第12話:二度あることは三度ある

 やぁ、とその人物の口調はとても軽快なものだった。

 その人物をジッと見やる藤平の表情は、お世辞にも穏やかとは言い難い。

 むしろ、彼に対してひどく警戒すらしていた。

 何故ここにいるのか。

 そして、例外にもれることなくお前もなのか。


 二度あることは三度ある――それが今正に、現実と化そうとしているから、どうしても藤平は身構えてしまう。


 一方で、その人物はというと不可思議そうな顔をしてきょとんとしていた。

 仕草だけならば、かわいらしい外見の彼だ。大変女性受けがよいことだろう。

 もっとも同性にとっては、外見にものを言わせただけで鬱陶しいこと極まりない。

 モテない男子の嫉妬と揶揄されて心に傷うまでがデフォルトだが……。


 それはさておき。



「――、普段店の中にこもってるお前が、いったいどういう風の吹き回しだ?」


「いやだな、それじゃあボクが年がら年中引きこもり生活をしているみたいじゃないか」


「いや、実際にそうだっただろ……」



 そう口にした藤平は心底呆れた顔だった。

 というのも、幼少期のトモエはアスカとは違った意味でこれという友人がいなかった。


 たまにふらりと学校にやってきても、誰かと話すわけでもなく。


 わいわいと他愛もない会話で賑わう教室の片隅で、いつもトモエは窓の向こうをぼんやりと眺める。


 言葉悪くして言えば、藤平はこれほど根暗で物静かな奴を見たことがなかった。


 すこぶる本気で彼がそう思ってしまうぐらい、かつてのトモエは物静かな少年だった。



「――、まぁでも仕方ないだろ、お前の場合は。じいちゃんの店の跡継ぎっていう大事な役目もあったんだし」


「まぁね。でも、ボク自身も友達とかほしくなかったし。それに学校に行って勉強したって、家で勉強したって、結局のところ何も変わらないって思ってたからさ」


「あぁ、確かそんなこと言ってたな。でも、そんなお前を何かと学校にこいって俺は誘ってたっけか?」


「そうそう。今でもはっきりと覚えてるよ――学校にいくとな、うまい給食が食えるんだぞって。もっと上手な誘い方はなかったのかい?」


「あ、お前そういうこというか? 学校の給食、実際うまかっただろ!」


「それについては、うん。否定するつもりはないよ」


「ほれみろ」



 会話を交えていく中で、藤平の胸中にあった警戒心も若干薄れつつあった。

 あくまでも薄れただけで、トモエに対して完全に気を許したわけではない。

 いつまた、彼女らのように暴走するか。

 その可能性が皆無とならない限り、藤平がトモエに普通に接することは断じてない。



「――、それじゃあ俺はそろそろ行くわ。お前も寄り道せずに気を付けて帰れよ~」


「もういっちゃうの? あの二人には、そんなことなかったのに」 


「……何で知ってるんだよ」



 一度は薄れた警戒心が、瞬く間に藤平の中で増大した。

 口調こそ普段となんら変化はないのに、彼を見やる目である。

 ジッと見つめる瞳には、どろりとして熱い輝きが奥底に宿っていた。


 それは嫉妬ではなく、どちらかと言えば執着心のような――。


 彼――否、きっと彼女も・・・だろう。トモエも同類だったらしい。


 いずれにせよ、こうなってしまう前に離脱したかった藤平は大きな溜息を吐いた。



「ボクは君のことだったらなんだってお見通しだよ。ボクが君のことで知らないことがあるなんて、それこそありえないよ」


「いや、それは普通に怖いしさすがに引くぞ。どうせ嘘を吐くのなら、もっとマシな嘘を吐けよ……」


「嘘じゃないよ? 例えば小学校6年生の時、隣の席にいた――」


「よしわかった。それ以上は絶対に口を開くなトモエ」


「あ、そう? それじゃあ素直に認めてもらったってことでいいかな?」


「あぁ、もう。それでいい、それでいいから!」


「ふふっ、藤平は本当に面白いね――だからなんだ。恋人ができたのが許せないのは」



 ぞくり、と全身の肌が粟立った。

 トモエの表情は依然として同じまま、優しい笑みをそこに張り付けている。


 ただし、彼女の小柄な体躯より発せられる気は、先に遭遇した二人よりもはるかずっと禍々しいものだった。


 これは、殺気だ。刃物のように鋭利でいて、マグマのように熱くどろりとしている。

 とうとう彼の恐れていた事態へと発展し、藤平は踵を素早く返す。

 するべきことなど、この場においては一つしかあるまい。

