2.ファザコンかも知れない

 なんだかとなりの教室が騒がしいけれど、気にしてはいられない。お弁当も食べ終わって、あたしには、いよいよ逃げ場がなくなっていた。


 先週、美容室で整えてもらったばかりの、内巻きショートボブの髪をいじりながら、視線が泳ぐ。


「ごちそうさまぁ。それで、なんだっけぇ? せーちゃんのお話ぃ?」


「なんで、こんな時だけは物覚えいいかな。この野郎」


 思わず、毒が吐いて出る。いや、野郎じゃなくて、正しくは女郎めろうか。今時は使わないよな、この女郎めろう、なんて。


 あたしを入れて机を囲んだ三人の内の一人、乃絵留のえるが、二個目のイチゴミルクにストローを指す。甘い菓子パンばっかり三個を食べた後だ。糖分が、名前だけじゃなくて表情にもあふれてる。


 泣き黒子ぼくろが色っぽくて、スタイルもド迫力にいい。シンプルなセーラー服が、どうしてそんなにエロくなるのか。


 だから超絶モテる。気がつくと彼氏が変わっている。毛先に少しウェーブ入った長い髪がゆるふわで、オツムがふわふわで、オマタがゆるゆるだ。


せいちゃん……悩みって、話すだけで心が軽くなること、あるよ。私は、なにがあってもせいちゃんを嫌いになったりしないから。安心してね」


沙綾さあやも、話す前から重くしないで。そんなヘビー級のタイトルマッチじゃないから」


 三人の内のもう一人、沙綾さあやが、保温水筒ほおんすいとうのカップでおしとやかに豚汁とんじるを飲む。言ってることも大概たいがいだけど、雰囲気も少し、浮世うきよからはみ出てる。


 吸い込まれそうなからす濡羽色ぬればいろの髪をハーフアップにして、背筋もピンとして、大正浪漫たいしょうろまんのお嬢さまみたいだ。あたしや乃絵留のえると同じセーラー服も、なんだかハイカラ風味に見える。矢絣やがすりはかまと編み上げブーツが、絶対に似合う。


 二人の間を、視線が泳ぎ疲れて、観念する。ペットボトルのダイエット茶を、一口あおる。


「悩みって言うか……あの、さ。引かないでね? あたし、その……」


 中等部からの仲でも、デリケートな話題は、やっぱりためらう。なんでこんな状況に追い込まれたのやら。顔に出してるつもりはなかったけれど、女のかんと興味本位は恐ろしい。


「ちょっと……ファザコンかも知れない」


「えぇー? キモぉい!」


「うん。あんたはそうくると思ってた」


乃絵留のえるちゃん、気持ちは自由だよ。お父さんと子供を作ったって、古くは旧約聖書の、ロトの娘とか……」


「ワープしないで。一から一〇〇までに、九十九段階あるでしょ」


 断じて、そんな人の道を踏み外した話ではない。どうなってんだ聖書。


「せーちゃんパパって、そんなイケオジだったのぉ?」


「全然。むしろ普通より下だよ。毛深いのに髪は薄くなってるし、服は適当だし、太ってるし加齢臭かれいしゅうもしてきたし」


「男らしくて、飾らなくて、頼り甲斐がいがあってフェロモンを感じる、ってことなんだね」


「お願いだから帰ってきてよ。宇宙の果てから」


 あたしの理想は、知的かつさわやかスポーツマンのイケメンだ。俺サマや壁ドンも、ここぞという押しの一手ならウェルカムだ。現実世界で見たことないけど。


 とにかく、限りなく保健体育に近い漫画やドラマで、父親なんてのは娘にとって、乃絵留のえる台詞せりふじゃないけどキモくてウザくてムカつく存在なのだ。それでこそ、ヒロインは、さらさら髪とまゆ睫毛まつげの他には体毛が一切ない将来スパダリ確定の若人わこうどに、胸を熱くできるのだ。


