第6話:どうやら俺達は……先輩後輩だったらしい
目的もなく、ただふらふらと町を徘徊する藤平を人は昼行燈と揶揄した。
事実、彼にはこれと言った定職についておらず、悠々自適な暮らしを満喫している。
あくせく働く労働者からすれば、彼はなんと自堕落な男だろうか。
そう揶揄されたとしてもそれは致し方がないと言えよう。
もっとも、当の本人はこの事態について
それもすべては、恋人ができたことに起因する。
あれは、とてもいい女だ。
出会いのきっかけは、実に些細なことから始まった。
何気なく立ち寄った廃神社で祈れば――捨てる神あれば拾う神あり、というやつらしい。
恋人がほしい、と神からすればくだらないことこの上ない願いだったにも関わらず。聞き届けたのだから。
巨乳で、美人で、その上どんな願いでも叶えてくれる。
正しく、この世の理想をすべて凝縮したかのような存在と言っても過言ではない。
「――、でも。やっぱり傍から見たら俺って最悪なヒモニートだよなぁ」
一応、藤平としてもその自覚はあった。
彼の職業は、いわゆる専属ではなくフリーランスのようなものである。
ここ、
観光客は多いし、住みやすい場所ランキングでも常に上位にある。
ここにいれば、欲しいものがなんでも簡単にすぐ手に入る。
反面、犯罪率が極めて多いという欠点もあった。
藤平の主な仕事は、世に蔓延る犯罪者を刈るビジランテだ。
特に誰かと組んでいるわけでもなく、たった一人だけの自警団を営んでいる。
よって報酬は出来高制なので、安定した収入はない。
特に近年においては、謎の失踪事件や殺人と事件こそ発生しているものの、犯人の足取りがまるで掴めていない状況だ。
付け加えて、藤平の活動は確かに地域へ多大な貢献をしたが、その結果。彼を恐れて犯罪件数も減少傾向にある。
民衆にとっては、これほど素晴らしいことはないだろう。
しかしそれを生業とする藤平にとって、これは死活問題だった。
そこで、彼女の存在が浮上する。
不意に絹を裂いたような悲鳴があがった。
次の瞬間、藤平は即座に地を強く蹴った。
なにか事件が起きたらしい。
同時にそれは、明日を生きるための糧でもある。
誰かに盗られるわけにはいかない。
「あれは……!」
人気のない路地裏で、一人の女性が暴漢に襲われていた。
犯罪行為を目撃したのならば、藤平がすべきことはもちろん一つしかない。
女性の救出、および犯罪者の制圧。
加害者は中年太りのサラリーマン、と言った風で見た目だけで言えばごくごく普通である。
ただし、その目は真っ赤に充血し涎を滴らせ、犬歯を剥く姿はまるで狂犬のよう。
明らかに、男の様子は普通ではなかった。
「そこで何してるんだよ!」
藤平の跳弥ケリに、男は派手に大きく吹き飛んだ。
その間に、藤平は女性に逃げるよう促す。
守りながら戦うことは、そう簡単なものではない。
彼の実力ならばそれもできなくはないだろう、だが極力リスクは回避したい。
そのためにも、不安の芽は可能ならば少しでも除去しておきたい。それが藤平のポリシーである。
「ここは俺がなんとかするから、早く逃げろ!」
「あ、ありがとうございます!」
ぱたぱたと去っていくその後ろを横目に見送る傍らで藤平は自嘲気味に小さく笑った。
かつての自分だったら電話番号を聞いていたのに、と。
今はもう、恋人がいるから他の女にモテなくとも別段問題はない。
自分には彼女さえいれば、それだけで十分すぎるほど幸せなのだから。
さて、と――藤平は改めて男を見やった。
そしてすぐに、彼の目はぎょっと丸くなる。
信じられない、それが藤平の素直な気持ちだった。
相手が一般人だろうがなんだろうが、犯罪者であるからには手加減は一切必要ない。
だからさっきも本気で蹴った。蹴ったつもりだった。
殺せずとも、少なくとも全治数か月の怪我ぐらいにはさせるつもりでいた。
しかし、男は痛みを訴えるどころかまるでピンピンとしている。
あたかもダメージなどない、とそう言っているかのように。
「――、おいおい。結構強めに蹴ったんだけどな。それにお前、さっきゴミ箱に頭から突っ込んだだろ? それのになんでそうケロッとしてられるのかね」
藤平の問い掛けに、男は答えなかった。
代わりに、獣のごとき咆哮と共に強襲する形で彼は応えた。
これ以上の問答にもはや価値はない。
藤平は静かに拳を構えた。
本当に人間なのか。じろりと見据えるさなかに、藤平はそんなことをふと思う。
本気の蹴りを受けて尚けろりとする輩は、数えられる程度にしかいない。
それが武芸者だったり、あるいは異様なほど身体能力が高いものであればまだ、納得のしようもあろう。
男はやはり、どこをどう見ても一般人にしか見えない。
だからこそ、獣のような咆哮と共に拳をがむしゃらに振るう姿が藤平は信じられなかった。
いずれにせよ、これは倒すべき敵なのになんら変わりはなし。
言葉が通じないのであれば、こちらも拳をもって応えるまで。
藤平は攻撃の隙間を縫うようにして、的確に拳を打ち込む。
どしん、と鋭く重い音と共に彼の拳が深々と男の肉体を叩く。
骨にまで達するパンチを受けて尚、それでも男が止まる気配は微塵もない。
