第56話

 長机に体を伏せて、顔を下に向けて目を閉じて、


 「うう……」


 俺は絶望に打ちひしがれている。どうしようもない倦怠感が襲ってくる。もう何もする気が起きない。このまま溶けてなくなってしまいたい。


 「ううう……」


 祝福するべきことなのだろう。独身を嘆いていた、あの志藤先生にやっと春が訪れたのだから。でも、あわよくばその相手が俺でありたかったという気持ちがある。そうであったらよかったと。


 ……林に言われた通り、女々しいなぁ。俺って。


 「うううう……」


 「大丈夫?」

 

 正面から優しい声が掛かる。顔だけを声のしたほうに向ける。そうか、今は昼休みだったっけ。どうやってここに来たのか、いつ来たのか、もうその辺も曖昧だ。


 「ホントに大丈夫?顔色も悪いし、保健室に行ったほうが……」


 「だいじょうぶだ。こころのきずだから」


 天野さんからしたら迷惑極まりないだろう。昼食をこんな奴を目の前にして食べなければいけないのだ。俺なら耐えられない……。


 「うぐううう」


 普段なら気を逸らすための自虐も、今日に限っては自身の心を傷つけるただの自虐に変わる。


 「…………うーん」


 「ごめん。天野さん。やっぱり大人しく保健室に行くよ」


 これ以上ここにいても天野さんに迷惑をかけ続けるだけだ。それは良くない。今日はもうダメだ。帰ろう。家に帰って心の傷を癒すことに集中しよう。


 「ホントにごめん。気を悪くするような態度で」


 天野さんに一言謝って椅子から立ち上がり、ドアのほうに歩いていく。今度何かでお詫びをしないと。


 ドアに手を掛けたところで、


 「神崎君、おいで?」


 と天野さんから俺を呼ぶ声がする。


 「ダメだ。今日はホントに」


 「そういう日もあるよ」


 背を向けたままの会話。あの悪すぎる態度にこの姿勢での会話。怒っていいはずだ。けれど、天野さんは優しくもう一度俺を呼ぶ。


 「おいで?」


 「天野さん、俺は……」


 体を向きなおして、天野さんのほうを見る。そこで俺の言葉は止まった。


 椅子を俺のいるドアのほうに向けて、姿勢よく座っている天野さん。


 「な、なに、を」

 

 「いいから、おいで?」


 ポンポンと自身の腿を掌で叩く天野さん。


 「それはダメだ……」


 ホントにダメなやつだ。不健全とかじゃなくて、傷心中の俺にとってそれは甘美な毒だ。甘い味ながらも、確かに含まれた毒は俺を天野さんという底なしの沼に堕とすだろう。堕ちた先で抱く感情……それは恋ではない何かだ。


 だから、断るべきだ。


 「私には何があったのかわからないけど、日頃からお世話になってるからね。今日くらい、私に甘えたっていいんだよ」


 そう言って椅子から立ち上がり、手を広げて甘く優しく微笑む天野さん。


 甘い言葉に優しい微笑み、言うまでもなく俺の心は揺らぐ。


 いや……違う。


 ダメだダメだと口では言っても、断るべきだと頭で理解はしていても、この心情を誰かに打ち明かして早く楽になりたい俺の行動は、揺らぐまでもなく決まってしまっている。


 のろのろと吸い込まれるように天野さんに近づいて行くと、

 

 「ここ、座って?」


 先程まで座っていた椅子を天野さんが指差す。俺がそれに従って椅子に座ると、天野さんがゆっくりと近づいてくる。互いの距離が三十センチも無い程に。


 そして……もう一度。


 「神崎君、おいで」


 ポフっと天野さんの胸に顔を落とす俺。天野さんの長い茶髪を巻き込まないように背に手を回し、温もりが離れないように抱きしめる。天野さんはそれに何か言うでもなく、優しく俺の背に手を回しギュッとその手に力を籠める。


 「何があったのか、私に話して?」


 俺の背を軽く撫でながら、そう囁く天野さん。その甘い声をきっかけに俺は、志藤先生と今まで何があったのかを全て話してしまうのだった。 






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ヒロインを書く順番を間違えたと常々思ってます。

(宮野さんと天野さんが嫁力高すぎる!!)

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