第16話:怪異

 どうしてここをわざわざ選んでしまったのだろう。

 安全地帯ならば、もっと他にもあっただろうに。

 そう自らを叱責せざるを得ない状況に、藤平は深い溜息を吐いた。

 というのも、彼が訪れたその場所はマモルに呼び出されたあの廃墟であった。

 タツミとの激しい喧嘩の傷跡は、今も痛々しくそこに残されている。

 そして、何故ここに逃げてしまったのかが、藤平自身も実はよくわかっていなかった。

 理由をあえて述べるとすれば、それこそ無意識の内に、としか藤平には答える術がない。



「……これじゃあまるで、俺がアイツに誘導されたみたいだな」



 愚痴をいくらこぼしたところで、展開が好転するわけもなし。

 いずれにせよ、自分に与えられた猶予はもうそんなにないだろう。

 そうと察した藤平は、あえて廃墟に留まることを選択した。

 物は考えようである。

 あの化け物を仕留めるのに、狭い空間では思う存分戦えない。

 質が悪いことに、化け物には高い知能と擬態能力がある。

 人ごみに紛れ強襲されることを考慮すれば、逆に無人の場所が安全でもある。

 なによりもこの廃墟はなかなかの広さがあった。

 身体能力を武器とする藤平にとっては、正しくここは何かと都合がよかった。



「……でも、効くのか? こいつが」



 そう口にした藤平の視線の先には、一振りの太刀があった。

 ビジランテとして活動する以上、それなりの武器はやはり必要となってくる。

 そこで藤平が太刀を選んだのは、彼の出自が大きく関係している。

 あらゆる武術の中で、特に藤平が頭角を現したのは剣術であった。

 それこそ、彼の剣客としての腕前は自他共に最強と言わしめるほど。


 生きる時代こそ異なれば、彼ほどの男ならばきっと天下無双の剣豪となっていただろう――こう評価する者も少なくはなく、とりあえず天下無双には微塵にも興味のない藤平だったが、日々の修練は欠かさなかった。


