第15話 アル公爵の噂
「聖女さま、お屋敷の買い取りについて、どうぞよく考えてください」
弁護士のプレスさんは念を押すように言うと、そそくさと帰っていきました。
ぽかんと頂いた封筒を抱えながら、なんとかランカスターさんに向き直ります。
「まず質問があります。べんごしってなんですか?」
「法律の専門家だよ。ちょっと書類見てもいいか?」私は喜んで渡しました。
ランカスターさんの後ろから覗き込みます。お屋敷の買い取りを提案する文書が続いているようです。
「わたし、裁判にかけられて刑を宣告されるのでしょうか?」
「民事だから、その心配はない。訴状は明日か明後日来るな」
「詳しいですね」
「大学で法学を学んでた」
え、初耳です。
ランカスターさんは素っ気なく言いながら、ペラペラと書類を捲っています。終わりまで読むと一息ついて、眉を顰めました。
「土地も屋敷の所有権も買い取る提案だ。って事は先方も誰のものか分かってるじゃねぇか。この屋敷って慰謝料でもらったんだよな?」
「確かにいただきました。財務大臣から気の毒そうにお屋敷の権利書をもらったのを覚えています。婚約解消についての慰謝料が記載された書類には神官様と財務大臣のサインが入っています。眼の前で署名いただきましたから」
「なんで財務大臣がサインするんだ?」
「わたしの結婚支度金は王家からいただいたものでしたので……。返却不要になりましたが。まぁその……国庫から出たものなんで……」
「うわぁ……」ランカスターさんが若干引いています。はい。まさに、うわぁです。今でもあの空気を思い出してげんなりします。
部屋中の人間が気まずさに息がつまりそうになりながら、シンとした部屋で私に婚約の解消と慰謝料の項目を読み上げられたのです。
「起訴しようがなにしようが、大臣のサイン入りの書類があるのに公爵がくつがえすのは無理筋だな。買い取りの提案は無視してもいい。弁護士は付けるべきだ」
「わたしもそう思います」
「何がそう思うんです?」廊下からぴょこんと集金係のリュッカくんの頭が飛び出しました。
「なんだまだいたのかよ」
「まだ今月の新聞代お支払いいただいてないもんでぇ」
リュッカくんはウズウズした表情で身体を揺らしています。獲物を見つけた猫みたい。と、不適切な考えが浮かんでしまいます。
「ほらよ、釣はとっときな。さっさと帰れ」
ランカスターさんが革袋を投げて言いました。
「リュッカくん。どうも公爵はこの屋敷を取り戻そうとしているようなのです」
「あ、バカっっ!!」
リュッカくんの耳がピンと立ちます。
「なんですと……それはそれは」クリームを前にした猫のように、にんまりとした表情でほほえみます。
「大変だぁ、お茶でも飲みながら対策を考えませんか」
「おい、カレンセイ。騙されるな」
「旦那ぁ、ボクは聖女さまの味方ですよぅ。三人よればプラガノスの知恵って言うじゃないですかぁ」
「聞いたことない」
「西方特有の言い回しです。プラガノスは西方の古い神で、獅子に乗り神々の塔を守る書の守護神です。転じて知恵を司る神として古い信仰があります。3 人で相談すれば、すばらしい知恵が出るって意味ですね。ちなみに、こちらに渡った時に獅子と守護神の部分が残って、門番としての意味合いが強くなりました。今でも図書館の門前に白獅子の石像を慣例で置くのはこの影響です。中央図書館にもありますよね」
「早口だな……」
「専門なので」つい胸を張ってしまいます。
「それに、新聞を味方につければ心強いのでは?」ぽそりと言います。
もちろん、ランカスターさんはそう思っていないようでした。
*
3人でモーニングルームに移動して、改めてお茶を準備します。
この問題に対応するには、甘いものも必要でしょう。ランカスターさんがお茶を淹れている間に、焼き菓子も用意します。
銀行に行った帰りに街で買ってきた、バターと木の実がたっぷり乗っている香ばしいとっておきです。融資を断られた慰めに買ったのですが、新たな問題が積み上がった今こそ必要な物です。
