第13話:ウホ、いい優男

 藤平の現在の気分は、一言で表すならば――最悪。この表現がなによりも相応しいだろう。


 その証拠に、彼の周囲の空間はまるで薄墨を巻いたかのごとくひどくどんよりとしていた。


 たまたま、道すがらすれ違った者も何事かと藤平を訝し気に見やる。


 当然ながら、何故彼がこうも落ち込んでいるのか。それを周りが知る由もない。


 唯一わかっている当の本人は、かれこれ20回目となる大きな溜息を盛大にもらした。



「はぁ……本当になんなんだよ、いったい……」



 あれほど楽しみにしていたデートが、突然中止となった。

 曰く、会社の都合でどうしてもだめになってしまったらしい。

 藤平からすれば、年甲斐もなく心から楽しみにしていたデートが中止になったのだ。

 これに落ち込まないわけがなく、かと言ってもうお互いに社会人である。

 我を通すわがままな幼子ではないのだから、さしもの藤平も空気を読んだ。

 デートだったらまた、次回にすればいい。

 そう自らに言い聞かせても、やはり完璧に納得できないのは人としての性か。


 次こそはデートができることを切に祈りつつ、町中を徘徊する藤平にその人物はひょっこりと姿を現した。



「こんにちは、重倉藤平しげくらとうへいくん」


「……アンタは誰だ?」


「僕かい? 僕は……そうだな。正義の味方、とでも言っておこうかな」


「はぁ……?」



 突然、自らを正義の味方と名乗った男に藤平が向ける視線は鋭い。

 一見すると彼は、どこか普通ではない雰囲気をひしひしとかもし出している。


 ワイシャツに黒のズボンと、外見だけならばどこにもでもいるサラリーマンにしか見えない。


 強いて印象深い部分を指摘するならば、それは顔に張り付けた笑みだろう。

 確かに、この優男と呼ぶに相応しい男の顔はなかなか整っている。

 女性ならば一度は必ず、彼を見やるだろう。

 しかし、その端正な顔に張り付いた笑みは実にわざとらしい。

 心の底からこの男は微塵も笑ってなどいない。

 まるで仮面のようではないか、と藤平はすこぶる本気でそう思った。



「……それで、どうして俺の名前を知ってるんだ? どこかで会った記憶もないんだが?」


「それは、うん。そうだろうね。今日はお互いにとってはじめましてだよ」


「……アンタは、男でいいんだよな?」


「もちろんそうだよ。どうして?」


「いや、いい。ここ最近妙な出来事が立て続けに起きていてな……」



 男に敵意は微塵もなかった。

 それは言動一つを見やれば、一目瞭然である。


 仮に男に敵意があったとしても、藤平にはこの状況をどうこうできる。それだけの自信があった。


 男の身体はすらりとして細身だ。モデルならばさぞ人気が出るだろう、が戦いの面に関しては不相応と言えよう。


 姿勢一つにしても、隙だらけでまるで覇気がない。

 だが、得体の知れない不気味さだけは警戒すべきだろう。


 鋭い眼光を飛ばす藤平に対し、男は相変わらず笑みを浮かべたまま一片も崩す気配すらない。



「――、それで? 俺に話しかけてきたということは、それなりに用があるんだろう? 用件はなんだ?」


 藤平は早速、本題へと入った。

 男とは初対面であるし、わざわざ律義に応対する義理も責務も藤平にはない。

 とはいえ、無視をしてもきっとこの男は絡んでくるだろう。

 これに確固たる証拠はなく、強いて言うのであれば勘だった。



「……なるほど。とりあえずこちらとしては、君と冷静に話をすることができて助かった。もしここで暴れられたりしたら、さすがの僕じゃ君をどうこうすることはできないからね」


「当然だろう」



 さも平然と口にした藤平に、ようやく男の表情にわずかばかりの変化が生じた。

 笑みは相変わらずのままだが、頬の筋肉が微妙にひくりと釣りあがっている。



「……ずいぶんとはっきり言ってくれるね」


「こっちはありのままを言ってるだけだからな」


「……まぁいいか。それじゃあ早速本題に――と、言いたいところだけど。今はまだその時じゃないからいいかな」


「はぁ? おいもったいぶるなよ。さっさと話せ」


「こちらとしても、早く話したいんだけどね……どうやら、タイミングが悪いみたいだからさ」


「…………」



 意味深な言葉を述べた男は、やはり表情に変化はない。

 一見すると、誰しもがそう誤認するだろうが藤平は違った。

 ほんのわずかな違いだが、彼はしかとその目に男の変化を捉えていた。

 男の視線はある方角をじっと捉え、その瞳に宿る色も警戒と穏やかではない。

 藤平もそれに釣られて視線をそっと動かした。



「…………」



 視線の先には、特にこれと言った変化はない。

 もう何度も目にして慣れてしまった光景がすぐそこにあるのみ。

 警戒するに値する要素は皆無だが、男の視線は依然として鋭いままだ。

 いったい、彼は何を見て警戒しているのだろう。

 一抹の不安を胸に、藤平は視線を再び男に戻した。

 相変わらず、男が警戒する何かの正体はわからぬまま。

 しかし、視線の先に何かがいるのは明白である。

 ならばここはあえて、その何かに気取られぬよう知らないフリをした。



「……わかった。それじゃあまぁ、目途がついたら俺に話しかけてくれ」


「あぁ、そうさせてもらうとしよう――でも、意外だな」


「何がだ?」


「いや、もっと警告されるばかりだと思っていたからね。それにまた、僕の話を聞いてくれようとしてくれている。こっちとしては驚きだし、大助かりなんだ」


「……正直に言って、俺はアンタのことをそこまで信用していない。今日出会ったばかりなのはもちろんだが……でも、そこまで真剣な目をした男の話だ。ちょっとだけ気になっただけだ」


「なるほど。それでもいいさ――それじゃあ、また」



 すたすたと軽い足取りで去っていく男の後姿を見送って、藤平も遅れて歩を進める。



「――、結局……あいつは何者だったんだ?」



 多くの謎を残したまま、藤平は帰路に着いた。

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