儀式

精神的に辛いことがあったり、抑圧されたりすると、何かにすがりつきたくなる気持ちは理解できるだろう。


当時、仕事や家庭の事でよくない事が重なり気が滅入っていた片岡さんは、すがる思いで知り合いの藤本さんに相談した。すると「何か支えが必要なのよ」と、とある新興宗教の礼拝に誘われた。


数日後、礼拝に参加し、その礼拝で知り合った他の信者たちに思いの丈を話すと少し気分が楽になった気がした。それから週に1回の礼拝や信者達との交流会に参加するようになった。少しずつ気持ちが晴れていった片岡さんは、神様こそそれほど信じてはいなかったが、他の信者達との交流が目的でそのままその宗教への入信を決めた。



入信してから半年くらい経った時だ。入信を薦めてくれた藤本さんから、司祭の芝さんの勉強会に来ないかと誘われた。司祭というのはその宗教の中でも高いランクの位階で、勉強会をおこなっているという芝さん自身も宗教の立ち上げに関わった人だった。


そんな人の勉強会に誘われるなんて、と片岡さんは二つ返事で参加する事にした。



勉強会の当日、藤本さんに連れられて着いたのはとある山の中腹にある建物だった。佇まいは仏教寺院のようだった。


勉強会の詳細を聞かされていなかった片岡さんは今日の予定を藤本さんに聞いた。


「まずは食事をして、芝司祭のお言葉を頂くの。それから儀式をとりおこなって、今日は終わりの予定」


「儀式?」


「大丈夫、私と一緒にいればわかるわよ」


不安そうな表情が出ていたのだろうか、気持ちを藤本さんに読まれたような気がした。


寺院の広い部屋に片岡さん達は通されると、すぐに軽い食事を出された。精進料理のような味だったが肉のような物もあり、美味しく頂いた。食事が終わりしばらく休憩していると、あたりがざわつきだす。周りを見ると、部屋の奥に男が立っているのが見えた。


「あれが芝司祭よ」


藤本さんが言う。男は辺りを見回すと、微笑みながらゆっくりと口を開く。


「今日はよく集まってくれました。それでは始めましょうか」


芝司祭は、この新興宗教の成り立ちや教義について話を始めた。興味深い話と片岡さんはしばらく聞き入っていると、急に話が止まった。


「……うん、よし、もういい頃合いですね。準備ができましたので、そろそろ行きましょうか」


そう言うと、建物の外へ歩き出した。勉強会に来ていた信者も立ち上がり、芝司祭についていく。


「さあ私達も行きましょ」


藤本さんに促され、片岡さんも他の信者達の列につらなる。


外に出た芝司祭は寺院の裏へと入っていく。その先には木々に囲まれた細い山道があった。芝司祭と信者達がそこに進んでいった。


1分くらい歩くと遠くから水の音が聞こえてきた。その水の音は奥に進むにつれて大きくなっていく。更に奥に進むと少し開けた所についた。そこに滝があった。ずっと聞こえていたのは滝の音だった。


滝行でもするのかと片岡さんは思ったが、どうも様子が違った。


ズズズズ……


滝の音に混ざって、何やら音がする。

自分たちの後ろから聞こえているようだ。振り返ると、2人の男性信者が台車に乗せた大きな何かを運んでいる、その音だった。


よく見ると運んでいるのは、大きな檻。中に動く物がいた。


犬だ。


中型犬だろうか、3匹入れられていた。


ズズズズ……ズズズズ……


2人の男性信者が犬の入った檻を滝の前まで運び、台車から降ろした。


「では………ブツブツブツブツブツブツ…」


芝司祭が呪文のようなものを唱え出す。周りの信者達は手を胸に当て、芝司祭の方を見つめていた。この宗教の祈りのポーズだった。片岡さんも信者達と同じように手を胸に当てた。


「…ブツブツブツブツブツブツブツ……」


しばらくすると、滝つぼの中で何かが動くのが見えた。青黒い塊。さっきの中型犬くらいの大きさだろうか。


何あれ…


片岡さんが心の中で呟くと、青黒い塊は水の中を動き、少しずつこちらに近付いてくる。岸まで来ると、滝つぼの中からゆっくりと姿を見せる。



それは、青色の乳児だった。



髪はなく、目玉も歯も全て青い。


青い乳児は完全に滝つぼから出る。見ると、全身も真っ青だった。不思議なことに、水の中にいたはずなのに、何故か濡れているようには見えなかった。


水から上がった青い乳児はゆっくりとハイハイをしながら、滝の前に置かれた檻に近付いていく。


ワン!!ワンワン!


近付いてくる青い乳児に向かって犬達が激しく吠える。それは青い乳児に怯えるようだった。だが、そんな声に動じずに青い乳児は少しずつ檻に近付いてくる。


檻の横にいた男性信者が檻を開く。開かれた檻に青い乳児がゆっくりと入っていく。そしてゆっくりと犬達に近付く。


ガブッ


青い乳児が1匹の犬の首に食らいついた。


キャイン……キャイン………


弱々しく鳴く犬の首から吹き出す血。それを見て他の犬達がたじろいだ。咬まれた犬は必死に抵抗するが、構わず青い乳児は噛み続ける。


バリ…バリバリバリ……


犬を食べている。骨まで食べているのか。片岡さんはあまりの光景に、さっき食べた物が胃から込み上げてきそうになった。


そんな片岡さんをよそに、青い乳児あっという間に1匹を食べると、残りの2匹にも食らいつく。


そして、数分経たずに3匹全てを食べると、檻から出て、ゆっくりと滝の方に歩き出した。そして、滝つぼに入ると青い乳児の姿は見えなくなった。


「よかったわね、権現様を見ることができて」


片岡さんが吐き気を必死に堪えているのをよそに、藤本さんが恍惚の表情をして言う。


そこから片岡さんには記憶がない。それからどうやって寺院に戻り、家に帰ったのかは覚えていない。ただ、この出来事の恐ろしさに、礼拝や交流会に行かなくなり、そのまま新興宗教も退会した。


辞める際、他の信者から強い引き止めはなかった。新興宗教によくある嫌がらせなども、今のところはされてはいなかった。ただ、何人かの信者には「可哀想に…」と同情の目を向けられた。


宗教に誘ってくれた藤本さんに退会の事を伝えると、


「あの神々しい体験の喜びを共有できる仲間だと思ったのに、残念ね」


と言われた。その事が、片岡さんの心にずっと残っているそうだ。


ひとつだけ気になる事があった。


これほどの出来事なのに誰からも他言無用とは言われなかった事だ。もしかするとこのように誰かに広めてもらいたいのでは?と片岡さんはそう考えている。

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