 人間ならば、幾度となく斬った。

 本当にどうしても、そうせざるを得ない相手にのみ限定こそしてはいるものの。

 やっていることは結局、人斬りと大差はない。

 それに対して、藤平は特にこれといっておもんぱかる気持ちは一切ない。

 今回は人ではなく、怪物を相手にする。

 人に通じた技が、果たして怪物相手に通用するのか。

 これがゲームであればいざ知らず。

 現実ではどのような結果となるのか、完全に未知の領域である。

 さしもの藤平も、今回ばかりは己が勝つ姿をまるで想像できずにいた。

 とにもかくにも、再び相まみえた時はやるしかない。

 刀を柄にそっと触れる藤平は、不意に鳴った音に物身体をびくりと震わせる。



「――、先輩ぃ。やっぱ、自分のこと好きじゃないですか。ここをもう一度選んでくれるなんて、それってつまり自分とそういうことがしたかったからですよねぇ?」


「きやがったか……!」



 物陰より様子を伺う藤平の視線の先にいたのは、案の定マモルだった。

 怪物としての姿はなく、人としてのマモルがきょろきょろと周囲を一瞥する。

 いくら人の姿をしようとも、もはや手遅れだ。


 一度化け物だ、とこう認識してしまったからにはもう二度と、彼女を同じ人として藤平が見ることはない。


 だからこそ、これよりやることに対する罪悪感が彼の中で薄れたのも然り。

 あれはもはや人にあらず。化け物だ。

 化け物ならば人としてやるべきは、討伐……この二文字のみ。

 もっとも、藤平にマモルを討伐するだけの自信は皆無に等しかった。


 ある程度の経験と実績を誇る藤平と言えども、さしもの彼とて化け物退治は未経験である。


 それ故にどのように対処すればよいか、どうすれば安全かつ迅速に討伐できるのか。

 己が勝つ、その未来を藤平はまったくイメージできなかった。

 すべてにおいて未知数である以上、下手な行動は自身の命を危険に晒すも同じ。

 よって、藤平が狙うは奇襲である。

 迅速かつ的確に、それでいて静かに、確実に仕留める。

 そのための好機が訪れるのを見逃すまい、と藤平は限界まで目を開いた。

 何があろうと決してこの目は閉じない、とそう自らに固く誓って――。

 閉じるとすれば、それはすべてが片付いた時だろう。



「先輩~」


「――――」



 マモルが藤平に背を向けた時、彼の目は早速誓いを破ってしまう。

 好機であると脚に力を込めた、正にその時であった。

 この場にまたしても予期せぬ乱入者が藤平の前に現れたのである。

 あの時を再現するかの如く、顔馴染みであるその人物に藤平は驚愕の感情を浮かべた。

 どうしてまたお前がここに現れたのか。

 訝し気に見やる藤平に気付くことのない彼女らは、互いの敵を見据える。



「――、なんですか。また自分の邪魔をしにきたんですか」


「貴様はこのオレが直々に手を下さねば気が済まん……人の男に手を出すことがどれほど愚かしいことか。その身に刻んでやらねば……躾のなっていない狗には調教が必要だ」



 そう口にしたタツミの言霊に嘘偽りはない。


 その証拠に、彼女の身より発せられる闘気……もとい、殺気はかつてよりもよりすさまじい。


 ぎらぎらと輝く眼光は、対峙しただけで相手の戦意をたちまち消失させよう。

 同時に藤平は、タツミに対してこうも思う。

 あれは本当に自分の知っている幼馴染なのだろうか。


 彼女こそ、マモルのような人外なのではないだろうか――後者に至っては、藤平の完全な錯覚である。


 けれども、そう錯覚してしまうぐらいタツミの豹変っぷりには、さしもの藤平もひどく狼狽するのを禁じ得なかった。



「いい加減にしてくださいよ。先輩は、自分の先輩なんですけど」


「貴様こそ寝言は寝ていえ三下。貴様のような下郎に藤平は相応しくない。遠目から見守るぐらいは100歩譲って許してやる、がそれを越えようとするのならばもう容赦はしない」


