ドラキュラ 都へ行く
恋愛コメディドラキュラ映画
1979年は、吸血鬼映画花盛りでした。
「ドラキュラ 都へ行く」「ノスフェラトゥ」(ヘルツォーク監督のリメイク版)「ドラキュラ」(フランク・ランジェラ主演)
そのうち、日本盤がVHSまでしか出ていないのが本作です。
アメリカじゃ、普通にDVDもブルーレイも出てるんで、なんでかなと思うんですけど……たぶん、タイミング悪かった、ってだけのことかもしれません。
2000年くらいまでに一回、DVDになっておけばそれなりにファンはついてきたと思うんですけどね。さすがに今となっては古めかしい台詞やら、当時の状況が分かってないと「なにその唐突な展開」としか言いようのない展開があって、ちょっと観客置いてきぼりになる可能性もあります。
吸血鬼映画ファンにとっては、過去作へのオマージュや吸血鬼あるある設定をふんだんにちりばめてあって、「オタクの喜ぶ作品」になってるのがポイントでしょうか。
ちなみに『吸血鬼に三回噛まれたら吸血鬼になる』設定は、おそらく本作が初出だと思われます。
「ドラキュラ 都へ行く」
原題「LOVE AT FIRST BITE」
1979年製作(米)
日本版VHSのみ
監督:スタン・ドラゴッティ
脚本:ロバート・カウフマン
ドラキュラ:ジョージ・ハミルトン
レンフィールド:アート・ジョンソン
シンディ:スーザン・セント・ジェームズ
ローゼンバーグ精神科医:リチャード・ベンジャミン
ジャンル:ホラーコメディ
時代背景:二十世紀アメリカ、ニューヨーク
『あらすじ』
ルーマニア、ドラキュラ城で夜の子供たち(狼)の遠吠えを聞きながら優雅にピアノを奏でるドラキュラ。
お取り寄せのアメリカのグラビア雑誌を見ながら、異国のファッションモデル、シンディに片思いしている。
下僕のレンフィールドは、ドラキュラに怒られながらも虫を追いかけ、下僕ライフをエンジョイ。
しかし、共産党政権の委員が、ドラキュラ城を接収すると、ドラキュラに立ち退きを要求。
ドラキュラは村人たちと共産党員に追い立てられて、ニューヨークへ行くことを決断する。
憧れの女性、シンディに会うために……
『物語のあれこれ』
原題は「Love at First Sight」(一目惚れ)のパロディになっています。
1979年はドラキュラ映画の年だったと申して良いのではないでしょうか。
ドイツではヘルツォーク監督「ノスフェラトゥ」か公開され、アメリカでは本格ホラー映画としてジョン・バダム監督「ドラキュラ」と、本作「ドラキュラ 都へ行く」が公開。まさに闇の百花繚乱。
吸血鬼の特徴あるあるネタに加え、時事ネタをふんだんに取り入れた本作。
冒頭、ドラキュラの住む城に共産党員が乗り込んできて、「ドラキュラ城を運動施設にします。城にはトランポリンや平行棒、そして”コマネチ”も入れる」と言うんですが、ルーマニアのブラン城(ウラド三世ゆかりの城)が共産党政権に接収されていた、とか、1976年モントリオールオリンピックで金メダルを3個とったルーマニアの体操選手、ナディア・コマネチさんのことを知らないと、ピンとこないかもしれません。
*
また、本作では当時「ROOTS」というアメリカ黒人奴隷の歴史について真っ向から取り組んだ小説(およびそれを原作としたテレビドラマ)が社会現象となっていて、そのネタがふんだんに取り入れられています。
奴隷として人間の尊厳を奪われた黒人が、かつてアフリカでいかに誇り高く生きていたかを再発見する「ROOTS」をネタとして、当時のアメリカ黒人低所得者層を茶化すのはどうかな、と思わなくはないんですが。
最後の「停電で窃盗事件多発」シーンでは、黒人だけではなくてほかの人種も一様に窃盗に励んでいますから、黒人を茶化してる……わけではないとも言えるかもしれません。でも、シナリオの関係で「ROOTS」にこだわり、自身の出自に誇りを持ちつつも、現代社会で下世話に生きている黒人低所得者層の犯罪が目立つシーンになってしまっていて、個人的には気になります。
終盤、唐突にニューヨークに停電が起きるのは、1977年に現実にあった「ニューヨーク大停電」が元ネタ。
1965年にもアメリカでは大停電が起きており、これらを知っていないと、どうして唐突に停電が起きるのか(前振りはなにもない)、みんながいそいそと暗闇に紛れて窃盗に励むのか、視聴者には分からないでしょう。
1979年映画公開当時、アメリカでは大都市停電ネタは、説明不要の「時事ネタ」だったのです。
金勘定に細かく、口先だけで言いくるめるような態度の精神科医を茶化すネタについては、いまにも通じるところが多いでしょうか。彼がシンディにこだわるのは、愛ゆえか、それとも彼女がため込んだ未払いの医療費ゆえか……?
また、ヒロイン・シンディ嬢が自分のモデル業のことをドラキュラに尋ねられて「Sometimes I think a career to a woman is kind of like fooling around to a man.