 逃走である。それも過去一最大の全力疾走で。



「触らぬ神に祟りなしってな! もう遅いような気もするけど!」


「ひどいなぁ藤平は。ボクのこと、まるで禍神まがつかみのように言うじゃないか」


「はぁっ!?」



 それは藤平にはありえない光景だった。

 トモエは、引きこもり生活が多いため体力においては下の下である。

 それは体育の授業で幾度となく目撃している藤平が、一番よく知っている。

 そもそもトモエは体育の時間になると、いつも見学ばかりしていた。


 元々が虚弱体質であるから、と前もって許可を得ているが実際はまるで違う。

 単純にトモエは、運動するのが極めて苦手で大嫌いな幼馴染だった。

 それ故に身体能力ならば絶対に負けない。藤平がこう思うのは至極当然だと言えよう。

 現実は、彼のその考えを根底から破壊した。



「どうしてそんなに驚いてるんだい? ボクが、体育が苦手なのに君とこうして並走しているからかな?」


「はっ? う、嘘だろ……!」


「ところが残念。紛れもない現実だよ」


「くっ……!」


「ほらね」



 余裕たっぷりのトモエとは裏腹に、藤平はその顔にひどく驚愕の感情いろを浮かばせた。


 結局、藤平は逃げることを諦めた。

 このまま逃げたところで平行線なのは容易に想像ができる。

 そればかりではなく、体力においても差が明確化された。

 全力疾走だった藤平は、その頬にじんわりと汗を滲ませている。


 一方でトモエはまったく疲労の色をまるで感じさせない。

 まだまだ余裕なトモエを見やる藤平の目は、ひどく怪訝なものだった。

 何故それだけの才を今まで隠していたのだ、と――。



「……俺を、どうするつもりだ?」


「どうって……もしかして藤平。ボクが君を食べるとか、そんなことを思ってるのかい?」


「食べるはさすがに、な。でも、ロクでもないことをするんじゃないかとはド真剣に思ってる」


「それはいくらなんでも心外だよ。ボクは君が好きだし、傷付けるなんてしないよ――でも、彼女さんとは別れてほしいかな。そうじゃないとボク、どうにかなっちゃいそうだから」


「――、それを聞かされて俺が素直にはいっていうと思うか?」


「ううん、思ってないよ。だから、証明する」


「証明?」



 トモエの言葉に藤平ははて、と小首をひねった。

 いったいなにを証明するつもりなのだろうか。

 それについては、本人が語るまではわからない。

 いずれにせよ、それはきっとロクでもないことだ。

 さしもの藤平も、それぐらいは容易に想像がついた。

 彼が尋ねるよりも先に、トモエが口火を切った。

 両手を頬にそっと添える彼女の顔は、とても恍惚としたものだった。



「ボクの方がどれだけ藤平を愛しているか、証明するんだ。後からパッとやってきた恋人が、如何に自分が浅はかで愚かなそ存在だってわかるぐらい」


「お、お前……!」


「あぁ……楽しみだなぁ。その恋人が、目の前でボクが藤平を愛しているのを見て絶望する顔が。ふふっ、ふふふっ……」



 口角からは涎が垂れ、乱れた吐息はひどく熱い。

 第三者からすれば、さぞ性的魅力のある美しい少女として映ったことだろう。

 藤平の瞳には、獣のようにしか映らなかった。

 それも知性がいたずらにある分だけ、余計に質が悪い。



「――、というわけだからさ、藤平。今からボクの家にいこうよ。藤平が望むことだったら、ボクがなんだってしてあげるからさ。欲しいものがあったらなんだって買ってあげる。気に入らない奴がいるんだったら、ボクが消してあげるからさ……ね?」


「……悪いけど、間に合ってるから遠慮しておく!」



 次の瞬間、小さな炸裂音が反響した。

 伴って、周囲一帯を大量の煙がもくもくと流れる。

 藤平が地面にたたきつけたそれは、緊急脱出用の煙幕だった。

 どうしても劣勢を覆せない場合、時には逃げることも必要となってくる。

 もっとも、藤平自身もよもやこのような形で用いるとは夢にも思っていなかった。

 それだけ、トモエが強大な敵として認識したからに他ならなかった。



「げほっ! げほっ……え、煙幕!? どうしてこんなもの持ってるのさ……!」


「備えあれば憂いなしって言うだろ! じゃあな!」



 煙幕に乗じて、藤平はその場からの逃走を図った。

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