんが制作中で、これにはあと1週間かかることことです。


 そうです。もはやお屋敷の1階は物置と化していました。玄関ホールも神殿内も建材資材で一杯です。

 着々と工事は進んでいるのですが、あんなに広く感じたお屋敷内は所狭しと足場が組まれ用具で一杯です。

 玄関ホール左手の応接間は踊り子さんの稽古用の部屋として使用する予定なので、もはや1階に人がくつろげるスペースはダイニングルームの食堂とモーニングルームだけになっていました。


 事務所兼応接間となった食堂には今日もランカスターさんが籠城しています。


「奥様、ごきげんよう」

 私達に気付いたランカスターさんが立ち上がって、カッチリとした挨拶しました。

 最近暑くなったので、麻シャツの袖をめくったラフな格好です。髪も結わずに下ろしたままですが、紳士的な所作が可笑しいです。


 メイドさん用の呼び鈴を2回鳴らして来客を台所に知らせます。

 これは備え付けのものです。さすが元公爵邸です。


「とってもお掃除が得意なメイドさんと、お料理上手の方を雇ったのです」

 私は少し得意げに言ってしまいました。


「そうなの。良かったわねぇ」

 エレニア夫人はちょっとびっくりした様子で微笑みます。意味に気づいて少し恥ずかしくなりました。

 上流階級の方には使用人を雇うのは当然のことなのです。とはいえ、私には特別なことです。


 ミディさんが得意げにお茶を運んでくれました。伯爵夫人を持て成すのは嬉しいのでしょう。茶請けの焼き菓子も出してくれます。


「踊り子さん決まったんですって?」


「はい! とっても素敵な方たちです」


「楽しみねぇ。衣装はどうするの、と言っても脱いじゃうんだろうけど」


 ファッション雑誌を広げました。

 雑誌は石版で刷られたカラフルなもので、来シーズンの社交界の流行が載っているものです。マダム・キャヴィッシュのお店のドレスが見えます。


「舞台の衣装と従業員の制服をマダム・キャヴィッシュにお願いすることになったのです。わたしも何着かドレスをお願いしました」


「まぁ、マダム・キャヴィッシュ! 凄い方にお願いしたのね。中々来店の予約も取れないお店なのよ」

 え、お店の来店に予約がいるのですか? 前にフラッと寄ってしまいましたが……凄い世界です。


「あぁ~いいわねぇ。わたくしもルゥちゃんのドレス選びに付き合いたかったわぁ……」


 夫人はうっとりした目で遠くを見ながら、お茶を飲んでいます。


 視界の隅でランカスターさんが私に目配せして微かに首を振りました。

 たぶん、夫人にドレスを選んでもらうと、私が破産するはずです。伯爵夫人と一緒にお買い物するのは、もうちょっと儲けてからではないと難しいでしょう。


「そうそう、今日は長居できないのよ。もう行かないと。内装を依頼した商会から封書が届いたから、見てもらおうと思って」

 夫人はレースのカバンから大きな封書を取り出しました。


「請求書じゃないかしら」

 ランカスターさんに渡します。


「確かに」


「来週には天井画の制作が終わって、玄関ホールの改築に入るでしょう。でもわたくし、子ども達が学校から帰ってくるから、2ヶ月ほど田舎で過ごすことになりそうなの。現場の見回りはランカスター君にお願いできるかしら」


「大丈夫です。お気遣いなく」


「よかった。お任せしますわ。家具入れる頃には帰ってくるから」

 夫人は優雅にお茶を飲み干しました。


「では、ごきげんよう~。見送りは結構よ。またね、ルゥちゃん」


 颯爽と去っていきます。

 エレニア夫人の姿が見えなくなると同時にランカスターさんに向き直りました。


「エレニア夫人ってお子さんがいらっしゃるのですか?」


「知らなかったのか? 3人だったっけな……」

 ランカスターさんは顔も上げずに答えます。請求書の金額に夢中のようです。


「学校って言ってましたよね?」


「寄宿舎にいるんだろ。ノーフォーク伯爵は……イルデン校かなぁ」


「詳しいですね」


「貴族は行く学校が決まっているんだよ。今夏休みだから一緒に領地に行くんじゃないかな」


「学校行くほど大きいお子さんがいそうに見えます? わたしと同年代だと思っていましたが」


 ランカスターさんはパチパチとそろばんを弾きながら呆れ返っています。

「いや、結構いってるだろ、アレは」


「どこが?!」

 正直ショックでした。20代ですよね? 違うの? 学校の寄宿舎は何歳から行くのでしょうか。


「俺は知りたくもないが、ご婦人方の謎の技術があるんだろ。おっとこれは予想外」ランカスターさんが請求書を覗き込んで、眉を顰めました。


「どうです、内装代。結構行ってます?」

 私も思わずランカスターさんの後ろから覗き込んでしまいます。


 請求書には室内装飾の総金額がズラズラと並んでいました。

 夫人はありとあらゆる必要なものを買い揃えたようです。しっかりとお仕事をする方でした。

 エレニア夫人の素晴らしい趣味と張り切り具合では、とてつもない金額になっていてもおかしくありません。

 もしかして、請求書の中身を見ずに領地に逃げた……なんて思い始めたところ――


「思ったよりお安いですね。余裕で予算の範囲に収まってません?」


「こりゃ、夫人はそうとう値切ったんだな。さすが」


 書類をパチリと叩いてランカスターさんが言います。


「値切った?」


「見てみろよ、この請求書。血の涙で書かれている」


「血では書かれていないようです」


「比喩だよ」


「値切ったってことは、装飾屋さんの儲けが減りますよね。それはそれで望んでいないのですが」


 ランカスターさんが、夫人が丸々残した焼き菓子をパクパクと食べ始めました。夫人の前では絶対にしない行儀の悪さです。


「相手もプロだぜ。伯爵夫人の顔を立てるのと、このクラブが有名になったら評判になるって目論見でギリギリまで下げたんだろ」


「大丈夫なのでしょうか」


「儲けがなければ店も売ったりしないよ。夫人もそこら辺には鋭いお方だから、ギリギリを攻めたんだろ」


 といってもまだ納得できません。莫大なお金がある訳ではないのですが、内装には十分な予算を取っています。他の商売の方の儲けを少なくしてまで予算を削りたいとも思っていません。


「なにか内装屋さんにフォローできないでしょうか」


「他の部屋の改装もお願いすればいい。君の寝室だって、まだ屋根裏だろ? 主寝室綺麗にすればいい」


「なるほど……」


 食堂のテーブルに山盛りになった書類の山を見渡します。

 

 なるほど。

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