第27話 サーシャ様
目の前にいたのは黄昏の聖女サーシャ様、その人でした。
「んぁ……サーシャ様ぁっっっ?!」
サーシャ様は街中にいるのが浮いているような、浮世離れした美しさのある少女でした。真っ黒の髪は耳の後ろにまとめて、つややかに後ろに流しています。
聖女の正装である銀糸の模様が入ったドレスと、白鳥羽の髪飾りを付けていました。
「ルゥ様。ごきげんよう」
丁重に聖女式の挨拶をされると、こちらも返さないわけにはいきません。礼儀作法は修道院育ちで身体の芯に染み付いています。
「サーシャ様……ごきげんよう」
ゴシップ紙をマジマジと読んでいた気まずさを隠すように深々とお辞儀をします。
「私がなにか?」
「い、いえ、何でもありません!」
サーシャ様は不思議そうに首をかしげました。こうして見ると、公爵と一緒にいたときより幼く見えます。スンッとした神秘的な相貌は、冷淡というよりは朗らかに見えました。
「ちょうどよかった。ルゥ様、少しお話したいことがあります。お時間よろしいですか?」
――――なななな、なんでしょう。私は明らかに動揺しました。
アル公爵についてでしょうか。それなら、私に言えることはありません。いえ、あるのでしょうか。あの男は辞めとけ。とか?
でも男女の関係に口出しできることはないのは、さすがにわかっています。
サーシャ様の黒い瞳がじっと私に向けられます。同じ聖女ですが、彼女には不思議な力があるのが分かりました。そりゃ私は一度も天啓を受けられなかった駄目聖女ですので、彼女と比べるのもおこがましいのですが……。
気まずくて今にも逃げたい気分でしたが、話を聞くべきでしょう。
「サーシャ様、お茶! お茶しません? わたし、最近お茶することを覚えたのです。美味しいパイを出すお店があるのですよ」
*
2人で会話もなく大公園横のカフェに移動しました。
「ル・サント」という可愛い名前のカフェで、卵の風味たっぷりのクリームが乗ったパイと花茶が絶品です。
そして今――私達はオープンテラスの席で無言でパイを突いています。
少し気まずいです。訂正、かなり気まずいです。ここでアル公爵の話題でも出されたら、どう返答していいのかわかりません。
誘った手前、少しは話しやすい雰囲気にしなければいけません。思い切って会話の糸口を切ります。
「あの……サーシャ様はよく市街にいらっしゃるのですか?」
「はい。最近はアル公爵と一緒に出かけるようになりまして、市井に興味が湧いたので」
「あのっっ話というのは?」
つい遮って言ってしまいました。アル公爵関係の話は聞きたくありません。
「アル公爵の――」
「アル公爵については、わたしはなにも言える立場ではないです!!」
また遮ってしまいました。とはいえ本心です。
何も言うことはないし、人の恋路は口出すべきではありません。
「でも貴方に関係のあることです」サーシャ様が困ったように言いました。
「たぶんなにもないです……」
私は目の前のパイに集中しました。
「ルゥ様、あのお屋敷を酒場にするって本当ですか?」
「え? あ、はい」たしか初対面でサーシャ様と会った時に、私が啖呵を切ったヤツです。話がどこに向かっていくのか分かりません。
「アル公爵があの家を取り戻したがっている事をご存知ですか?」
「そうですね。裁判を起こしかけられました、すぐに取り下げましたが。買い戻したいって言っていました」
「それは、私の受け取った――天啓が原因なのです」
サーシャ様が暗い表情でお茶を飲みます。
「天啓? お屋敷に関係あるのですか?」
結婚ではなく?
