❁ 姫は硝煙に踊る ――シンデレラ
【作戦コード:レディ・イン・ガンスモーク】
完璧に編み上げられた艶やかな髪。妖精が仕立てた虹色のシフォンのドレスと、金銀にきらめくアクセサリー。
ぴかぴか光る金の靴に白い脚を収めて、――ついでに脛に固定した
ヒロインの出陣を盛り立てるのは、白い小鳥たちの奏でる愛らしくも勇ましい戦歌。
「行くわよ、私たちの
かぼちゃの馬車に彼女を乗せながら、御者はうっとりと嘆息した。
城の大広間では絢爛豪華な舞踏会が催されている。
ホール中央は着飾った貴族たちがダンスを介して出逢いを求め、脇にはごちそうが並ぶ大テーブル。きらきら揺れるシャンパン片手に、喧騒に紛れてひそひそと陰謀を囁く者もいれば、そっと貴婦人たちの耳や指から宝石類を盗んでいく手癖の悪い者も混ざっている。
そう、ここはカオス。欲と怨嗟が渦巻く混沌の極致。よくもまあこんな環境で花嫁探しとかしようと思ったな王子。
「……苦しいです。助けて先輩」
「しッ、黙ってろ。……だいたい俺に言ってどうすんだそんなもん」
「だってマジで息ができないんですもん……気絶しそう……」
優雅にワルツのステップを踏むフリをしながら、うだうだと文句の多い後輩であった。
お伽話の世界と聞いて夢を感じる者は少なくないだろう。実際『物語の世界に入る装置』は、人びとの希望と憧れを象徴するものとして発明された。
ところが蓋を開けてみれば、追跡が困難な創作物の世界は犯罪者たちとって恰好の隠れ家。こと童話は作りが単純なため、単純な侵入・ストーリー進行妨害に加えて、登場人物のなりすまし被害が深刻化している。
従って現実世界の警察では専門捜査部署『捜査一課強行犯リセクション係』略称リセ係が設置されるに至った。
リセクションとは切除手術を意味する語。すなわち物語世界から異物たる犯罪者を〈切除〉するのが彼らの使命だ。
で、そのリセ係はただいま『灰被り姫』の世界にお邪魔していた。捕らえるべき悪党に逃げられないよう、つねから潜入捜査が基本だが、今回の後輩の役どころは舞踏会に参加しているモブ貴族。
なので彼女は慣れないコルセットに悪戦苦闘で罵詈雑言で不満たらたらだった。着る直前まで「わーいドレス! おめかし! こういう捜査がしたくてリセ係を希望したんですよね~!」とはしゃいでいたくせに、ひどい手のひら返しだ。
『――標的のようすは?』
「とくに変化なし。で、〈シンデレラ〉はいつ来るんだよ」
『もう間もなく』
イヤリングに内臓された通信機の音声に、後輩はぴくりと眉を潜めた。
主役の到着。それすなわち、状況が『動く』ことを意味している。
やがて、やたらめったら壮大なファンファーレとともに彼女が現れた。いくら主人公の到着とはいえ、作中での彼女の立場はただの没落貴族の娘だというのに、明らかな特別扱いが不協和を奏でているように思えてならない。
だがまあそんな戯言も、いざ現れた本人を前にすれば消し飛んでしまう。
存在感。
他に言いようがない。まるで言葉そのものを擬人化したかのような、圧倒的なオーラをまとう美の権化のお出ましだ。
誰もが納得するだろう、これぞまさに主人公だと。正義と勝利に愛されたヒロインがそこにいた。
とても『不憫な境遇ゆえに発育不良で、誰も彼女の靴を履けないくらい小さな足の主』とは思えない。実際そうじゃないんだから当然だが、すらりとした手足を目映く輝くドレスに包んでなお、服より顔面のほうが目立っているという異常事態が発生している。
これは絶対に人選ミスだろうと先輩刑事は思った。明らかに彼女は『灰被り姫』のガラじゃない、どう考えても灰のほうが裸足で逃げる。
そんなウルトラ・ビューティエスト・プリンセスは、一ミリも気おくれのない堂々とした足ぶりでホール中央に進み出る。
今からあれと踊らなきゃならないってマジ? マジです。そうしないと話が破綻する。
「……美しいお嬢さん、ぼくと踊っていただけますか?」
「ええ、喜んで」
レースに包まれた手を取り、華やかな演奏に合わせて、王子とシンデレラはくるりくるりと舞踏を演ずる。
これは運命の出逢いで、芽生え花開くのは真実の愛。このまま夜が更けるまで踊り明かして、けれど彼女は名乗りもせずに金の靴を残して去っていく――そういう筋書きで、世界中の女性から愛されるロマンスの王道。
だとしたら、すでに破綻はしている。
彼女は継母にいびられる不憫な娘ではないし、自分も王子ではない。でもってむしろ。
「っで!」
「……あらごめんなさい、ダンスって思ったより難しいわね。これあとどれくらい続けなきゃいけないの?」
「城門の封鎖が終わるまでだ。
「そう。……にしても久しぶりね。あなたが異動して以来だから……」
大きな瞳でじっと見つめられながら吐息混じりに囁かれると、心臓に悪い。しかも踊っているから距離も近すぎる。
ご丁寧に香水までつけているものだから、甘い薫香に正直ちょっとクラつきそうになっていた――その寝惚けた頭を現実に引き戻すように、ふいに通信機が喋った『封鎖完了だ。始めてくれ』。
「了解」
彼よりも先に口を開いたのはシンデレラのほうだった。
「――両手を上げて頭の上に! あなたたちの正体は判っているわ、無駄な抵抗は止しなさい。この城はすでに封鎖されている。どこにも逃げられないし、周りはすべて警官よ」
脚のホルスターから愛銃を抜いて構える主演女優と、彼女にやや遅れて同じく武装を露わにする王子。
うろたえているのはホール内のおよそ十数名で、それ以外の人間は、貴族も城の
が、相手も素直にやられてはくれないようで――何人かは懐に隠していた銃を抜き、そこから撃ち合いになった。
飛び交う銃弾! 響く怒号と止まぬ銃声! 噴き上がる血飛沫! 撥ねる薬莢!