戦ってからすでに数分が経過した。
この時すでに、男の肉体は有体に言えばボロボロだった。
いかに犯罪者であるとはいえ、藤平も命まで奪うつもりは毛頭ない。
とはいえ、このままでは過剰防衛になるのは火を見るよりも明らかだった。
男の四肢はあらぬ方向に曲がり、口からはボタボタと大量の血がしたたり落ちる。
立っていることさえもままならぬであろう重傷を負っていながらも、依然として男は立ち向かってくる。
いったいこの男のどこに、それほどの力が眠っているというのか。
困惑を禁じえぬまま、藤平はハイキックを男に見舞った。
鈍く重い音が鳴り響いたのと同時に、ついに男の身体がぐらりと大きく揺らいだ。
今度こそ、手ごたえがあった。
「――、おいおい……嘘だろ」
藤平の頬に、一筋の冷や汗が滲む。
勝った、とそう確信した矢先に男が再び立ち上がったのである。
いよいよ、人外の類であると彼がそう錯覚するのも無理はなく。
だが、戦いの火蓋が再び切って落とされることはなかった。
終わりは唐突に、そしてあまりにも呆気なく幕を下ろした。
その元凶たる少年が、藤平の目前にてにこりと笑った。
太陽のように、パッと咲いた一輪の花のような笑みはとても愛らしい。
「――、やれやれ。相変わらずこの町は物騒なところですよねぇ。ねぇ、藤平先輩」
「……どちら様?」
すこぶる本気でそう尋ねた藤平に、少年ががくりとうなだれた。
本当に誰なのか、皆目見当もつかない。
これでも藤平は、一応物覚えがいい方であると自負している。
しかし、いくら記憶を思い返してみても該当する情報が一つとして出なかった。
対する少年は、口振りから彼とは親しい間柄にあったことが容易に想像ができる。
とりあえず、彼はただ者ではない。藤平はそう判断した。
彼はいったい何者なのだろう。ちらりと彼が横目をやった先では、男が横たわっていた。
さっきとは打って変わって、ぴくりとも動く気配がない。
少年のたった一発の蹴りが、事をあっさりと片づけてしまったのである。
一見すると少年は、あどけなさが残っていて愛らしい。
栗色のショートヘアと、水晶のごとく澄んだ青い瞳が印象的だ。
「ありゃりゃ……先輩ひどいなぁ。自分のこと、忘れちゃったんですか?」
「……すまん、記憶にないわ」
「いや普通にひどすぎますよそれ……はぁ、でも。先輩と別れたのは中学生のころだったし、覚えてないのも無理ないかぁ」
「中学生のころ?」
「そうですよ、正確には先輩が中学に進学してすぐのことでしたけどね――宮里マモル。覚えてないですか?」
「マモル……」
「どうですか? 思い出しましたか?」
「そういえば……なんか、いたような気が……」
「……そこはせめてきちんと思い出してくださいよ先輩」
「す、すまん……」
あからさまに落胆する少年――宮里マモルに、藤平は小さく頭を下げた。
とはいえ、いくら記憶を巡らそうとも該当する情報がないのである。
これで思い出せ、と強要されても彼からすれば無理難題に等しい。
「まぁいいです。これからはゆっくりと思い出してもらっていけばいいだけのことですから」
「あ、えっと……」
「マモルでいいです。昔みたいにまた、マモルって自分のことは言ってほしいですから」
「そ、それじゃあマモル。さっきは助太刀してくれて助かった。こいつ、どういうわけかめちゃくちゃタフな奴だったから手こずってたんだよ」
「あ~全然構いませんよ。自分としても先輩のお役に立てたから光栄です――それじゃあ先輩、早速ですけど今日の夕方ごろ、この場所にきてくれませんか?」
そういって手渡された紙切れを前に、藤平は訝し気にそれをジッと凝視した。
どうやらこの一帯の地図であるらしい。
もっとも、地図なのだが見た目については上手とはとてもではないが言えない。
手描きであるのはもちろんなのだが、個が強く出すぎている。
そもそもスマホという便利な文明な利器がある時代、手描きをしたのか藤平は不思議で仕方がなかった。
すると、表情に下手糞だというのが出ていたのだろう。
藤平を見やるマモルの視線は、ひどく不機嫌さを露わにしていた。
「……先輩。自分の絵が下手糞だなって思ったでしょ?」
頬をムッと膨らませているあたり、威圧感や恐怖といった感情は皆無である。
むしろ逆に、彼の愛くるしさが増しただけであった。
なかなか面白い奴だな。藤平は内心でクスッと忍び笑った。
「え? まぁな」
「うわひどっ! 先輩、いつからそんな冷酷非道の悪魔になっちゃったんですか!?」
「いやお前の方こそ言いすぎだろ。誰が冷酷非道の悪魔じゃ」
「こっちは先輩のためを思って、一生懸命描いたんですよ? それなのに……」
「それだったら地図アプリなりなんなりと出した方がよかっただろうに」
「それじゃあ臨場感というか、秘密を共有する二人みたいな優越感が出ないじゃないです
か」
「いや、そうか……?」
マモルのあまりにも意味不明な回答に、藤平はむぅ、とうなった。
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