第18話 美しいドレスを着たら

 次の朝、モーニングルームで新聞の朝刊を見てニンマリしました。

 良い行いをしなくても気分が良くなることを発見して少し驚きです。少し俗世に染まってきているようです。

 さて、次の金策を考えなくては。今日は2件の銀行を巡る予定です。



 *



 夕方近く。

 鉛のように重い身体を引きずって、なんとか屋根裏部屋までたどりつくと、ベッドにドサリと倒れ込みます。

 今日は王都の銀行を2件回りました。結果は――駄目でした。


 どの銀行員さんも答えは同じです。当行からの融資は難しいでしょう、と申し訳無さそうに言われました。


 ありがたいことに、どの銀行員さんも真剣に私の話を聞いてくれました。無茶な計画だとか、嘲笑ったり、哀れみを込めた目で見る方はいませんでした。

 まぁ、相手もお仕事ですから。少なくとも私の自尊心は傷つかずに済みました。ただ一日中歩き回ってクタクタです。 


 いつまでもベッドに倒れ込んでいないで、何が問題か探らないといけません。

 ぐるりと頭を反転させて姿見を覗き込みます。一日中街を歩き回って疲れ切った女が写っていました。


 私に投資しても回収できそうには見えないから? ありえます。

 私が優れた経営者に見えないから? ありえます。

 私がお金儲けが下手そうに見えるから? ありえます。


 訂正、さすがに断り続けられて、少しは自尊心も傷ついています。

 朝のいい気分はすっかり擦り切れてしまいました。


 アル公爵の裁判をやっつけたと思っても、ストリップクラブのための融資については全く進んでいません。新たな金策は……床に出しっぱなしの大きな箱が目に付きます。

 アル公爵からいただいた、舞踊会用のドレス2着、昼の食事会用のドレス1着。売る予定のドレスでした。どれも高価なツヤのある厚紙の箱にしまわれてます。


 なんとか身を起こして、一番上の箱を開けました。昼用のドレスでした。

 カスタードクリームを思わせる、なめらかな黄色を帯びたドレスです。たしか一度しか着たことはありません。夜会用ほど華美ではありませんが、私には十分贅沢に見えます。


 やはり、高価な服を着たほうが立派で、信頼がおけて、お金稼ぎが上手に見えるのでしょうか。

 ドレスを持ち上げて身体に合わせます。

 鏡の中の自分は少し立派に見えました。


 一人で着られるでしょうか。



 *



「カレンセイ! どこ行ってたんだ、俺は……」

 ランカスターさんが私を見て、言葉に詰まっています。ポカンと口を開けて、階段を降りる私を見つめています。


 久しぶりに着たドレスは素晴らしいものでした。

 光沢のあるシルクが贅沢に使われ、デコルテはドレープでふんわりしています。

 かかとまでのロングスカートは歩く度にフワフワと揺れ、しっとりとした絹の感触が心地良いです。私がこれまでに着たどの服よりも手触りがよく、間違いなく贅沢品です。春先に咲く薄黄色の小花を身にまとったような、軽やかな気分にしてくれます。

 傷ついていた自尊心が少し癒やされました。


「驚いた」

「どうでしょうか?」スカートを摘んで膝を折り、王宮風の挨拶をします。

「似合ってるよ。美しい」

 思いがけず直球で褒められて少し照れます。


「そんなことより、弁護士リストアップしたぞ」

 そんなこと?

「弁護士? リストアップ?」


「公爵の裁判に備えて、こっちも弁護士立てるぞ。とりあえず、公爵に繋がりのない弁護士をリストアップした。貴族としか取引しかいないヤツもいるけど、君は聖女だしなんとかなるかも。すぐアポを取ろう」

