第5話 お隣の伯爵夫人

 親方さんに感謝の笑みを浮かべると、職人さんはワイワイ盛り上がり作業に戻っていきます。


「あらまぁ。良いものが見れたわ」


 声の元をたどると一人の貴婦人がまだ残っていました。

 私とそう歳も変わらないような御婦人でした。栗色の髪を高く結い、豪奢な織りの上品なすみれ色のドレスを身にまとう、まさに貴族です。

 扇でパタパタと顔を仰ぎつつ、狐のようなスッとした瞳は楽しそうに私を見つめています。


「お友達はお帰りしたようですよ」


 聞こえているのか聞こえていないふりをしているのか、御婦人はふふふと優雅に笑みを浮かべています。

「あら、わたくしはあなたにご挨拶しようと思って」優雅にカーテシーをしました。


「わたくしはノーフォーク伯爵エレニア・レグレス。2ブロック先に屋敷がありますの」


 礼儀正しく挨拶をされると、こちらも返さない訳わけにはいきません。

 礼儀作法は修道院でみっちり仕込まれたものの一つです。王宮仕込の完璧な聖女の挨拶を返しました。


「伯爵夫人、わたしにご用ですか?」

「あら、エレニアとお呼びになって。お隣同士でしょう」伯爵夫人はほほほと上品に笑い声を上げます。

 2ブロック先はお隣なのでしょうか?貴族の方々の考えはわかりません。


「公爵とサーシャ様を眺めにきたのでは?」


「わたくしはどちらかというと、屋敷の中に興味沁々ですの。公爵家の私邸には中々入る機会がありませんもの。なんでも素敵なシャンデリアがあるんですって?」ゆったりとした調子で言いながら、いつの間にか玄関ホールまで入りこんできます。


 しげしげと周りを眺めながら「あらあら~」と感嘆の声をあげていました。


 ここまで正々堂々と入られると追い返すわけにもいけません。

 それに彼女には悪意を感じませんでした。といっても、私の悪意感知機能がポンコツなのは、婚約破棄で散々で思い知らされています。


 私は伯爵夫人を応接間に案内しました。


「まだ改装中なのね」

 伯爵夫人は部屋中を見回しながらソファに座り、ゆったりと言いました。

 私には立派な応接間に見えますが、彼女の目にはなにが足りないのかわかっているようです。


「お茶も出せず申し訳ありません」と、いうよりまだお台所の場所も知りません。

 夫人はそんなことはいいのよ、とでも言うように優雅に扇子を振りました。


「このソファは年代物のとても良いものですね。変えないほうがよろしいでしょう」

 おっと、彼女は目利きのようです。さすが伯爵夫人です。


 伯爵夫人はしばらくキョロキョロと応接間を眺めた後、私の目を見てハッキリといいました。

 全てはお見通しよって顔でした。


「酒場を開くのですね。どんな酒場にするつもりなの?」


 ――――むむむ。


「ほらね、家は商売しているのよ。だから気になっちゃって」


「ご商売ですか?」

 ちょっと驚きました。

 基本的に貴族の方々は政治と領地の運営以外の仕事はしません。


「ええ、珍しいでしょう。主人は西の方と貿易をやっているの。商売だなんて低俗だって言う方々もいますけど、そんな事ないのは皆わかってますのよ。今日来たあの方たちも本当はあなたに嫉妬しているはずよ」


 嫉妬……そんなふうには見えませんでした。

 とはいえ、いやいや嘲笑っていたようでしたよ。とは言えません。


「ねぇ、それで。どういった酒場ですの?」


 ずいっと伯爵夫人が身を乗り出してきます。上品なスミレの香りが漂います。

 ハシバミ色の瞳が好奇心に輝いていました。


 う、嘘はつけません。これでもカルミナの誓いをした聖女です。


 ――――元聖女です。


 それに、彼女の言葉には有無を言わせぬ力があります。公爵からも感じるので、きっと貴族特有のものなのでしょう。


 それか、私が美しい女性に弱いのかどちらかです。


「実は……その……ストリップ酒場です」


 伯爵夫人はきょとんとしています。


「その……ストリップというのは」


「あらあら、わたしくを世間知らずのレディだと思っているんでしょ」


「う……えええ?」


 伯爵夫人はいたずらっ子のように眉を上げてクスクスと笑いました。


「わたしくね……見たことがあるのよ。ストリップ」


「え」


 私は心底びっくりして言葉を失いました。貴族の奥様が? ストリップを見た?


「数年前になるかしら、王立劇場の帰りにね。舞台がとっても退屈だったから、お忍びで主人と下町の酒場に行ってことがあるの」


「そ……それは夜光亭ですか?」


「どうだったかしら……。店名は覚えていないけれど、あんな騒々しいお店は初めてでビックリしたわ。主人は動じてなかったから、あの人何度か隠れて行ったことがあるのね」クスクスと笑います。


「そこで、見たのよ」


「―――ストリップ……を?」


 伯爵夫人は微笑んで頷きました。


「獣人の踊り子さんがとっても綺麗で幻想的で……あの娘たちって踊りがとっても上手なのね。ほら、王立劇場はヒューマスの踊り手しかいないでしょう。あれは絶対損失よね。退屈な劇のことなんて一瞬で忘れてしまったわ。見終わった後、なんだか力がみなぎるというか、身体が熱くなっちゃって」


 婦人はパタパタと扇子で顔を扇ぎました。スミレの香りが部屋中に広まります。


「そ……そうなんです! 元気になるのです」


「それをここでやろうというのね」


 こくんと頷きます。


「楽しそうじゃない」


 私の中のちょっとした不安を打ち消すように、夫人はにっこり微笑んで言いました。


「応援していますよ。自信を持って」


 胃のあたりにボワッと熱が灯り、身体が温かい感覚に包まれました。

 すみれの香りに酔ったように、私はぽかんとした顔をしているに違いありません。


「は……はい。ありがとうございます。伯爵夫人」


 なんとか言います。


「お隣さんですもの。エレニアとお呼びになって」


「エレニア夫人」


「完成したら招待してね」


「はい! お隣さんですから」


 エレニア夫人はほがらかな笑みを浮かべ優雅に去っていきました。


 神殿では友人たちがどこをどうするべきか話し合っています。

 お隣さんは優しい方でした。

 他の貴族の方々は商売を始める嫉妬しているようです。私に?

 公爵と婚約破棄して、聖女の立場もなくなった私に嫉妬だなんて、おかしな話です。


 心の底から力がみなぎってくるのを感じました。


 よーし、やるぞ。


「やるぞぉぉぉぉ!!!」


 玄関ホールの真ん中で、私は力いっぱい叫びました。もちろん両手を拳にして上げています。

 やる気は十分です。


 ただし、問題は山積みでした。

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