ご覧の童話は『シンデレラ』でお間違いありません、みたいな注釈が必要になるくらい元の物語から大幅に逸脱したハードボイルドな展開!
こうなることは予期していた。避けたいとは思っていたが、相手が悪い。
というのも今回の捕り物対象は個人の犯罪者ではなく、極悪非道なギャング組織なのである。
彼らは表向き、一般企業のように振る舞っている。しかしどこかに必ず幹部の会合場所があるはずだ。長年にわたるギャング対策課の地道な捜査によって、ついにそれが『シンデレラの舞踏会』だと判明した。
なにしろ童話界でも指折りの「多数の脇役が居合わせる場面」だから、大人数で紛れ込む場所としてはうってつけだ。
一網打尽にすると決めたはいいが、仕込みにも時間がかかった。物語世界の住民を巻き込まないために、城の使用人から貴族にいたるまで、相手に気づかれないように注意しつつ全員を刑事に入れ替えなくてはいけなかったのだから。
で、映えある主人公シンデレラ役に抜擢されたのが。
「――ふうッ……、これで終いね。みんなご苦労さま」
「はッ!」
ザザッ!という効果音が聞こえそうな勢いでモブ警官たちが一斉に敬礼する。
戦闘のど真ん中できれいなドレスをたくし上げてギャングどもを撃ちまくっていた、灰被り改め『硝煙被り』の姫君の正体は、ギャング対策課の女刑事である。
このたびはむしろ彼女たちが捜査の主導で、たまたま童話世界が絡んでいたのでリセ係が協力していた。
しかし目の前に広がる惨状を見るにつけ、あまり意味がなかったのではないかという気がする。今この場にシンデレラの要素は一ミリも残っていない。あるのはめちゃくちゃになったフロアにひっくり返されたごちそうと酒と、呻き声と血と空薬莢だけ。
負傷者が着々と運び出されていく中、自分は無傷の姫君はわりかしズタボロになった王子のもとに歩み寄った。
「お疲れ様。久しぶりにあなたと働けて楽しかったわ」
「……そりゃよかったな。こっちは後片付けがとんでもねえことになって嬉しいよ」
「もう、相変わらず皮肉屋なんだから。ふふ」
ちなみに横ではドレスの破けた後輩がジト眼で見ています。
「ねえ、リセクション係は楽しい?」
「やりがいはある」
「……それは、もう
ギャング狩りのヒロインは屈託なく微笑むと、金の靴を脱いで、王子……もとい元同僚に手渡した。ここがシンデレラの世界だということを踏まえると、……いや、あまり深く考えないことにしよう。単に提供した道具を返されただけだ。
去っていく彼女を追いかけることはない。かぼちゃの馬車に乗り込んだが最後、もうその魔法は解けてしまうのだから。
そう、追ったりしない。
もう終わったのだ。とっくの昔に「俺の恋は、無情に鳴り響く十二時の鐘の音とともに、夜の闇へと消え去った……」
……勝手に後輩がナレーションしてきた。しかも厨二ポエム調で。
「っなんだ急に!? 耳元で気色悪い声出すなよな」
「先輩が変な顔してるからじゃないですか。……いやぁしっかし先輩の元カノすっごい美人ですねぇ~?」
「言うな」
「向こうまだ脈ありそうでしたけどぉ、いいんですかぁ追いかけなくて~??」
「ねえよ。……ありゃ単に根っからの
「ふぅ~ん」
後輩はまだ不満げだが、もともとコルセットのせいで機嫌が悪かったのもあるんだろう。まったく。
ともかくギャングは一人残らず捕まった。崩壊していた大広間もなんとか修復が完了し、シンデレラの世界では改めて舞踏会が開かれることになった。
もちろん登場するのはギャング対策課の姫ではなく、もう少し素朴な顔立ちをした苦労人の少女だし、出迎えるのもちゃんとした王子様だ。二人が幸せそうに踊るのを、リセ係の二人もこっそり群衆の中から見守っていた。
このあと鐘が鳴って靴が残って、のくだりはまあ省略してもいいだろう。結末は決まっている。
「でも義理の姉たちが足切ったり両目潰されるのってエグくないです?」
「それまでの所業に対する因果応報だ。じゃ、そのグロシーン見たくないならもう帰るぞ」
「はーい。……次にこんなドレス着れるのいつかなぁ」
さんざん文句を言っていたくせに名残惜しそうだ。まったく女心ってのはよくわからない。
着ているのが豪奢なドレスだろうが、灰だらけのエプロンだろうが、大事なのは見栄えじゃなくてその中身。シンデレラだってただ美人だったから幸せになれたわけじゃない。
つらい境遇でも素直な心を失わなかった。誰にどんなひどい仕打ちを受けても耐え抜いて、決して相手の不幸を望んだりしなかった。そういう健気な清純さがヒロインたるものの資質なのだ。
だからこそ、最後にこの言葉を贈る価値がある――
めでたし、めでたし。
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