第9話 ヘッドハンティング
「引き抜きです!」
王立劇場の裏口、深夜の裏通りに私の声が響き渡りました。
と、いっても周りに人影はありません。観客は王立劇場支配人のランカスターさんただ一人。
ビシッと指を立てる仕草は、先程見た素晴らしい劇に影響されたといわれても仕方がありません。
「えーと、なに?」
ランカスターさんは訝しい表情で私を見つめています。ヤバい女と思われているのかもしれません。
「実はストリップ酒場を始めることにしまして」
「え!? はぁ? す……ストリップ――って……」
「裸の踊り子さんがそれはもう美しく踊ることです」
「んな事知ってるよ」
「でしたら話が早い」
ちょっとホッとしました。
「わたしは素人で、ストリップ酒場を立ち上げるのは初めてで、なにか足りないかすらわからない部分があります。だから、ランカスターさん」
グッと前に身を乗り出します。
「王立劇場支配人の力、わたしに貸していただけませんか」
ランカスターさんはため息をつきました。
「あのなぁ、聖女さん」随分とラフな言葉遣いですが、これが本来の彼の姿なのでしょう。率直な方のようです。
「婚約解消されて悲しいのはわかるけど、変な思いつきで先走んない方が身のためだぜ。馬車見つけてやっから、家帰れよ」率直な方は大好きです。
ランカスターさんが表通りに向かって歩き出しました。
もちろん、逃すつもりはありません。
私は彼の背中に向かって決めセリフを言いました。
「報酬は今の2倍お支払いします」
ランカスターさんの動きがピタリと止まり、考え込むように顎に手をやります。
「ふむ」
良い兆候です。
「悪い話しじゃないはずです。お話だけでも聞いていただけませんか?」
*
ランカスターさんと私は近くの酒場に入りました。踊り歌う馬亭という変わった名前の酒場です。
もう夜も更けてきたというのに、夜光亭に負けず劣らず繁盛しています。
「わたしがオーナーで、あなたが支配人です。働く方々の指揮を取っていただきます。といってもオープンまでの計画諸々を手伝っていただきたいのも大きいです」
「ふむ」
ランカスターさんは麦酒をジョッキで飲みながら黙々とチキンフリッターを食べています。
仕事あとだったので、お腹が減っているのでしょう。
私は劇場で軽食をお腹いっぱい食べてしまったので、ここでは温かい花茶を飲んでいます。
「それで、どんなストリップ酒場をやるんだ? 場所は?」
「わたしのお屋敷です」
「グハッっ」
ランカスターさんが盛大に吹き出します。
「ゲホッッ―――っんぁ、お屋敷ってあの婚約した時にもらったっていうアレ?」
「よくご存知ですね」
「仕事柄ゴシップ紙は片っ端から読んでるんでね」
「どちらかといえば、ゴージャスなストリップ酒場です。私の屋敷は上流階級の方々が多く住む一角にありますから、近所のみなさんがお客さんです。下町やこの酒場に通うお仕事を持ってる方々は仕事帰りに近くて美味しい酒場に行って楽しみます。馬車に乗ってまであの地区に飲みにきたりしません。馬車で移動する方々を狙っています」
「ふむ」ランカスターさんは真剣に聞いてくれているようでした。
劇場での真摯なまなざしを感じます。
「そりゃストリップ酒場というよりは、ストリップクラブだな」
「どう違うのですか?」
「同じだよ、貴族の連中は気取った名前をつけるもんだ」
ジョッキを飲み干します。
ふーと息をついてぼそりと言いました。
「面白そう。とは思う」
顔がほころぶのを止めることはできません。
「ちょっと待った。まだやるって言ったわけじゃねぇ。問題が山ほどありそうだ」
「その通りです」
ランカスターさんは思案顔でコツコツとテーブルを叩いています。
時間が長く感じます。
「なんで俺なんだ?」
「あなたが有能だからです」
ランカスターさんは首を振りました。
