第21話 自信
マダム・キャビッシュのドレスは本当に2日で届きました。
有言実行のお方です。
真っ黒なつけ消しの紙箱に、箔押しされた竜人文字で「キャッビッシュ」と書かれています。そっと開けると、現れたのは薄紙に包まれていた暗い色のドレスでした。
光沢のある黒絹に藍色のチュールが重なり、深い夜空のような複雑な艶があります。チュールには銀のビーズが刺繍され、キラキラと星のようにまたたいていました。
髪がビーズに引っかからないように、すべて上にまとめて結い上げました。
黒い宝石がついた髪飾りでもあると合いそうですが、髪飾りは聖女の正装用のヘッドドレスしか持っていません。
もしドレスを一揃えするなら、ヘアアクセサリーもそろえようと決心しました。
本当に美しいドレスでした。
袖は薄絹が贅沢に使われ、フワフワと腕が透けています。
胸の下からチュールが滝のように流れ、歩く度にビーズがきらめき、まるで夜空に吹きすさぶ風のような気分です。
姿見の中には、上流階級の女が立っていました。
カッチリとパズルがハマったような、時間が止まった感覚がありました。
このドレスは完璧でした。
私の肌と髪と、瞳の色と完璧にマッチして、それぞれの色を引き立たせています。
もの凄く上品で、賢く、彗眼で、大胆に見えます。
急にグッと胸が詰まる感覚に包まれます。私はこのドレスにふさわしい女でしょうか。
失敗できない。
これまでにない緊張を感じます。
これから融資のお願いに行きます。これに失敗したら、もう後はありません。私にお金持ちの知り合いはいませんし、銀行で粘ったとしても可能性は低いでしょう。
つまり、私の計画は完全に頓挫します。
お金を用意できないオーナーは、オーナーですらありません。
お店を持つ資格はないのです。
心臓の鼓動が耳の奥で響きます。手先が冷たくなり、嫌な予感に飲み込まれます。
ぎくしゃくとした動きで階段を降りて玄関ホールに向かいました。
ホールにはランカスターさんがいます。私を見て驚いた表情を浮かべていました。いい意味でしょうか。
「カレンセイ! 気合入っているな!」
ぎこちなく頷くしかできません。
「ランカスターさん、このドレスどうですか?」なんとか声を絞り出します。
「似合っている。美しい」
全然胸のつかえは取れませんでした。
「本当に似合ってますか? このドレスにふさわしいと思います?」
階段を降りきってランカスターさんと並びます。
「おい、大丈夫か?」
「吐きそうです」
「こっち向け、カレンセイ。座っちゃ駄目だ。顔を上げろ」
「わたし……無理かもしれません。エレニア夫人は賢い方です。ドレスで着飾っても、結局は見抜くでしょう」
「何をだ?」
「投資するかに相応しいかをです」
「自信を持て、君は相応しい。賢いし、魅力的だ。なんだってできる」
「本当にそう思いますか? このドレスに相応しいくないのでは……?」
「おい、顔を上げろ。俺を見ろ」
腕を掴まれ、強引に引き寄せられました。顔をあげると、ランカスターさんと目が合います。彼の虹彩の模様までハッキリと見えるほど顔が近いです。
ランカスターさんの瞳は花茶色です。改めて見ると、赤みをおびた薄い茶色に、金の斑点がソバカスのように散っています。
ランカスターさんは真剣な顔でした。
「自分の評価を人任せにするな。俺がなんと言おうと、君はやれるヤツだ。そうだろ?」
首を振りました。手を取られ腕に回されます。
「行くぞ」
「無理です」
「歩け、息をしろ」
無理です。
「お金を用意できなきゃ意味がないです」
正面玄関から外に出ます。風にあたり、少し気分が軽くなりました。それでも足は鉛のようです。
腕を取られてはランカスターさんに付いていくしかありません。男性と腕を組むのは久しぶりでした。アル公爵と婚約していた以来です。
引きづられるように馬車道を歩きます。
「いいか、俺がなんと言おうと君は賢く、勇気があり、美しい」
「……」言葉が詰まって出てきません。そうとも思えません。
「君は、地方の修道院から聖女見習いに選ばれて、聖女まで出世したんだろ。すごいもんだ。出身はどこだっけ?」
「ミストリームです」
王都から馬車で10日もかかる、高原を抜けた先の半島です。
「王都の方から見れば、ドが付くほど田舎です」
「俺はフォージ出身だ。ド田舎仲間だな」
フォージは東の山の方でしたっけ。寒い所の出身のようです。それでも訛がないでわかりませんでした。
「ド田舎から出てきて聖女に選ばれた。すごいもんだ」
「だいたいは国内の三大修道院出の聖女見習いの方が聖女になるのです。でも偏りすぎると問題なので、たまに地方出身の方が選ばれます。それがたまたまわたしだっただけです」
「それでも聖女は聖女だ。田舎出身で王宮内で働ける人間は稀だ」
「聖女ですが天啓は受け取れていません。もう何年も」
「それがなんだよ。天啓だけが聖女の努めじゃないだろ? 神学校を卒業して神代文字も読めるんだろ?」
「……」
なにか特別なことを私が持っているとは思えません。
神職でしたら、神代文字も古代文字も誰でも読めるのです。
「顔を上げろ。後ろを見ろ」
振り向くとお屋敷が見えました。
前庭からぐるりと馬車道が伸び、その後ろには堂々としたお屋敷が見えます。
春の曇り空、どんよりとした白い空の元に真っ白な壁が輝いていました。
「ほら見ろ、君の屋敷だ」
大きく、立派なお屋敷です。
「今手元にある物を思い出せ。慰謝料代わりだろうが、君はこの屋敷を手に入れた。ミトくんは君のために設計図を書いた。大枚をはたいて俺を雇った。マダムを説得して綺麗なドレスを手に入れた。周りがなんと言おうと、君はやりとげた」
ふぅと息を吐きました。久しぶりに肺の底から呼吸できた気がします。
「屋敷と同じだ。所有者が誰だろうと、価値が変わるわけじゃない。人任せにするな。俺の言葉一つで君は変わるのか? そうじゃないだろ?」
なんとか頷きます。
息は吸えるようになりました。喉のつまりはまだとけません。
ただ、ゴチャゴチャとした思考は一本の線となり。頭がスッキリとしました。
「わたしは賢く、見る目があり、そして大胆」自分に言い聞かせるようにつぶやきます。
ランカスターさんの腕から熱が伝わり、手先の強張りが溶けていきます。
「少なくとも、そうなることはできるかも」
「それに美しい。ドレス似合ってるよ」ランカスターさんが片目をつむりました。
いつの間にか持っていたカバンを私に押し付けました。
カバンの中には、エレニア夫人に見せるための計画書が入っています。
「いつか、ランカスターさんの田舎の話が聞きたいです」
「融資を取り付けて帰ってきたらな」ランカスターさんはニヤリとしました。
「よし! 行って来い! オーナー!」
バンっと背中を叩かれます。叩かれた背中から熱が広がり、全身が暖かさに包まれました。
鼓動はまだ激しく響き、喉が詰まるような緊張感も残ったままです。
それでも行くしかありません。
行くしかありません。
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