 真剣な表情でポンッとメモを叩きます。


「……」


「お~い。聞いてるか?」


「今日ダイニングルームに入りましたか?」


「入ってない」

 私が街に行くときにはまだ起きていなかったので、徹夜して弁護士のリストを作ってくれていたのでしょうか。

 中々できることではありません。ランカスターさんの事がもっと好きになりました。


「来てください」


 ダイニングルームは今や2人の仕事部屋です。食事用の長机に山のように手紙や書類が積まれています。長机に積まれた書類の山の一番上の封筒を手に取ります。

 今日の朝一番に届いた裁判所からの封書でした。

 無言でランカスターさんに差し出します。

「裁判所から……」マジマジと読み勧めていくうちに、ランカスターさんの強張った表情から力が抜けていきます。

「俺の読み間違えじゃなきゃ、公爵殿が提訴を取り下げたって通知だ」


 私は神妙に頷きます。

「起訴の通知と一緒に、起訴取りやめのお知らせも届きました。取りやめの方を信じていいのですよね?」


「昨日の今日で?」


「その通りです」


「弁護士来たのは一昨日だぞ? 公爵が改心したとは思えない」


「改心はしていないと思いますが、馬鹿な事はやめようと思ったようですね」


「そもそも勝ち目も薄いしな。この早さだと、弁護士事務所に父親のダリウス公爵からストップが入ったとみた」


「今日の朝刊は読みましたか?」


「読んでない」ランカスターさんの先を行くのはいい気分です。私は得意げに新聞を手渡します。

 ランカスターさんは眉根を寄せて、新聞を受け取りました。

 一面は相変わらずの公爵家のゴシップでした。


「『倹約家の公爵殿、屋敷を取り戻すべく四苦八苦』

『最新の倹約ブームに乗るべく、我らがアル公爵殿が驚きの行動に出た。公爵は元婚約者に渡した公爵家の私邸を取り戻すべく、法廷に立つ覚悟を決めたのだ。

 中央裁判所は本日付けで訴状を受理し、閣下の要請に応じて裁判の日程が組まれることとなった。

 すでに公爵は婚約指輪を取り戻すという大役を果たしており、これは新たに返済に回されたとのこと。屋敷を取り戻す事ができれば、金銭的問題を抱えるアル公爵の一縷の望みとなるのは間違いない。すでに閣下の周りの債権者からは期待の声が広がっており、裁判の行方に興味津々だ。

 我々は引き続き、公爵殿の新しい節約術に期待しつつ、閣下の新たな人生に密着していく所存である。』……リークしたのか」

 ランカスターさんが眉を上げます。


「嘘は言っていません。というか、起訴と婚約指輪を返した件と合わせて、公爵の金銭的な問題について今一度特集をするべきと進言しただけです。ダリウス公爵の目に止まるように」


「ダリウス公爵がゴシップ紙を読むとは思えないんだが」


「はい、でも事実の場合は別です。ダリウス公爵はとても聡明で現実的な方だそうです。噂話等には興味は引かれないはずです。でも、使用人も執事の方も公爵家が関わる事実だと公爵にお伝えするはずです。裁判を起こしたのは本当ですからね」


「貴族社会はメンツと見栄の世界だからな。放蕩息子の裁判沙汰じゃ笑ってらんないな」


「アル公爵も困ったでしょう。『お金を持っていない人に金を貸さない』って真理だと思います。これ以上の借金が公になると借金できなくなりますから」


「よくやった!」肩をバンバン叩かれます。褒められて嬉しいです。


「ランカスターさんもありがとうございます」弁護士のリストをそっとにぎります。

「気にかけてくれる人がいるというのは、とてもありがたいことです」

 ランカスターさんは照れくさそうに髪をかき上げています。良い人です。


「で、なんでドレスを着ているんだ? 勝利を祝って?」


「違います。キレイなドレスを着れば、立派な人間に見えるかと思いまして」


「なるほど。浅はかだが正しい」

 スバリと言われます。

 今まで着るものについては、考えてきませんでした。

 修道院では伝統的な綿と毛の修道服を。聖女になってからは、質の良い服を支給されましたが、一番良いもので式典用のシンプルな白絹のドレスです。

 そもそも最新のファッションは全くわかりません。


「次の融資の相談は、このドレスを着て行ってみようと思うのですが、どうでしょうか?」

 ランカスターさんは眉をしかめて思案顔です。

「このドレスでは派手すぎますか?」


「駄目よ、論外ですわ。そんなドレス今すぐ燃やしなさい」

 朗々とした芝居がかった声が食堂中に響きました。

 ギョッとして声の方を振り向きます。


 ダイニングルームの入り口に竜人の御婦人が仁王立ちで立っていました。


「ど、どちら様でしょうか?」


「あたくしはマダム・キャヴッシュ。よろしく」

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