こくりとサーシャ様が頷きます。
「私は4ヶ月、メント神殿で天啓を受け取りました。アル公爵の結婚について、『アルヴィン・アレクス・ストハーバー、ルゥ・カレンセイに伝ふ。今の婚姻は止めおけ』」
ほほう、結婚も止められていたのですね。これについては、正しかったのは間違いありません。
「もう一つは、『屋敷に隠されし家の宝を得よ、させば人道に外れず』と」
「え」
公爵家の宝……。エレニア夫人との会話が思い出されます。
――――先々代の公爵が聖女様と結婚なさった時に、屋敷のどこかに宝を隠したんですって。そんな言い伝えがあるの――――
「ええぇぇ?!」
「アル公爵は、家の宝があのお屋敷にあると考えていて、どうにか取り戻せないかと考えているようです」
本当にあるんだ……。宝。
聖女の天啓は解釈の当たり外れはありますが、的外れだった事はありません。
宝があると言われたのでしたら、それがは絶対にあるはずです。あれだけ探した宝ですが、どこかに隠されているのでしょう。
なるほど。アル公爵もどうせ聖女と結婚するのなら、天啓の力を持った聖女の方がよいと気づいたのでしょう。
ただ、自分がお宝を探す前に私が屋敷に映り込んできたので、当初の計画は破綻しました。そもそも、私がお屋敷に転がり込むとは思ってはいなかったのでしょう。それか、すぐに買い取りに同意すると考えたはずです。
「彼は屋敷を手放した事を気に病んで、最近とてもイライラしています。お気をつけを」
「なぜ、わたしに知らせてくれたのですか? だって……サーシャ様のはアル公爵の……」
「公爵の?」
「その……こ、恋人とか」
恋人と言い慣れていなさすぎて口ごもってしまいます。人と恋の話題で会話したことがないので、ちょっと照れます。
「まさか! そんなことはありません」
サーシャ様が本当に驚いた様子で大声をあげました。
「いやだわ……そんなまさか」赤面した頬に手を当てています。
「新聞にも書かれていましたよ」
「えっ!! えぇ……そうなのですか?私、新聞は読まないもので……。たしかに最近良くご一緒していますが……」
「サーシャ様も好意を持ってるのでは?」
「そんなことはありません」
「少しは」
「ありません」キッパリと否定されました。
どうやら、私もゴシップ紙の中毒者になっていたようです。サーシャ様の驚きようといったら、嘘をついているようにも見えません。それに、カルミナの誓いを立てた聖女は嘘はつかないのです。
早合点だったのかも――サーシャ様のような方が公爵とお付き合いされていなくて、正直ホッとしました。
なんだか、力が抜けていきます。
「ありがとうございます。サーシャ様。親切に忠告してくれて。わたし、ちょっと気まずくて、最初どうお話していいのかわからなかったのです」
サーシャ様も恥ずかしそうに微笑みました。
「私の方こそ、カフェに誘ってくださいましてありがとうございます。実は一度来てみたかったのですが、勇気がなくて」
ふふふ、と2人で笑い合います。
「サーシャ様、酒場が開店したらぜひ来てください」
「喜んで。まだお茶に誘ってもよろしいですか?」
「もちろんです!!」
*
サーシャ様と別れてから、お店を2.3件まわり切れていた茶葉と焼き菓子を買いました。
ずっしりと両手に荷持を抱えて、馬車に乗り込みます。
「家に帰ります」
ボーンボーンと日暮れを知らせる鐘が鳴り響きました。日が低くなり、街全体を黄金色に染めています。
大通りを進み、市街地と住宅街とを分ける大橋を渡ると視界が開け緑が多くなります。王宮の白壁が金色に輝き、禁域の森も燃えるような紅に染まっています。
3ヶ月まであの場所で暮らしていたのが信じられません。
13歳で聖女見習いとして王都に来てから、王宮の神殿と禁域の森、付属の古文書図書館が私の全てでした。
毎日午前中はお祈りと神学の勉強。午後から祈りのお努めがない聖女は古文書の翻訳と写本づくりをしていました。
あの頃は、毎日同じことの繰り返し。もう遠い昔のことのようです。
サーシャ様は神殿にいながらも、街に出て新しい事を初めています。私は神殿にいた時はできませんでした。凄いことです。
サーシャ様のことが大好きになりかけています。
沈む夕日を眺めながら、お屋敷の事を考えます。
今は、同じ日が1日たりともありません。毎日が新しいことばかりです。知らない単語、知らない味、知らない職業、王宮にいたころは、世界の全てが神殿にあると思っていましたが、全然違いました。
家は改築途中で投げ出されたため、壁紙も家具も満足にありません。玄関は足場が組まれ天井画の剥がれた破片が積もっています。食堂は仕事場代わりで、長机は書類の山。前庭の薔薇は伸び放題で裏庭はトイレ拡張のために掘り起こされています。
何もかも混沌としています。
それが、今の私の帰る家です。
できる事を少しずつ進めることしかできません。
たくさん買った茶葉の山を見下ろしてにっこりしました。
良い一日でした。
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