ホテル

知り合いの田中くんから聞いた話だ。


大学生だった田中くんは、夏休みに地元に帰ってきた同級生の●●くんとの話の流れで京都旅行へ行くことになった。


突然ノリで決めた旅行だったが、平日に1泊だけだったのですぐにホテルは見つかるだろうと、2人は事前にホテルを予約しなかった。



当日、京都の本屋で観光ガイドを見て行く場所の目星をつけ、教科書に載ってるような寺や神社、そしてオシャレな観光スポットなどひと通り観光をした2人。そろそろ泊まるところを決めようか、と予約サイトでホテルを探したが、空いているホテルがなかなか見つからない。


飛び込みで何軒かホテルや旅館に行くがやはり予約でいっぱい。どうやら、有名ミュージシャンのコンサートと何処かの企業のイベントが複数重なっていたらしく、どこのホテルも予約で満室だった。


最悪、ネットカフェに行く事も考えたが、歩き疲れてヘトヘトだった2人は何とか布団で眠りたい。いろいろ問い合わせて10軒ほどあたった所で、かろうじてダブルの部屋を一部屋見つけた。最初は男2人でダブルはちょっと……と思ったが、背に腹はかえられないと仕方なしにそこに2人で泊まる事にした。


チェックインした部屋に2人が入ると中は意外と広く、床にも充分寝るスペースがあった。そこで、床とベッドのどちらで寝るかジャンケンで決め、勝った●●くんはベッド、田中くんは床で寝る事になった。



床に布団をひいて横になった田中くんだったが、昼間あれだけ疲れていたのに旅行のテンションからか、なかなか寝付けない。


眠れずにぼんやり仰向けになって天井を見つめていると、天井から白い何かが垂れ下がっているのが見えた。長さは20cmくらい、幅は5cmくらいだろうか、先が切り揃えられていないタスキのようなもの、それがエアコンの風にあたりゆらゆらしていた。


「●●、起きてる?」


ベッドの●●に声をかける。


「ああ、起きてるよ」


同じように眠れないのか、すぐに返事があった。


「天井の白いあれ、見えてる?」


「見えてる」


続けて●●が言う。


「あれ、手じゃないか?」


その言葉を聞いた途端、ゾワッと身体中に鳥肌が立った。嫌な予感がして起き上がろうとしたが、身体が動かない。


天井を見ると、白い何かははっきりと手に見えていた。その白い手がさっきよりも大きく揺れていた。そこで田中くんは気付いた。


揺れが大きいんじゃない、手が長くなっているんじゃないか?


なんなんだ?と困惑しながら揺れる白い手を見ていた。ゆらゆら揺れながら手は伸びていた。目が離せない。その手は、ベッドに寝ている●●くんに向かって伸びていく。


大丈夫か?


●●に声をかけようとするが、声が出ない。


ゆらゆら、ゆらゆらと手が伸びていく。


●●!大丈夫か!!●●!!!


やはり声は出ない。


ゆらゆら、ゆらゆらと伸びていく。


そして、ついに手が●●くんに触れた。


「あ…あ…………あ……」


●●くんの呻き声が聞こえる。


「…あ…あ……あ……あ…………………………」


声が途切れた。


すると、白い手は再び揺れ出した。ゆらゆら、ゆらゆら、田中くんに近付いてくる。


助けてくれ!●●!誰か!


心の中で叫ぶが声は出ない。


ゆらゆら、ゆらゆら


手が触れるか触れないかの所で、田中くんの意識が遠のいた。



朝起きると、田中くんは何故かベッドに寝ていた。


「●●?」


声は出た。だが、●●からの返事がなかった。


朝食にでも行ったのだろうか。だが、しばらく経っても戻ってこない。部屋の中やホテルを探したが●●くんは見つからなかった。


仕方なく、チェックアウトのためフロントに向かった。


「一緒に来たやつがちょっといなくて」


フロントの人に事情を説明すると、怪訝な顔をして答えた。


「お客様はお一人でいらっしゃいましたよ?」


は?どういうこと?


確かに一緒に来たはず、とチェックインの履歴を見たが田中くん1人の記録しかなかった。


いや、ちゃんと旅行の記憶もある。寺や観光スポットの記憶も。行く前だってちゃんと何処に回るかの計画を学校で一緒に…………と、思い返した所でふと気付いた。


●●と旅行の計画の話なんかしていたか?


●●くんとは急に旅行に行く事になったはず。何処を回ろうなんて決めてない。きめてなかったから、たまたま見つけたこのホテルに泊まってるんじゃないか。じゃあ、学校で旅行を計画したというこの記憶は何?


そう考えているうちに、自分の記憶に自信が持てなくなっている事に気付いた。そもそも、●●くんとどうやって出会ったか、それさえも思い出せない。●●くんは高校の同級生?中学?小学校?


何もかもがわからないまま、仕方なく田中くんはホテルをチェックアウトし、帰宅した。


帰宅して、親や昔からの友人に聞いたのだが、誰も●●くんの事を知らなかった。


●●くんという存在は夢だったのだろうか。もしかしたら、白い手が●●くんを別の世界に連れ去ったのではないだろうか。


田中くんはそのように話してくれた。



最後に、名前を仮名ではなく「●●くん」としたのは理由がある。田中くんがこの話をしてくれた時もAくんだったりBくんとは言わずにずっと「まるまるくん」と呼んでいたからだ。


理由を聞くと田中くんはこう答えてくれた。


「実はさ、最近、まるまるくんの名前が一体何だったか、思い出せないんだ」

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