育つ怪談

過去に誰かに話した怪談、その話がいろんな人に話されていくうちに話が盛られていき、より怖くより面白い話になっていくことがある。僕はそれを「怪談が育つ」と呼んでいる。


「怪談が育つ」という事は、最初の体験談から離れていく事だ。体験者から離れていけば当然リアリティは失っていく。ただ、育った怪談には、その話を盛った人の人となりが感じられて僕は好きだった。


ある日、知り合いが「こんな話を聞かされたんだけど」と、とある怪談を始めた。知り合いがその怪談の導入を話し始めた所で「あ、これ、自分の体験談だ」と気付いた。


昔、1人でとある県のある施設の廃墟に行き、そこで若い女性の幽霊を見た事があった。知り合いから聞かされた話は、この時の体験談だった。


以前、この体験談を友達何人かに話した事があった。ただその時は体験談にいくつかフェイクを入れていた。


僕が誰かに怪談をする時は、場所や個人が特定されないようにフェイクを入れる。例えば4人で行ったのを3人にしたり、名前を実名ではなくAくんBくんにしたり、場所を県外から県内にしたり。


この時の体験談も1人ではなく3人で行ったことに、他にも季節、時間、都道府県、場所、出てきた幽霊の性別までも、それこそ他の体験談よりも多めにフェイクを入れた。そこまで念入りにしたのは、時間や場所を明確にすると、この話に関係のある人に迷惑がかかる可能性があったからである。


そんな話が回り回って自分が聞く側になるなんて事があるんだなと、感慨深く思っていた。


ただ、知り合いから聞いた怪談は、自分が話した体験談からいくつか付け加えられた点があった。


現地に行くまでに同行者が窓の外に何かを見てしまう、行った後に何かを見てしまった同行者がおかしくなってしまうなど、話が盛られていた。いわゆる「育った怪談」だった。フェイクを入れた話に更にアレンジが加わっている、そのアレンジを入れた人の事を考えて内心ニヤニヤしながら知り合いの話を聞いていた。


ただこの「育った怪談」を最後まで聞いて、ひとつだけ納得できない所があった。


僕が話した時は訪れた廃墟はフェイクを入れて別の場所にしたはずなのに、自分が聞いた時には実際に自分が行った場所になっていたのだ。


この話は僕の体験談だ。場所は誰にも話していない。ましてや、都道府県までフェイクを入れて話している。偶然同じ場所になるなんて有り得ない。


そしてもう一つ、この怪談のキーワードとして注射器が登場する。帰り際に、知らない間にポケットに針のない注射器が入ってたという流れだ。その部分は変わっていない、つまり「育って」はいなかったのだ。


この時にポケットに入ってた注射器は、今も自宅にある。つまり、この部分はフェイクを入れていない箇所だ。


育っていく間に怪談が実際の体験談に近付いている。


この怪談、いったい誰が「育てた」のだろうか。

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