「若くても、オマタの毛はみんな生えてるよぉ?」


「そんな生々しい情報、らない」


 つまりは、あたしの父親と理想のタイプは、正反対だ。ここまではいい。清く正しい。


「でも……嫌いじゃないんだよね」


 キモいとも、ウザいとも、ムカつくとも思わない。


 大声で怒鳴どなられたり、ゲンコツで叩かれたりした記憶もないし、リビングに転がっていたりしたら上に座る。ソファで一緒に、だらだら映画なんか観ていたら、知らない間に寄りかかったり、盛り上がってぶっ叩いたりしてる。あたしの方が。


 客観的に評価しても、距離が近い。これは由々ゆゆしき事態だ。そんな気がする。


 健全な娘は、思春期に父親を嫌わなければいけないはずだ。


「……それくらいなら、きっと考えすぎだよ」


 おしとやかなお嬢さまの雰囲気に輪をかけて、沙綾さあやが、穏やかに微笑ほほえんだ。よかった、宇宙の果てから帰ってきたみたいだ。


「家庭の中のお父さんって、イメージ変わってきてると思う。ほら、頑固親父がんこおやじでお酒を飲んでばっかりとか、いつもいない二十四時間ビジネスマンとか……そういうの、もう大昔の話じゃない?」


「うん。まあ、そうだよね」


「私たちの親世代なら、なんでも普通に話せるし、家のこととか、子供の学校のことだって、夫婦で助け合ってる感じがする。もちろん、例外はいろいろ、あるかも知れないけど」


「じゃあ、のとこは例外かなぁ。パパ、には甘いけど、ママには威張いばりんぼだしぃ」


「なんか、わかる。それ」


「子供から見えるお父さんって、半分くらい、お母さんを通してるんだよ。お母さんからの好きとか、嫌いとか。せいちゃんのお母さんは、きっとお父さんを大好きで、幸せで……だからせいちゃんは、好きな人との将来とか幸せを、お父さんでイメージしてるんじゃないかな。それは、全然おかしくないと思う」


 あたしは、ちょっと言葉を失った。


 言われてみると、そうとしか考えられない。


 我が家の父親と母親は、娘から見てもラブラブだ。母娘おやこでも好みのタイプは違うよなあ、なんて思っていたけど、幸せのイメージは共有してるのか。


 ファザコンじゃなくて、嫌いにならなくてもいい、嫌うことで違うタイプに幸せのイメージを求めなくていい、とすれば、家族関係をひっくるめて健全のはずだ。


「すごーい! も同じ、って言うか、せーちゃんの逆ぅ! ママみたいな耐える人生イヤだなって思ってたし、だから、パパみたいな人ちょっと信用できないな、って思ってたぁ!」


「さらっと闇が深いこと言うな。頭、追いつかないよ」


「じゃあさ、じゃあさぁ! さーちゃんはどうなのぉ? さーちゃんパパとさーちゃんママのこと、好きぃ?」


「え……わ、私?」


 乃絵留のえるの風船爆弾が、あたしだけでなく、沙綾さあやも巻き込んだ。


 いけない。この場は、悩みを解決してくれた恩人だ。あたしが守ってあげなくては。


 そう思っている間に、当の本人が、爆弾を投げ返した。


「私は……恥ずかしいな。せいちゃんより、ちょっと本気っぽいやつだから」


 また、言葉を失った。


 頭の上に聖書が浮かんだ。漢字で題名が書いてある本のイメージだけど。中身は知らないけど。


 多分、禁断の保健体育っぽいなんか、のはず。


「あ、ご、ごめんね。おかしな意味じゃなくて……去年、お母さんが男の人と出て行っちゃって。今は、私とお父さんの二人で暮らしてるの」


「えぇー! さーちゃんママ、やるぅー!」


「そっちなのっ? いや、まあ、確かに耐えてないけど!」


 乃絵留のえるの流れは自然でも、会話の流れは自然じゃない。少なくとも沙綾さあやに向けて、その返しはないだろう。


 突っ込みが続かないあたしに、沙綾さあやは気にした風でもなく、また微笑ほほえんだ。


「ん、と……結婚する前からずっと好きだった人で、でも、事情があって結ばれなくて……それで、再会したら今度こそ一緒に、なんて感じだったみたい。お母さん、泣きながらあやまってた」


