第11話:幼馴染にも衣裳って……コト!?

 商店街は、相変わらずの賑わいようである。

 わいわいと活気に満ちた光景は、それだけで藤平の心に平穏を取り戻させる。

 さっきの殺伐とした出来事が嘘であったかのように。

 今はこの喧騒が、とても心地良い。


 行く当てもなくふらりと、何気なく立ち寄った喫茶店で藤平は疲弊した肉体を癒すことにした。


 利用客は、時間帯もあってかまばらで、心地良い静寂が店内を支配する。

 それを気に留めることもなく、藤平は陣取ったテーブルにて息をそっと吐いた。

 注文したコーヒーを待つ中で、一人の客が喫茶店にやってきた。



「――、どちらさまで?」



 藤平がそう尋ねたのは、目前にいるその客にまるで身に覚えがないから。

 とてもかわいらしい女性だ。サングラスをしているが、全体的な評価はとても高い。

 胸も、そこそこある。


 しかしながら、まったく面識がないことに加えて、たくさん空席がある中でわざわざ相席をしてきた。


 不可解極まりない行動をする女性に、藤平が警戒するのも致し方ないことである。

 とりあえず、まずは情報収集をするべきだろう。藤平は何故か、そう思った。



「……ふゥん? 衣装を変えるだけでこうも気付かないなんて、これは驚きだねェ」


「なっ……」


 不敵に笑うその女性に、藤平は目をぎょっと丸くする。

 彼女の発したその声に、ひどく聞き覚えがあった。

 むしろ忘れる方が天文学的確率でありえない。

 だからこそ、目前にいるのが来栖アスカという事実が藤平は信じられなかった。



「お、お前……アスカ、なのか?」


「そうだとも。まさか君は幼馴染のことを忘れてしまったのかい?」


「い、いやでも……まさか、アスカもなのか?」


「……ちょっと待ちたまえよ。アスカ“も”、というのはどういうことだい?」


「…………」



 藤平の脳裏には、未ださっきの光景が鮮明にあった。


 幼馴染からの突然すぎるカミングアウトに加え、そこからまさかの告白は困惑を極める。


 さっきの光景は、あれは実は白昼夢だったのではないだろうか。

 だからこれも夢の続きなのではないだろうか。

 そう判断してから取った藤平の行動は、ひどく古典的なものである。

 己の頬を強くぎゅうっと抓った。

 夢であるか否かは、これではっきりとわかる。


 結果は――



「……痛い」



 頬にじんじんと帯びる熱と鈍痛に、藤平は小さな溜息を吐いた。


 痛覚が正常に稼働しているということはすなわち、これは現実であるということ。


 そして何故、幼馴染が突然女装をしてきたか。

 これについても藤平は、思い当たる節がわずかなりにある。

 気のせいであってほしい、とそう心から切に祈る藤平はおずおずと口火を切った。



「あ~、そのだな。アスカ……とりあえず、その恰好はどうした?」


「おやおや、私がおしゃれをしたって別に問題ないと思うけどねェ。それに、この恰好がそんなに珍しいのかい?」


「そりゃあ……な」



 藤平の記憶にあるのは、いつも決まってボーイッシュなアスカだった。

 どんな衣服であろうと、この幼馴染はなんだって見事に着こなす。


 対して自分が同じようにすれば、誰しもが馬子にも衣裳だ、とこう口を揃えるだろう。


 心底悔しいし認めたくはない、がアスカは間違いなくイケメンだ。


 そうした認識と記憶があるだけに、藤平は女装した幼馴染の姿がひどく新鮮だった。

 かわいい、と思わずこう思ってしまうぐらいに……。



「まぁ、君が目にしてきたのはずっと男装した私だったんだ。違和感を憶えてしまうのも無理もないっていったところかな」


「……なぁ、アスカ。やっぱりお前も、その……そうなのか・・・・・?」


「……君の口ぶりから察するに、どうやら先に自分が女であると告げた人がいるみたいだねェ。まったく、この私よりも先に言うとは少々腹立たしいが、まァそれはいい。遅かれ早かれ、こうなる運命だったのだから」


