第15話:招かれざる来客……

 どうやら誰かがきたらしい。

 こんな時間に誰だろうか、と藤平ははて、と小首をひねる。

 ありえないことではあるが、彼女がサプライズできてくれたのではないか。

 淡い期待を抱いた藤平だったが、来訪者の顔を見た途端たちまち表情を険しくさせた。

 覗き穴の向こうにいる人物は、彼の愛する恋人ではなかった。

 かと言って、まったく知らない人物というわけでもない。

 つい最近再会……もとい、遭遇したばかりの後輩の顔を忘れるはずもなし。

 だが、何故彼女がここにいるのか。

 それ以前に、何故この場所を知っているのか。

 藤平は息を殺し、ジッと覗き穴を凝視した。

 扉一枚のすぐ先には、マモルがうろうろと周囲を一瞥している。

 そして、反応がないと理解するや否や再度インターホンを押した。



「せんぱぁ~い! いるんですよねぇ? いるのはわかってるんですよぉ?」


「なんでこいつが……!」


「先輩~かわいいあなたの後輩が会いに来ましたよ~? ねぇここを開けてくださいよ~」


「……とりあえず、あいつがどこかに行くまで居留守を使うか」



 居留守を決める藤平と、外でずっと彼を呼び続けるマモル。

 完全な近所迷惑なのは言うまでもなく。


 藤平も、この騒ぎを聞いた誰かが通報するとそんな淡い期待を心のどこかで抱いていた。


 現実は、何も起きない。


 すでに10分以上の時間が経過するのに、マモルは依然としてそこにいる。

 警察が来る様子もなければ、近隣住民が苦情を言いにくる兆しさえもない。

 今日に限って、どうして誰も来ない。

 不安がどんどん胸中で膨らんでいく中で、その音はより加速させる。

 どんどんと激しく扉が叩かれた。

 もちろん、音の発生源はマモル以外に誰もいない。

 ドアスコープの先にいる彼女は、さながら鬼のようであった。

 あどけなさが残るも端正な顔立ちはおどろおどろしい。

 しかし、頬を紅潮させた笑みは妖艶でもあった。



「先輩~? そんなにいじわるしないでくださいよ~! ここ開けてくださいよ~」


「こ、こいつ……! こんな気が狂った奴が後輩だったとか信じられないんだが……!」



 ドアスコープに張り付いたままの藤平はハッとした。

 左腕には包帯がぐるぐると巻かれていた。

 中二病を患った者ならばともかく、彼女のそれはれっきとした負傷である。

 それも相当な重症なのは、素人目ながらも容易に診断ができてしまうほどに。

 問題は、それだけのダメージを受けながらさも平然とするマモルにある。

 包帯だけというのも、適切な処置とはとてもでないが言えない。



「先輩? いい加減開けてくれないのなら、もう無理矢理ここ開けちゃいますねぇ?」


「……まずい!」



 それは咄嗟の判断だった。

 藤平が後方へ飛び退いたよりわずかに遅れてのことだ。

 しっかりと施錠され、外敵からの侵入を防ぐ扉が呆気なく破壊された。

 めきり、と鉄が強引にへしゃげた音を鳴らすと共に扉が瞬く間に歪に変形していく。

 重機でも用いたのであれば、それも不可能ではないだろう。

 だが生憎と、この場にそれらしきものは一切ない。

 マモルは、それを自らの手で遂行したのであった。

 もっとも、彼女の手はおよそ人のそれと言えるものではなかった。

 有体に言うなれば、その右手は異形……この一言がなによりもしっくりとこよう。

 浅葱色に変色した肌に、指はまるで丸太のように太い。

 伴って彼女自身の腕もそのサイズに合わせて肥大化していた。



「……は?」



 これは、なにか夢でも見ているのだろうか。

 藤平がこのように錯覚してしまうのも、無理もない話である。

 彼の目前で起きているのは、非現実極まりない事象であるのだから。

 呆然とする藤平の前に、マモルがスッと姿を現す。

 辛うじて原形を保ってこそいるが、もはや美少女だった頃の彼女はどこにもいない。


 魔物、モンスター、妖怪、怪異……ありとあらゆる呼称があるが、いずれも等しく怪物であることにはなんら変わりなし。


 マモル、だったものがにしゃりと不敵に笑った。