I mean, it's a lot of fun till the right person comes along.」と言うのですが……
(「女の仕事なんて、遊び半分みたいなものだと私は思うの。いい人が見つかるまでは、(仕事をするのも)楽しいわよ」と発言してしまうのは、いまのハリウッド映画ではやらないと思います。
いまヒロインにこんな台詞言わせたら、炎上ですよ、炎上。もちろん「個人の考えとして、『玉の輿に乗ったらいまの仕事のキャリアなんか捨てる!』っていうのは有りですけど、この台詞、「女の仕事はその程度のもの」と一般化したもの言いですから。
しかし、1970年代には、アメリカですらこんな感じだったんだな、と思うと、隔世の感があります。
こういう当時の時代背景をもとにした部分で、多少、いまとなっては「どうなの?」と疑問に思ったり、古めかしく感じたりするところもありますが、吸血鬼ネタについては時代性なんか関係ないですから!
すみからすみまで「笑えるネタ」満載ですので、この部分は気兼ねなく楽しみましょう。
本作の吸血鬼は、日中は柩で眠り(ただし蝙蝠などの動物に変化していると陽光を浴びても大丈夫)、十字架を怖れ(ユダヤ教のシンボルは平気)ます。
鏡に映らず、大蒜とwolfsbaneも苦手。
(wolfsbaneは、オリジナル音声の台詞ではたしかに言っているのですが、字幕ではトリカブトではなく狼除けと表示されます)
ナイフをねじ曲げられるほど怪力で、催眠術で人間を操れるほか、自動車も魔法で操れます(←どうやって?!)。
銀の弾丸は効果なし。(銀の弾丸は狼男を殺すときのアイテム!)
そして、三回咬むと犠牲者は吸血鬼になります。
吸血鬼ネタについては、まさにすみからすみまで。
アメリカに渡航する飛行機の機内映画で、ネズミの大群に襲われる女性の映像を見ながら気味の悪い嗤いをやめないレンフィールド。
このレンフィールド像は、あきらかに「魔人ドラキュラ」のドワイト・フライ演じるレンフィールドが元ネタです。
スチュワーデスに「チキンにするかカツにするか」と聞かれて、「どちらも死んだ肉なんで、もっと生きの良いピンピンしたの」と要望する。
空港ではレンフィールドが柩を取り違え、自分のルーツ探しにアフリカへ行き(当時アフリカ行きは「ROOTS」に感銘を受けた人びとのあいだでブームだったようです)、生水にあたって死んでしまった黒人青年の葬儀の場でドラキュラは目覚めて会葬客は大混乱。
(牧師も逃げ出す)
異形の怪物形無しのニューヨークの街にカルチャーショックを受け「七百年、ずっと給仕長のような格好をしていなきゃならなかった」と、自分の哀れな境遇を嘆き、気落ちするドラキュラを慰めるレンフィールド。
でも、嘆くわりに物語の最後までドラキュラは頑なに燕尾服にマント、みずから自称するところ「給仕長のような」衣装を着続けるんですが。
(いや、燕尾服にマント、ボウタイは十九世紀からだから、それ以前は絶対、ドラキュラさん、もっと違う格好してたはず、というツッコミは、たぶん入れてはいけない。あと、その格好が嫌なら好きに着替えたらいいんじゃない? という指摘もしてはいけない)
シンディに迫ろうとして「私の目を見詰めて」と言えば「充血してるわ。飲み過ぎでしょ?」と言われる始末。
「永遠の命をあげよう」と言えば「わかった、保険屋でしょ?」と返される。ドラキュラの威厳も何もあったもんじゃない。
精神科医と催眠術能力の優劣を競って「おまえはだんだん眠くな~る」対決をするも両者引き分け(! 精神科医に勝てない催眠能力!)
(現代の精神医学では催眠療法はあまり流行らない治療法のようですが、当時はよく行われていたようです。
参考資料:「刑事コロンボ 殺人処方箋」(1967年米))
シンディとの結婚パーティの準備に血液銀行に押し入り、ビニールパック入りの血液を見て、さすがはアメリカだと感心したり。
全編、細かいネタは数えれば切りがないほどぎゅっと詰め込まれた吸血鬼ネタ。
吸血鬼映画好きはもう、幸せになれること受け合い、そうでない方も、分かるネタは絶対にあるので、本編のコメディを楽しみつつ、小ネタで笑えることは間違いありません。
この出し惜しみしない姿勢は素晴らしい。
本編の内容は、シンディを真ん中に、ドラキュラと精神科医のローゼンバーグ(ヘルシングの子孫!)が彼女の愛を勝ち得ようとするラブコメなんですけど、だいたいシンディがさばけた女性なので、ノンストレス。
っていうか、ローゼンバーグが怖い……シンディとドラキュラっがレストランで食事してるところ押しかけていって銀の弾丸入り銃でドラキュラを撃つとか。
ラスト近く、「ロマンスがなければ生きる甲斐がない」とシンディに愛を請うドラキュラの切なげな表情が、おそらく、本作の「ドラキュラ」のすべてを表していると言って過言ではないでしょう。
愛がなければ、永遠は長すぎる。
軽やかなノリと、ベッドインから始まる関係なのに、不思議に純愛に見えてしまうドラキュラとシンディのラブコメディ。
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