第4話 屋敷の主
「聖女様ぁ~いらっしゃいますか~? お届け物で~す」
開けっ放しの扉から、呑気な声が聞こえてきました。
竜人の郵便配達員の方でした。配達員を示す鹿撃ち帽からニョキッと曲がった角がはみ出しています。
王宮内の私室にある荷物を昨日まとめて箱詰めして配達をお願いしたのです。
受取書にサインをすると、玄関ホールには木箱だけが残されました。
3箱だけでした。
たったこれだけか……
田舎の修道院から王都に来た時は着替えと教本をカバン一つに詰め込んでやってきました。
それから10年。私物はたった3箱に増えただけでした。
少し気が滅入ります。
そして、新たな問題を1つ思い出しました。
箱を開け、書類の束をパラパラとめくると、それは出てきました。
封書です。
昨日、王宮の私室に整理で戻った際に見つけた手紙でした。ここ最近バタバタしていたので、届いていることを見逃していたものです。
高価な装飾紙の封筒と鷹と海獣の封蝋印はアル公爵からの手紙であることを示しています。
――――むむむむっ……。
視線に熱量があったら手紙は燃えていたでしょう。消印は婚約破棄を突きつけられた5日前。
昨日恐る恐る開けたので中身は知っています。
見たがっていたので手に入れた、との短いメッセージと共に王立劇場のチケットが入っています。どうやら公爵は5日前には婚約破棄を考えていなかったようです。
王立劇場は王都を代表する豪華な劇場で、上流階級の方々が楽しむ社交場でもあります。
王立劇場で観劇できるチャンスはめったにありません。もちろん行きたいです。ただし、社交界のど真ん中に婚約破棄直後に行くほど面の皮は厚くありません。
答えが書いてあるかのように手紙を睨みつけていると、門の方からざわめきが聞こえてました。
ゾロゾロと着飾った集団が前庭に入ってます。
あれは……
アル公爵!!
「? うぇぇぇ?? なっ……なんで?!」
突然の訪問にパニック発作をおこしかけます。
もう公式の場にでることもないでしょうし、王宮の私室も引き払いました、二度と会うことがないと思っていた相手です。
お付きの方でしょうか。男女の貴族らしい方を何人も引き連れています。
そしてアル公爵の隣りにいる女性は――
「へ……?」
見覚えのある女性です。たしか……――――黄昏の聖女サーシャ様でした。
私より3歳年下で、神秘的な黒髪が印象的な美しい女性です。
歳が近いのでお近づきになりたかったのですが、最近まで他の都市の神殿に配属されて話す機会のなかった方でした。
このままだと玄関ホールで鉢合わせです。
とはいえ逃げるわけにはいきません。私は息を大きく吸って、胸を張って外に出ました。
「なんだ? ルゥじゃないか。どうしてここに?」
私に気付いたアル公爵は少し驚いた様子で言います。
新緑を思わせる若草色の上着に、金色の飾り刺繍入りのクラヴァットを丹念に締めています。少しクセのあるブロンドの髪をゆったりと後ろでまとめている様子はとても淡麗です。
ただ、整った顔立ちに温かみは感じませんでした。
「わたしの家ですので」
私は精一杯言いました。やった! 口ごもったりしなかった。昨日よりは成長したようで少し嬉しくなります。
「今日引っ越したのです」
荷物は3つだけだけど。
「あら……あの方……暁の聖女様じゃないの……」
「婚約は破棄されたって……」
「どうして公爵邸にいらっしゃるの?」
貴族の方々のざわめきがクスクスという笑い声と一緒に聞こえてきます。
私は聞こえないふりをするしかありません。
「想定外だった」
公爵は呆れたように言いました。
サーシャ様は親しげに公爵の肩に触れました。耳元になにか囁いています。
どちらかといえば鈍い私もこれで気がづきました。パズルのピースがぱっちりハマった気分です。
そういうことですか。
「アル公爵、今はサーシャ様と親しいようですね」
「そうだ。彼女は先月天啓を受け取ってね。それも我が公爵家の未来についての天啓だ……。君とは大違いのようだよ」
アル侯爵はやさしくサーシャ様の手を取ると自分の腕にかけました。
「公爵家には相応しいのは誰だかはっきり気付いたんだ」
その割には5日前までは私と結婚する気満々だったようですが。
少し気持ちが落ち着きます。どうやら私の元婚約者はろくでなしだったようです。ミトの言うとおりでした。
「引っ越しそうそう悪いが、この屋敷も出ていってもらうことになるかな」
公爵は全く悪いと思っていない顔で微笑みながら言いました。
こういった表情は王宮で何度も見ています。貴族特有の優越感のある笑みです。
「安心したまえ。買い取るから」
まったくお話になりません。
「引き払うつもりはありません。もちろん、お売りもしません」
私はきっぱりいいました。
「このお屋敷は神聖な契約によってわたしがいただいたものですから」
「婚約は破棄されただろう」公爵は露骨にうろたえました。
「それは、ご自分の都合でしょう」
まわりの貴族の方々がざわめきが一層大きくなりました。どうやら思ってもみない物が見れて楽しいんでいるようです。
「……君一人で住むには広すぎるだろう。悪い提案ではないと思うが?」
「ご心配にはおよびません。わたしここで――――」
ここでストリップ酒場を開くと言ったら、彼はどんな顔をするでしょうか。きっと見ものでしょう。とはいえ、まだ宣言するのは早い気がします。
私は腰に手を当てて言いました。
「わたしここで――――ここで酒場を開く予定ですから!」
全員がぽかんとした顔で私を見ています。宣言したことで少し胸がスッとしました。
「さ……酒場?ここが……?!」
「たくさんのお客様を招いて楽しい時間を過ごしていただくのです」
「ふざけるな!! 公爵家に代々伝わる私邸だぞ! それをそんなものに!!」
「おうおうおう、そんなものってのはどんなもんですかねぇ」親方さんがぬっと登場すると、皆いっせいに一歩下がりました。熊だと思ったのかもしれません。
「なんだ君たちは」アル公爵が言います。
「下町のしがない大工だよ」
「親方さん、公爵はお帰りになるようです」
「おうっミト! 公爵様がお帰りだ! 案内してやんな」
「はい、オヤカタ!」
皆さん戸惑っている様子です。
ここはちょっとぐらい胸を張ってもいいでしょう。私は一歩踏み出すと、ビシッと玄関上の紋章を指さしました。
「お帰りください。屋敷の紋章が見えないのですか? ここはわたしの屋敷です!」
その時のアル公爵の顔は見ものでした。苦虫を噛み潰したように顔を歪めると足早に去っていきます。
取り巻きの貴族の方々は公爵を追いかけながら、ヒソヒソ話が盛り上がっているようです。最新のゴシップを間近に見れて満足しているのでしょう。
正直に白状すると、少しスッキリしました。
今日はいい日になりそうです。
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