 相変わらず、その頬はほんのりと赤らんだままである。



「こんにちは先輩。なぁんだ、やっぱりいるのにいじわるしてたんですね。先輩って意外とおちゃめなところありますよね」


「なっ……なっ……」


「何をそんなに驚いでいるんですか? そんなに自分、先輩をびっくりさせることしましたっけ?」



 あくまでも白々しい態度を振る舞うマモルに、藤平は愕然としたまま凝視する。

 これまでにも数多くの犯罪者と相対した。

 知能犯はもちろんだが、いずれも多かったのは理性なき獣のような輩ばかりである。

 自制心なく、本能がままに破壊する彼らこそ正しく怪物だ。

 しかし現在、藤平の目前にいるのは本物の怪物である。

 藤平の相手はあくまでも、怪物というなの人間である。

 本物の怪物を相手にどう対処すればよいのか、彼がわかるはずもなし。

 結果、狼狽することしかできない藤平に、マモルが静かに口火を切った。

 醜悪な見た目とは裏腹に、彼女の口より紡がれるその言葉はひどく優しい。



「もしかして、あぁ……先輩は何も知らないんですね。まぁ無理もないですよね。先輩はあくまでも所持者・・・でしかないんですし」


「しょ、所持者……? お前は、何を言ってるんだ……!?」


「まぁまぁ、細かいことはいいじゃないですか。知ったところで何かが変化するわけでもないですし、それに……自分としてはこうして先輩と愛し合えるからいいんですけど」



 巨大な腕がずしり、と藤平に重くのしかかる。

 言動こそ少女のそれでも、肉体は人間と同等ではない。

 藤平も膂力りょりょくには自信のある方だが、それが一切通用しない。


 いくら彼が全身全霊ありったけを両腕に込めようとも、マモルの拘束はビクともしなかった。



「えへへ……必死にもがいてる先輩かわい。大丈夫ですよ先輩、自分もはじめてですけど、でも気持ちよくする熱意と愛はたっぷりとありますから」


「ぐっ……こンの!!」


「おっ……」



 藤平は持てる力すべてをもって、マモルの手を押しのけた。

 それはほんの一瞬のことだった。

 しかし、その一瞬でも藤平にとっては十分すぎる。

 素早く脱出した藤平は、家の奥へと逃げる。

 当然、そちらに逃げ場はない。

 むしろ彼の行動は自ら窮地に追いやったも同じである。

 もっともそれは、なんの術もない一般人であったならばの話だが。

 こういった事態も藤平はすでに想定し、対応策をいくつも用意している。

 今回脱出に用いたのは窓である。

 藤平は窓から飛び出した。

 扉に代わる出入り口ならば、確かに窓も該当しよう。

 もっとも、彼の場合は自殺行為以外のなにものでもない。

 最上階からのダイブ。生存する見込みは皆無と断言してよい。

 よって彼の行為は自殺以外のなにものでもなく。

 されど、藤平の目には欠片ほどの迷いもなかった。

 まっすぐと先を見据える瞳はとても力強い輝きを宿している。



「まったく、こんなことになるなんて普通思わないよなぁ!」



 愚痴をこぼしつつ、下の階層へと降りる。

 人様のベランダに勝手に降りたのだ。

 如何なる理由がそこにあろうと、やっていることは不法侵入も同じ。

 案の定、たまたまそこにいた住人の顔は、ひどく驚愕に歪んでいた。

 すいません、と両手を合わせ謝罪の意を伝えながら藤平は次の階へと降りる。

 もちろん、この時でも中には一切入らず。外からどんどんと地上を目指し降り続けた。


 そんな彼をたまたま、ばっちりと居合わせてしまった住人らの反応はそろいもそろって驚愕だった。


 彼らからすれば、突然ベランダに人が下りてきたのだ。

 これに驚かず豪快にはっはっは、と笑える方が少ないというもの。

 そうこうしている間に、藤平は地上へと無事到着した。

 マモルの姿は、周辺には影も形もない。



「と、とりあえず逃げるか……」



 この時の藤平にいく当てなどどこにもなく。


 とにもかくにも、安全な場所へ避難することだけを念頭に置いて、藤平はその場から急ぎ後にした。

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