「開場の忙しい時に、ロビーのソファに座り込む貴族でもない女に時間を割ける方は貴重です。それに、わたしの支離滅裂な物言いに寄り添ってくれました。わたしの状況を汲み取ってすぐ席を用意してくれましたよね、それこそ敏腕の証拠でしょう。わたしの店ではそういった方を求めています。そして、わたしに対しての率直な物言いも気に入りました」
「君、お人好しって人から言われない?」
「言われますし、自覚はあります。でもそれが問題でしょうか?」
「んんん……」
ランカスターさんは手を上げて麦酒のおかわりを注文しました。
「1ヶ月手伝ってもいいと思っている。その後の事はまた考える。1年分の給与を12分割して払ってくれ」
「ありがとうございます!!!」
店中に響き渡る声でお礼をいいます。
「礼を言うのはまだ早い。早速で悪いんだけど、先払いで金を貸しくれ。手持ちがないし、今日泊まるところないんだ」
「お家がないのですか? 今までどこに住んでいたんですか?」
「劇場の機械室裏の物置」
「そこに戻ればいいのでは?」
「さっき劇場をクビにされた」
え。
ランカスターさんの足元に置かれた大きな荷物を見下ろします。
「追い出されたのですか?」
ランカスターさんは肩をすくめました。
ちょっと話が違ってきます
「なぜクビになったのですか」
「役者に手を出そうとした貴族を殴っちまってね」
私はにっこり微笑みました。話は違いませんでした。
「いい頃、悪い頃は順繰りにくるもんですから」
「だから、聖女さん。あんたは人がよすぎるよ。倍の給料チラつかせなくも、俺は新しい仕事に飛びついたんだぜ。滅多なこと言わない方がいい」
「約束はお守りします」
「公爵みたいじゃなく?」
ランカスターさんはニヤリと笑いました。
私も思わず吹き出してしまいます。お店中に私の笑い声が響きました。こんなに声を上げて笑ったは久しぶりな気がします。
「契約成立ですね」
夜も更けた踊り歌う馬亭の騒々しい店内の一角で、私達2人はしっかりと握手をしました。
「ジェイド・ランカスターだ」
「ルゥ・カレンセイです。よろしくお願いします」
「で、宿がないんだわ。悪いがちょいと前払いで頼む」
「宿の心配はありません」
ランカスターさんは不思議そうな顔で私を見ています。
私は胸をはって言いました。
「わたしの家に住めばいいのです。お金は取りませんよ。部屋はたくさんありますし」
「……おい、俺の言ったこと聞いてた? 人がよすぎるよって言ったよな?」
「約束はお守りします」
もちろん、私は公爵みたいじゃありません。
良い雇用主です。
*
朝方のもうあたりが明るくなってきた頃に、私とランカスターさんはお屋敷に戻りました。
ランカスターさんを使用人室に案内します。
私は自室に行くために階段を登ります。
「ちょっと待てや! なんで君が屋根裏に行く?!」
「屋根裏がわたしの部屋です」
ランカスターさんは信じられないモノを見る目で私を見つめています。
「元公爵邸だぞ! 主寝室あるだろ主寝室。なんで使用人でも住まない屋根裏で館の主が寝るんだよ」
「今は屋根裏がわたしの主寝室です。おやすみなさい」
流石に眠いので、議論はまた明日です。階段をスタスタ登ります。
「おやすみなさい。っておいっ鍵閉めろよ!」
遠くからランカスターさんの怒鳴り声が聞こえてきます。
「わかりました」
「後、知らないヤツを泊めるとか軽々しく言うなよ! 今度から俺を通せ!!」
「わかりました」
ベッドに倒れ込み、丸窓から差し込む朝日を気にすることなく眠りに落ちました。
まぁまぁの成果を上げた1日だったでしょう。
劇は素晴らしかったし、素晴らしい方を雇用できました。
一歩前進したのは間違いありません。
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