「え? そんな寝言ねごと沙綾さあやに吐いたの?」


「せーちゃん、毒が隠せてないよぉ」


「お父さんも、昔から知ってたみたい。それでも幸せにするって約束したのに、できなくてごめん、って、やっぱり泣いてあやまってた」


 そっちはそっちで、ガムシロップ吐いてたのか。人間、いろんなものを口から吐けるな。


 他人ひとさまの親に毒を吐くのもなんだけど、親なら親の責任感で行動したらどうなんだ。娘の前で、泣いて自己正当化してる場合じゃないだろう。


 うん。ぎりぎりで、吐く前の毒を飲み込んだ。それこそ、沙綾さあやに向かって言うことじゃない。


「それで、さーちゃん、さーちゃんパパの方に残ったんだぁ。なら、お金だけ出してもらって、一人暮らしするなぁ。さーちゃんママの方についてく気もなかったんなら、確かに、ちょっとファザコンっぽいかもぉ」


「いや、一人暮らしはともかく、母親の方はあり得ないでしょ」


 余所よその御家庭から母親を引き抜いた男と同居なんて、寒気さむけがする。自意識過剰じいしきかじょうは承知の上で、身の危険だって考えないではいられない。


「でもぉ、すっごく優しくて美形でお金持ちのオジサマだったら、、好きになった相手の女子高生バージョンでしょぉ? がんばって、っちゃうかもぉ!」


「地獄のかまの底、抜くな」


 もう、突っ込みにもキレがない。それでも沙綾さあやは、笑っていた。


「うん。そういうことなんだと思う」


「わかんないよ……そういう、って、今の会話のどこなのよ……?」


「相手の人は、きっとお父さんより優しくて、素敵で、お金持ちなんだよ。私のお父さんは世界に一人だけで、代わりなんて誰もいないけど……お母さんにとって旦那だんなさんは、条件がよければ、他の人に代えられるんだよ。お母さん、そういう人だもの」


「……」


「……」


 あ。さすがに乃絵留のえるも、絶句してる。


「私もお母さんの娘だから、きっと同じ。結婚はしないの。だって、人のことを条件だけで比べるなんて、自分も相手の人も不幸にするだけでしょ? 私の特別はお父さんだけで、お父さんの特別も、もう私だけ」


 おかしいな。気温が下がった気がする。湿度は上がった気がする。


「昔の時代劇でさ……お父さん、おかゆができたよ、おまえには苦労ばかりかけるな、それは言わない約束よ、なんてシーン、あったじゃない? あれ、すごくいいよね……私も月に一回くらい、濃い味のおつまみを作って風邪薬かぜぐすりを混ぜて、お酒と一緒に出してあげたいな」


 うん、犯罪だ。法律は詳しくないけれど、メイビーで犯罪だ。


「それで、本格的に倒れたらね、一人で自宅介護するの。入院とか、本職の介護士さんがやるより、上手じょうずにはできないだろうけど……最後に目に映る人は、やっぱり、私でなくちゃ駄目って思うし」


 なんだか、周りの景色も暗くなる。お昼休みだったはずなのに、どんどん暗くなる。思わず、乃絵留のえるの手を握っていた。


「お父さんが死んだら、おこつつぼを抱いて餓死がしするんだ。うつ拒食症きょしょくしょう心神耗弱しんしんこうじゃく併発へいはつする自信、あるし……おこつを一つずつみ砕いて、吐いても飲み込んで、数えながら動かなくなるの。カロリーは少なそうだから、大丈夫だよね……?」


 大丈夫の定義がわからないよ。でも多分、大丈夫じゃないよ。


 ものすごい静寂せいじゃくをはさんでから、沙綾さあやが、急にほっぺたを赤くして手をあてた。


「ごめんね! やっぱり私、ちょっと本気っぽいよね? やだ、本当に恥ずかしいな……!」


「うん……ちょっと、をくっつけたのが、図々しすぎるかな……」


「人生設計……しっかりしてるよねぇ……」


 あたしと乃絵留のえるは、もうほとんど抱き合っていた。沙綾さあやは、純情可憐じゅんじょうかれんな乙女の顔で恥じらっていた。


 ああ、もう。どうなってんだ聖書。いや、世の中か。



〜 愛と青春の多様性デス! きっと完…… 〜

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛と青春の多様性デス! 司之々 @shi-nono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画