「……どうして、いきなり俺にそのことを?」


「どうして? どうしてだって? 君がそれを言うのかい?」



 そう発したアスカの言霊には、若干の怒りと苛立ちが宿っていた。

 そうと気付いた藤平だからこそ、アスカの突然の怒りにひどく困惑する。

 彼……もとい、彼女はいきなり何を怒っているのだろう。

 うんうんと唸る藤平に、アスカからの返答は深い溜息だった。



「……君は昔から人の気も知らないというか、それでいてその気にさせるというか。天然の女たらしだねェ」


「はぁ? 俺がいつそんなことやったって言うんだよ」


「それがわからないから、天然たらしだと言っているんだよ私は――まぁ、それが君のいいところでもあるんだけどね」



 納得したような、それでいて呆れたような顔をするアスカ。

 一方で藤平はやや不服そうな顔を彼女に返す。

 女たらしができるほど、そもそもまずモテた記憶が藤平にはまったくない。

 その点、アスカの人気っぷりは凄まじいの一言に尽きる。


 雲泥の差をいつもひけらかされた藤平にとって、アスカの言葉は単なる嫌味にしか聞こえない。


 女だろうと、やっぱりこの幼馴染は嫌なやつだ。

 すこぶる本気でそう思う藤平に、アスカは口火を静かに切った。

 彼女の頬はほんのりと紅潮している。

 また、あの顔だ。藤平はマモルの存在を、ふと脳裏によぎらせた。



「……なぁ藤平。君は、私が随分と昔にイジメられていたことは憶えているだろう?」


「それは……まぁ、な」



 幼少期のアスカは、よくイジメられていた。

 これについては嘘偽りや脚色は一切ない。

 なによりも藤平自身が、そうした光景に幾度となく立ち会っている。

 イジメの切っ掛け、などというものは実にいい加減すぎるものだ。


 やれ気に入らない、やれ見た目が自分達と違う……たったこれだけで、軽度なものが凄烈にして悲惨なものへと生ずるのだから、人とはなんと業の深い存在なのだろう。


 とにもかくにも、幼少期からアスカがずっとイジメの対象にされてきたのを、幼馴染である藤平はよく知っている。



「あの頃は本当に悲惨だったからねェ。子供ながらに、もう死にたいと何度思ったことか」


「だけど、俺が全員等しくぶっ飛ばしたんだったよな」


「そうそう。イジメをするヤツは最低だ! って、そう言って自分のボコボコにやられてるのに必死にやり返して……あの時の君の顔は、今なら傑作の一言に尽きるよ」


「おい、こっちは必死に戦ったのにそんなこというか?」


「ふふふっ……あぁ、すまないね。つい」



 クスクスの笑う姿を、藤平はジッと見つめる。

 こんなにも、この幼馴染にはかわいい一面があったらしい。

 ずっとイケメン男子としてばかり思っていたがために、本来の魅力に気付けなかった。

 女性としての顔を露にしたアスカは、とてもかわいらしい。

 もっとも藤平が抱いた感情はたったそれだけである。

 確かにかわいいのだが、自分にはもうすでに彼女がいる。


 もし、仮にいなかったらその時は。或いは。もしかすると――アスカに告白をしていた。そんなあり得もしないifもしを藤平は想像してしまう。



「……でも、君のそうした優しさがあったからこそ私は自分を好きになれたし、君が好きになった。それは今でも変わらないよ」


「……一つ聞いていいか? お前、どうして今までずっと自分が男だって偽ってたんだ?」



 タツミのように、家庭内の事情などがあればまだ納得もできよう。

 そうするのは仕方がなかったことなのだ。この一言で無事収拾する。

 しかし、アスカの家庭においてそのようなことは一切ない。

 幼馴染である藤平だから、その辺りについては彼女の次ぐらいには詳しい。

 女性という本来の姿をさらしたアスカは、異性ならば誰しもが見惚れるだろう。

 それほど整った容姿をしていながら、何故性別を偽る理由があったのか。

 藤平は、ここがひどく気になって仕方がなかった。


 しばしの静寂の後、アスカが静かに口火を切る。


 もっとも、言葉を紡ぐ彼女の表情はお世辞にも穏やかとは言い難い。

 厳密に言うなれば、そこには深く重苦しい憤怒の感情いろが孕んでいた。



「……君は知らないだろうけど、私も一応ちゃんとした格好をしたことがあってねェ。するとどうだい? 今までイジメてきた連中がホイホイと声を掛けるようになってきたのさ。声を掛けているその相手が、私だということにも気付かずにね」


