トトロの森よりの使者

『もしもしー? トトロの森のはなぶさですが』

「……ハァ?」


 電話に出た折、今まで出会った事がない種類の自己紹介の仕方に思わず面食らう。


 某なんかちいさくてかわいい奴のうさぎみたいなキャラクターが発する万能台詞みたいな困惑の声を発する頃、私はすでに実家へと身を寄せていた。


 遡ること一週間前。親父が倒れて救急搬送されたと母が連絡を入れてきた。


 病院に搬送された時点で心臓発作を引き起こしており危うかったそうだが、処置が間に合い一旦は命に別状がないところまで持っていけたとのこと。母の口から意識もあるとのことだったが万が一に備えてほしいとも告げられた。連絡があった日は日曜の休日で、翌くる日からの平日中は仕事をしていながらもどこか身の入らない日々が続いた。とはいえ出来ることから始めようと思い職場の上司に対し有給の相談も兼ねてこれまでの事を打ち明けた。懇切丁寧な説明にあたった甲斐もあり、無事に上司からは私がいつでも会社を休む事になっても大丈夫だと認をもらえることに。

 終業後、帰宅次第東京郊外の住まいから母の元に電話をかける。酸素吸入器に頼りきりだが血中酸素濃度が少しずつ改善されていっている、適宜補給される栄養剤が少しカロリーの高いものへ切り替わった、ステロイドを投与されたことで肌艶が際立つようになった等々。小さな報告を連日に亘って聴かせられたことで日々、私の中の親父に対する最新情報は著しくアップデートされていった。


 同時にそんな私は母親から逐一明かされる、どこか心地よさを孕んだ声音から漂う安心感を電話を通じて縋っていたかったのだろうと今にしてみれば思う。


 先週の日曜日から続く気の置けない日常。心身ともに困憊していくも、時間の流れは否応無い。平日最後の金曜の夜は、どっと疲れ切った身体を休ませるべく早々に眠りにつく。ずっと鯱鉾しゃちほこった生活が続いたのもあり少しでも英気を養おうと、翌日の土曜は電話するのを控えることにした。さらに翌日、日曜日は平日中手付かずだった洗濯物を一掃せんと今週では初めて洗濯機を動かした。洗濯の間に外でお昼を済ませてから帰宅。部屋の中でひとり横になりつつ、父親の容態について一考する。どのみち職場先から有給の使用について言質はとっていたため、明日は月曜日だが地元に帰り病院に家族見舞いでもして繰り出そうかとのんきに思いつく。

 ぼんやりとした昼下がりの最中、充電器に繋がったスマホが着信の画面を表示させる。


 母からだった。反射的に上半身を起こして、電話に出る。


 嫌な予感が的中してしまった。憔悴した声で母から親父の容態が急変して危篤状態であると告げられる。


 電話を切ってすぐ洗濯機にて眠っていた洗濯物たちを回収し漏れなく室内にて干す。


 すぐさま数日分の下着に背広と革靴を旅行カバンに詰め、家を出た。


 移動中の電車内で十六時過ぎ東京発金沢方面行きの北陸新幹線を予約。東京駅で乗り込んでから中で発車に備えていると、携帯が鳴る。姉からだった。やはり出てみると、淡々と次の事を打ち明けられた。


『先ほど、お父さんが死んだよ』


 抑揚もなく全ての感情が抜け落ちたような無を思わせる声色だった。そこに至るまでどれだけの恐怖と絶望と悲壮が襲いかかってきたのかは、想像に任せるしかない。


 それに対し私は「ごめんね」と一言返すので精一杯だった。

動き始めた新幹線の席にて、頑張って言葉を紡いで伝えようとする家族の言葉を心して聞き出す。


『気を、つけて。ゆっくり、病院、に。来て、ね』

「わかったよ」


 そこで私は通話は終えた。


 お互い最低限度の口数ではあったがそれでも効果は最大限であろう。もどかしさと煩わしさを抱えたまま、駅に着くまでしばしの間新幹線にて往生する。その間、スマホは掴んだままで。


 物言わぬ姿と化した親父と病院にて接することができた時間はおよそ三〇分だけ。


 病院の建物の3階に設けられたECU救急救命センター。その病床にて、呼吸器等の装置から解き放たれた親父の骸が横たわっている。私だけでなく数時間前に親父を看取ったばかりの姉や母もそばにおり、ようやく一家全員が集合と相成ったわけだ。


 まだ温もりが残る亡骸に触れたり、看護師たちに隠れて最後の家族写真撮影会が即席で勃発したり、一番父親を溺愛していた姉が度々泣きじゃくろうとするのを窘めたりもした。


 触れ合いも終わり、ECUで勤務する医療従事者の皆に家族総出で頭を下げ、私たちは父を残して病院を後にする。


 そして、実家へと着くと祖母が生姜焼きを作って待ってくれており、まだ晩飯が済んでなかったのでありがたくそれにありつく私。


 その最中、リビングの固定電話から呼び鈴が鳴ったため結果として一番近くにいた自分が食事もそこそこに受話器を掴んだ。


 ……そして、冒頭にて織りなされる意味不明なやり取り。


 普通に訳が分からなかったので、本名を名乗るように促したところやや不服そうに「まさのりだよ」と返ってきた。


 まさのりことまーちゃんは、すでに亡くなった祖父方に纏わる親戚筋の叔父さん。


 元々柔道整復師として、新潟県柏崎市にて暮らしていたのだが少し前に脳卒中を患ってしまったことから東京で暮らす実娘に半ば強制的に転居させられ、現在は娘さんともども東村山におりそこの老人ホームにて暮らしている。


 色々としんどかったので素性が分かり次第すぐ側で座していた祖母に用件ごと電話を丸投げしてから再び食事の席へと舞い戻る。餅は餅屋、年寄りには年寄り、である。


「突然のことで吃驚したやろ」と、開口一番受話器越しにまーちゃんへと語りかける祖母。


 ともすると、今回のウチの親父に関する顛末はある程度すでにそちらへも届いているということなのだ。つまるところ、まーちゃんは事情を熟知した上で回りくどく茶化すような文言を出会い頭にぶつけてきたということになる。


 仕方がないとは言え家族を看取ることも叶わなかったためまだ親父が死んだことすらぼんやりと掴みきれてないまま、未だに家族を失って悲しいという領域に踏み込めていない。そんな心境の自分にトトロ云々だと宣うとは、一体全体どんな了見なのだろうか。


 そういえば受話器越しだったせいもあるのだがまーちゃんの喋りは、どこか覚束ない印象を帯びていた。卒中を経験したということなので、もしかすると言語野を司る脳の部分にも少なからず影響が及んでいるのかもしれない。


 昔は優しくて頼りがいのあるおじさんで姉共々大好きだったまーちゃん。

 親父と違って酒も煙草もギャンブルも碌にやらず、どちらかといえばオタク気質的に健康にはうるさかった人だった。その割には脳血管疾患という不摂生の成れの果てみたいな病気を発したわけなのだが。単に昔を思い返すだけなのにそれだけで十年以上前の時間を遡らなければならぬ今の自分に驚かされる。


 それだけの時間が経過すれば子供は成人し、周りの大人たちは老害ともなり白髪が増え、中には病気で身を持ち崩す者だって現れる。


 そういえば、見ない内に親父もすっかり頭が薄くなっていたなと。生姜焼きに舌鼓を打ちつつ、ついさっき訪れた病院内の光景を死んだ親父の姿とともに思い返す私であった。


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