愛と青春の多様性デス!

司之々

1.同性愛者だったっけ?

 昼休みの教室、お母さまのお弁当(こう言わないと怒られる)をありがたくいただいてから、デザートのツナ缶と牛乳に手を伸ばす。


 プロテインは、高校生の小遣こづかいにはちょっと厳しい。コスパならこれだ。


 男子として十六歳は、まだ少し期待できるはずだけれど、制服の学ランもあま気味ぎみな、中学からずっと軽量級の身体がうらめしい。短く刈った髪が、天然パーマのせいであっちこっちにとんがっていても、身長測定では加味してもらえなかった。


 カロリー消費が激しいのは、道場の稽古けいこが厳しいのもあるが、空手の道は一日にして成らず。勉強とも両立するために、手を抜いてはいられない。


 美味うまいのか、と級友に聞かれて、美味うまいと答える。気合きあいだ。そんな平和な時間に、騒々しい足音が走り込んできた。


「おい、正規まさのり! 朗報ろうほうだよ! ついに日本でも民法改正で、同性婚が認められることになったんだ!」


 たっぷりと二呼吸、間合いを確認しながら、声のぬしを凝視した。ハンサムで長身、同じ学ランでもすずやかだ。くやしいぞ。


「……愛生あき、同性愛者だったっけ?」


「いや。ぼくに、直接は関係ない。幼女偏愛者ロリコンだからね」


「思想だけで有罪にできないものかな」


 なぜか悪名が流布るふしている戦前の特高警察は、共産主義テロリズムを取り締まるため、危険思想と疑われる市民を拘束、思想を変えるように指導した。


 指導されて素直に従う人間が、そもそも危険思想に染まるわけがない。拷問ごうもんが常態化したのはいただけないが、後の歴史で吹き荒れた共産主義テロリズムの悲惨さを見れば、けだし先見せんけんめいと言える。


 俺は目の前の、この人間のクズの台詞せりふで、令和の時代に特高警察を再評価した。


「関係があるのは君だ、正規まさのり! 喜べ!」


 この人間のクズは、頭の回転が速い。速すぎて、大体いつもマックスターンをキメている。


 マックスターンというのは、古い映画に出てくる、バイク乗りの技だ。


 前輪をブレーキした状態で腰を浮かし、後輪を高速で空転させる。道路との摩擦まさつによるタイヤのあとを残しながら、前輪を支点にバイクを三六〇度、コンパスのように回すと、道路に黒い円が描かれる。それだけの見せ技だ。


 俺が知っているのは、小学生の頃に父さんが、調子に乗って説明しながら失敗して骨折、すっぽ抜けたバイクが全損、激怒したお母さまに以後、我が家は自転車を含む二輪厳禁を執行しっこうされたからだ。


 愛犬と書いてラブリープリンセスと読む我が家のアイドル、ゴールデンレトリバー、美魔女の五歳、アントワネットちゃんと自転車デートをする夢のために、いつか撤回てっかいしてもらおうとをうかがっている。


 それはそれとして、目の前の人間のクズだ。


 頭はおかしいが、顔はいい。髪は長めでも清潔感があり、身だしなみには特に気をつかっているらしい。幼女に接近するためと公言していた。


 脳みそを誰かと交換すればモテるだろうに、もったいない話だ。


愛生あきが、なにを考えてそういう結論になっているのか、まったくわからないけど……同性婚なんて、俺にも関係ないよ。心に決めた女性がいるからね」


「犬じゃないか」


「俺のラブリープリンセス・アントワネットちゃんを馬鹿にするのかっ?」


「すまない、失言だった。あやまる。フルコン空手の有段者に殴られたら死ねる」


「嫌味か。まだ、その前だよ。昇段の十人組み手には、スタミナが足りてない」


「ぼくが死ぬには支障ししょうなさそうだが、とにかく、落ち着いて話を聞いてくれ。ぼくは多様性を、脳の限界まで受け入れる派だ。君はぎりぎりだが、まだいける」


釈然しゃくぜんとしない。でも、まあいい。話ってなんだ? 愛生あきの中で、どうして俺が、同性婚に関係あることになってるんだよ? 翻訳ほんやくしろ」


 仕方がない。こんなのでも、幼馴染おさななじみだ。


 愛生あきが、なにが嬉しいのか、満面の笑顔でとなりの席に座る。教室中の女子が、冷たい目で距離を開けているのを、気にした様子もない。まったくもって迷惑だ。


「よし。まずは、だ、正規まさのり。結婚を言葉で定義できるか?」


「……愛し合う男女が、夫婦になることだな。今までは、だけど」


「いい答えだが、正解じゃない。結婚は、国家権力が定める制度だ。考えてもみろ。そんなものが存在する、はるか以前の原始時代から、男女は夫婦になって子孫をつないできた。結婚制度は、人類の歴史から見れば、ごく最近できたものにすぎない」


 愛生あきが、一本指を立てた。


「より正確に言えば、国家権力が税金を運用して、各種の扶助ふじょにより男女の夫婦を支援する制度だ。税金を運用するからには、国民全体に、金額規模に見合う恩恵おんけいがなければならない。それはなんだ?」