リュッカくんは美味しそうに焼菓子を食べています。
「それで、アル公爵様がどうしたんです?」
獣人の男の子がお菓子をバクバク食べているのは大変可愛いです。彼がゴシップネタ目当てに貴族のお屋敷に潜り込むやっかいな集金係とは思えません。
「このお屋敷を取り戻そうと裁判を起こすようです。嫌なら買い取らせろと」
「ほほう! お金に困ってるのによくやりますねぇ」
「そうなのですか?」
これは驚きです。アル公爵――ダリウス公爵は国の一大貴族です。王室にも繋がりがあり、広大な領地と資産を持っているのは私でも知っています。
アル公爵が先代から爵位を引き継いだときに資産と領地の管理も任されたはずです。
ランカスターさんを見ても頷いています。
「公爵が借金まみれなのは有名な話だよ」
「え」
「遊びと賭け事でツケが溜まっているようですし。 先代からもらい受けた領地もほったらかしで不作が続いたようですねぇ~。なんでも、肥料の買付の約束を反故にしたって揉めてるって有名な話ですよ」
「でも、国一番の公爵家ですよ? 立派なお屋敷をいくつも持ってますし、お金はあるのでは?」
「そりゃ資産はたんまりありますが、好き勝手するのはダリウス公爵様が存命中は難しいでしょうねぇ~。隠居したとはいえ、今でも力を持っている方ですから。放蕩息子には厳しいでしょう」
王宮の神殿では新聞を読む機会がなかったので、さっぱり知りませんでした。
神職のみなさんもゴシップ紙は読んだ方がいいのは間違いありません。
「アル侯爵はお父様とうまく行っていないのですか?」
2人は肩をすくめて顔を見合わせています。どうやら知らなかったのは私だけのようです。
「先代は元々剛腕で知られた傑物だからな。アル公爵の弟達3人は有能しっかり者で有名だし、あれが跡取りで後悔しているだろうよ」
「このお屋敷は、先代ダリウス公爵の生家ですから、お父様へのポイント稼ぎに思い出のお屋敷を取り戻したいって考えたんでしょうか」
「それはないだろう。先代はそこまで感傷的なお方じゃないと思うぜ。大事に思ってるんだったら、何十年もほったらかしにしないだろうし」
「確かに。じゃあわたしへの嫌がらせ?」
「君に嫌がらせしても一文の特にもならんぞ。弁護士もただじゃない」
「確かに……」
「で、公爵様からの買い取りの金額はいくらを提示されたんですぅ? ボクここら辺の地価詳しいんでお力になれるかもですよぅ~」
リュッカくんは上目遣いの猫なで声です。
「絶対教えるな」ランカスターさんはもう少し私を信用してもいいはずです。さすがに騙されません。
「このお屋敷を取り戻して、売っぱらって借金を返そうとしているのでしょうか」
「う~ん、足しにはなるでしょうなぁ」
「足し? 借金そんなにしているんですか?!」
信じられません。
婚約指輪も取り返すはずです。もうあの美しい指輪も売られているのかもしれません。ランカスターさんの言う通り、アル侯爵は本当のしみったれだったようです。
ふと、単純な疑問が湧いてきます。
「――アル公爵はなぜわたしに結婚を申し込んだのでしょう」
ランカスターさんとリュッカくんが顔を見合わせます。
「公爵なら、お金持ちのお嬢さんとの結婚を希望すれば引く手あまたのはずです。お金持ちと結婚すれば、公爵家の資産に手は出せずとも、相手の持参金を自由にできます。わたしは孤児ですし、貯蓄もないです。あの公爵が何も考えずわたしに求婚するのはおかしいのでは?」
「……」
モーニングルームに気まずげな沈黙が立ち込めました。
この沈黙は覚えがあります。私がなにか見当違いな事を言った時か、世間知らずの反応をしたときの周りの戸惑いです。いやな予感がします。
「なにか知っているのですね?」私は二人に睨みつけて言いました。
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