「タ、タツミ……」


「――、まぁいい。一刻でも早く貴様を殺して藤平のところにいかなければ……あぁ、藤平、愛しい藤平! 待っていてくれ、すぐにこいつを殺して貴様のもとへいくからな」


「あ、あいつ――」



 いったい何をするつもりなのか。

 藤平がそう言葉を紡ごうとした、正にその時であった。

 タツミの肉体に起きた変化は、明らかに彼の常識を凌駕するものだった。

 突然変異――映画などでよく見る光景を、現実で藤平は目の当たりにしたのである。

 タツミの肉体が瞬く間に肥大化し、全身を銀色に燃え盛る体毛が包み込む。

 毛並みは大変よく触れればさぞ心地良いだろう。


 とは言え、全長がゆうに3m以上はあろう巨躯にドラゴンを彷彿とする頭部を持つ怪物を、撫でてみたいなどと思う酔狂な輩はこの世には一人としておるまい。



「お、おいおい嘘だろ……」



 藤平はぎょっと目を丸くした。


 長年ずっと付き合いのあった幼馴染が、実は怪物だった。


 この真実を知って驚愕せずにはっはっは、と笑い飛ばせる人間は頭のネジがどこか緩んでいる。


 そういう意味では、藤平の反応は取って至極当然と言えるだろう。

 とにもかくにも、幼馴染と後輩……二匹の怪物が廃屋を舞台に対峙した。

 両者共に禍々しい殺気を放ち、そして火蓋は突然切って落とされる。



「貴様はここで消えろ、三下。二度と蘇らぬ・・・・・・よう徹底的に潰してやる」


「先輩を自分のもとの思い込んでる憐れな獣こそ、消えるべきだ……!」



 二人の女が……怪物が真正面よりぶつかった。

 その光景は醜悪にして、それでいて凄烈で、大変おどろおどろしい。


 もはや人が介入できる余地は微塵もなく、故に藤平もただ目前の光景を静観するしかできない。


 もしも介入しようとすれば、それこそ自ら命を捨てに行くのも同じ。


 人間が台風などの自然災害に太刀打ちできないように、あれにもどうすることもできない。


 唯一、藤平ができることはこの戦いに決着がつくのを静かに見守る。ただそれだけだった。



「……本当に、なんなんだよ。これは……」



 藤平がもそりと口にして、ハッとした顔をする。

 幸いなことに、二匹の怪物は互いに集中している。

 今だったらもしかすると、逃げられるかもしれない。

 そう判断してからの藤平の行動は極めて迅速だった。

 出口へと一目散に走る。距離は数メートルと差ほど遠くない。

 十分に逃げられる、そのはずだったが藤平の考えは呆気なく根底より崩された。



「どこへいこうとしているのだ」


「――、ッ!」


「貴様はそこにいておけ。さもなくば、今のオレは貴様に乱暴しかねないぞ?」



 タツミの言葉がずしり、と藤平に重くのしかかる。

 言葉による重圧で行動を制する彼女に、藤平は素直に従うしかなかった。

 幼馴染であろうと容赦はしない。逆らえば本気で制止してくるだろう。

 命までは取られずとも、けれども五体満足ではきっといられまい。

 それだけは藤平としても、是が非でも回避せねばならなかった。


 好機ならばきっとまた、必ず訪れる。そうと信じて、藤平は険しい表情でタツミを見やった。



「――、これ以上は時間の無駄だな。早急に終わらせるとしよう」



 タツミの宣言したとおり、勝負は驚くほどあっという間についた。

 それまでの戦闘がまるで一種の演目だったかのように、ひどくあっさりと。

 一撃である。すでに身体能力の差は歴然で、徐々にマモルは劣勢を強いられていた。

 そこに無慈悲な一撃が、すべてを持っていった。

 マモル、だったものが地に四散している。

 肉片が飛び散り、原型のないその姿は無残の一言に尽きよう。

 思わず目を背けたくなる光景だが、藤平は何故か目を話せずにいた。

 わずかに残った、マモルの左半分の顔――その左目がぎょろりと動く。



「ま、まだあの状態で生きているのか……!?」


「……相変わらずの圧倒的暴力。人を殴る蹴ることにかけては、そっちが一番なんじゃないですか?」


「……まだ口を動かせるだけの元気はあるらしいな。有象無象にしては、なるほど。存外やる方だと見える」


「――、こんなことをしても無駄ですよ。自分達は、そういう存在なんです。何度殺されようと、何度身体が崩壊しようとも、また元に戻る。すべては、先輩のために……ね」


「……だが、それまでの時間で貴様よりも先にいくことができる。次に再開した時、せいぜい悔しがって遠目から見ているといい」



 その言葉を最後に、タツミがマモルの顔面を踏み潰した。

 ぐしゃり、と肉と骨を潰す音は実に不快極まりない。

 辺りに濃厚な鉄の香りが漂う中で、藤平はタツミをジッと見据えた。

 この時すでにタツミは怪物としてではなく、彼が良く知る姿に戻っていた。

 とは言え、たった今まで激しく殺し合っていたばかりだ。

 付け加えて、慈悲の欠片さえもない。冷酷無比な言動はもうどうあっても覆せない。


 もはや今までどおり接することは不可能で、あからさまに敵意を剥く藤平を視やるタツミの視線はどこか悲し気だ。



「……貴様がなにを言わんとしているのか、それがわからないほどオレも愚かじゃない。言いたいことはわかるさ、だけどな――貴様に対する、この想いだけは嘘偽りのない本物なんだ」


「…………」


「藤平……そうか。手荒は真似はしたくなかったが、致し方ない」



 藤平が憶えたのは、腹部に走る強烈な衝撃だった。

 見やれば彼の腹部には、タツミの拳が深々と刺さっている。



「が……」


「許せ、藤平……だが。俺が必ずお前を幸せにしてやる」



 急速に意識が薄れていく中で、タツミのその言葉を最後に藤平は意識を手放した。

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