「さあ……? そこまで難しく考えたこと、ないよ」


「選挙権を得るまで、あと二年だぞ。考えておいた方がいい。その恩恵おんけいというのはな、夫婦が子供を産み、育てて、次世代の国民を増やすことだ。労働人口を拡充かくじゅうして、年金制度を支え、国家を発展させることだ。少なくともその可能性に、税金で先行投資をする制度、それが結婚だ」


世知辛せちがらいなあ。愛は関係ないのか」


「いや、ある。必要条件だ。だが、男女の愛に限られる。同性愛はこれまで、結婚の必要条件としての愛に、認められていなかった」


「それが認められた、ということだよな。個人的に関係あるかはともかく、まあ、喜ばしいことじゃないか」


「そうなんだ!」


 愛生あきが目を輝かせて、両手を広げた。かさがさねくやしいが、サマになる。劇場型の政治家か詐欺師さぎしだ。


「結婚は愛を必要条件として、その愛を担保たんぽするもの、税金を先行投資するための担保たんぽに、夫婦が子供を産んで育てる可能性を必要条件としていたんだ。三親等内の近親婚が認められないのも、遺伝子の関係で、健康な子供が産まれにくいことに起因するものだ」


「それを言ったら、健康上の理由で子供を望めない夫婦や、老年になってから結婚する夫婦はどうなるんだよ?」


厳密げんみつ冗長性じょうちょうせいのないルールは、実効性もない。遺伝子の近似きんじけた成人男女の夫婦、それが、子供を産んで育てる可能性の必要条件だった。これまでは」


 愛生あきの声が、熱をびた。


「同性婚が認められるということは、結婚制度から、この必要条件が消える! 結婚は愛を必要条件とするが、その愛を担保たんぽする必要条件が消えるんだ! 当事者が主張する愛を、外部から正確に測定評価する手段はない!」


「わかってきたよ……つまり、絶対に子供が産まれない組み合わせでも、そこに愛があると主張すれば……」


「誰も否定できない! 結婚の必要条件を満たせるんだ!」


「俺が、ラブリープリンセス・アントワネットちゃんと結婚できる未来がある、ということだな!」


「一足飛びには難しいだろうが、声を上げ続ければ、必ず通る! 否定するロジックが、もう崩壊しているからな!」


 愛生あきが、俺の手を握る。俺も愛生あきの手を、握り返していた。


「確かに朗報ろうほうだよ! 教えてくれてありがとう! 愛生あき、人間のクズと誤解していて悪かった!」


「それは誤解じゃない自信がある。正規まさのり、ここまでを踏まえた上で、君に頼みがあるんだ」


「言ってくれ。今なら、多少の無理は聞く気になってるぞ」


「ぼくと結婚して欲しい」


 思わず、手を握り合ったまま、愛生あきの目をまじまじと見てしまった。


「多少どころじゃない無理を、一足飛びに超えたな……悪いけど、断る。俺はアントワネットちゃんと結婚するんだ」


「その時がきたら、離婚してくれて構わない。なんなら彼女と同居してもいい」


「また、わからなくなってきた。どういうことなんだ?」


「同性愛者ということにして、ぼくと同性婚して欲しいんだ。うそだろうと一過性いっかせいだろうと、当事者が主張する愛を、外部から正確に測定評価する手段はない。これは今、言った通りだ」


 愛生あきの目が、また輝いている。確かに、外部から見る限りは、天使のようなくもりない笑顔だった。


「同性愛者でも正式な結婚をすれば、正式な家族となり、正式な家庭を持ったことになる。正式な資格として、養子を迎えて扶養ふようできるんだ」


「まあ……そうなるか」


「男の同性愛者の家庭が、男の子を養子にしたいと言えば、性的な警戒もされるだろう。逆に、男の同性愛者の家庭が、女の子を養子にしたいと言えば、安全と判断するしかない! 同性婚をした事実が、同性愛者であることを担保たんぽする! 繰り返すが、これを外部から正確に測定評価する手段はない!」


「……んん?」


「ここまでを完璧に! 合法的に! 正式な資格として幼女を手に入れることができるんだ! 家庭という警察権民事不介入けいさつけんみんじふかいにゅうの閉鎖空間! 親という絶対権力者! 一度でも取り込んでしまえば、あとは……」


 座った状態から、腰をわずかに浮かし、右足首のひねりから力を螺旋状らせんじょうに束ねる。正中線をまっすぐに、右肩から右肘みぎひじ、右手首を内側にねじり込んで、目標をつらぬくように打つ。


 JAPAN空手の伝説のフィニッシュブロー、Gャラクティカ・Mグナムが再現できた。ような気がした。


 もんどりうって吹っ飛んだ人間のクズの成れの果てに、今さら、少し冷静になる。いけない。思想だけで拷問ごうもんするのは、特高警察そのものだ。


 個人的な再評価はともかく、令和の時代に認められるはずがない。むしろこっちが暴行傷害の現行犯だ。どう言いわけして、ごまかすか、ごまかせるか。


 恐る恐る、周囲を見る。少しのを置いて、妙に静かな拍手はくしゅと無言の、スタンディングオベーションだった。


 約一世紀を超えて、特高警察の正義が認められた。ちょっと感動した。

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