「それで、ずっと男性のフリをしてきたのか?」


「男性のフリをしていると、君がなにかといつも守ってくれたからね。それに、私が私であることを見抜けすらできなかった輩に何度も声を掛けられるのも迷惑なだけさ。だから私は来るべき時がくるまで、自らの性別を偽って生きると決めたんだよ――ある、界隈を除いては」


「ある界隈?」


「話をそろそろ戻そうか、藤平。さっきも言ったけど、私は今でも君のことが好きさ。ううん、愛していると断言したっていい。だから、今交際している彼女とは別れてくれないかい?」



 お前もか、と思わず言いそうになった言葉を藤平はグッと堪えた。


 タツミに続き、よもやアスカからも同様の要求をされるとは、果たして誰が考えよう。


 いずれにせよ、藤平の出す回答など最初から一つしかない。

 それはできない、と――このたった一言を発するだけに、藤平は激しく葛藤した。

 タツミとの一件さえなければ、彼の性格上包み隠すことなくアスカに即答していよう。

 それができないのは、タツミの暴走を目の当たりにしたからに他ならず。


 アスカも暴走するのではないか、という一抹の不安からどうしても藤平は言葉にすることができなかった。



「……君のことだ。彼女を裏切れない、とでも思っているのだろう。わかっているさ、それに君がその選択肢を取ったのは極めて正しいということも、私のほうが常識がないということもねェ」


「おっ……」



 アスカからの反応は、警戒していた藤平には予想外のものだった。


 自らの行いが悪い、とそう冷静に分析できるだけタツミより遥かにマシなのは言うまでもない。


 下手に警戒していたのが馬鹿らしい。


 自らの行いを悔い改める藤平は、だがアスカのにしゃりと歪んだ笑みを目前にしたことでがらりとその考えを反転させる。


 怪訝な眼差しを送る彼に、アスカがゆっくりと言葉を紡ぐ。



「でも……あァ。やっぱり無理だ。極上の料理を前にして我慢できる者が果たしているものか。私を獣だと罵るのならば、いっそ獣になってしまっても構わない。獣ならば、常識だの倫理観だの、細々としたものに縛られなくて済む。この腹の底でじくじくと疼く欲を満たすことへの快楽を味わえるのなら、喜んで堕ちようじゃあないか」


「お前……何言ってるんだ?」


「ふふっ……ねぇ、藤平。私はね、君のためならなんだってしてあげる。そのためならどんな犠牲を払ったって構いやしない。例え、100万を超える登録者数だってね」



 次の瞬間、藤平は喫茶店の外へと出た。

 もっとも、彼が用いたのは出入り口ではなく窓である。

 要するに、窓をぶち割った彼は立派な器物損壊罪……軽犯罪者だ。

 店内は店員による悲鳴にも似た叫び声が反響した。

 白昼堂々、犯罪行為を目の当たりにすればその店員の反応も頷ける。

 決して彼は悪くないし、罵声をあげたのも無理もない話である。


 そしてすぐ後、横顔を思いっきり殴られた彼はとばっちりとしか言いようがなかった。

 それを横目に見ていただけに、さしもの藤平にも罪悪感がわずかばかりに芽生えた。


 この不祥事については必ず改めて謝罪する―店に向かって投げた封筒には、修理代もかねてそれなりに包んでいるので、やや分厚い。



「まったく……本当になんなんだよ。どうなってるんだよ、俺の幼馴染どもは!」


 愚痴を吐きこぼすように、藤平は全力疾走で商店街を駆けた。

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